第12話

文字数 5,057文字

 
      その十二

 夜を徹しておこなわれたパチンコ大会のあとのぼくは、すみれクンの引っ越しの手伝いにも加わっていたので睡眠は閉会後自動的につきあわされる朝の祈祷会のときにしかとれなかったのだけれど、そんな事情で智美よりもよっぽど早く就寝したこの晩はすみれクンのお母さんにいただいたM村産のキノコを肴に日本酒や米焼酎を飲んでいたこともあって、ぼくは十時間ちかくも昏睡させてもらっていたから、午前三時に目覚めたときには香川京子さんとあぜ道デートした夢をみていたこともあって、からだの疲れもとれていたし気分もたいへんさわやかで、さらに食欲のほうも自転車に乗りながら菓子パンやフライドチキンを食べているある種の若者たちとおなじくらい猛烈にあった。
 旧出稼ぎ寮の冷蔵庫をのぞいても、これといったものがなかったので、ぼくは母屋にしのびこむためにまずは桐タンスを物色したのだけれど、お夜食(今回は早い朝食だけれど)をとるさいに、このように祖父が愛用していたピケ帽やチャコールグレーのジャケットを身につけるようになったのは、何年か前に月明かりだけの食卓でお目目を獣のように光らせてチーちくをこんな格好で食べていたときの親父の反応――飛び上がっておどろいた父は翌朝すぐ墓参りに行き、仏壇には大量のチーちくをお供えしていた――によってヒントを得たからで、それまでは午前零時を過ぎてむしゃむしゃ母屋でやっていれば説教のひとつもぶってくる父だったのだけれど、この神秘体験以降はほとんど深夜は食卓に来ることもなくなったし、またたとえ、のこのこやってきたとしても、足音のちかづきに応じて、祖父が好きだった『湯島の白梅』でも口ずさんでやれば、父はいそいそと寝室にもどってしまうのであった。
 この方法を神からさずかる前のぼくは、とにかく父が来たらどこかへ隠れるしかなかったので、テーブルの下で音をたてずにそうめんを食べる、などという、いまでは無用の作法にもストイックにとりくんでいたわけだがそれはともかくとして、冷蔵庫にあったシーチキン巻きを食べたり、浅田美代子のファーストアルバムをヘッドホンで聴いたりしていると、ぼちぼち空も青みが出てきたので、ぼくは朝の空気を味わうために、
「Kの森総合公園でウォーキングでもしようかなァ」
 とキーキーママを出すこととなった。
 Kの森総合公園には昨年の春先くらいまではひんぱんに通っていて、ピーク時には公園の長老や職員の方々にも目をかけてもらっていたのだが、その当時Kの森第一グラウンドで、よくテニスラケットの素振りをしていた奈津美さんという女性が結婚して流山のほうへ越してしまうと、奈津美さんが素振りのさいにかならず着ていたテニスウェアをなかば崇拝していただけに地道に公園へおもむく気力もやはり萎えてしまって、もちろんテニスウェアと並行して崇めていたワンピースの娘がウエイトレスにオーダーの拒否をしているマイボトルキャンペーンのポスターのほうにより多くの時間を費やすようになったために公園に出没しなくなったということもできるだろうけれど、最近公園に出入りするという悪習をまた生活にとりいれてみると、妖精ふうテニスウェア期以前からすでに常連だった外回り時間つぶしホワイト組らは、だれひとり悔い改めることなく公園に今年度も入り浸っていて、駐輪場に自転車を停めたのちに散歩コースを競歩スタイルで歩きだすと、この朝も、まわりにたくさんの猫を従えながら、ベンチにすわって池をながめている長老にさっそく出くわした。
「長老、おはようございます」
「ああ、おはようさん」
「いい天気ですね」
「いやぁ、晴天なのは、小津監督を妄信しているあなたのおかげじゃだわ」
 もよりの猫に声をかけていた長老は、
「すわってくれじゃだ」
 と空いたベンチを指さしてきたので、ぼくはしかたなく、
「あ、ありがとう、じゃだ」
 と猫たちのクールな視線を感じつつ、そこに腰かけることにしたのだけれど、さらに充実してきた感のあるおひげを撫で撫で長老がいうには、なんでも公園の多目的広場は再選した森中市長の公約どおりに現在は希望する市民が好きな店を出せる環境になっているようで、
「屋台で朝飯出してる連中もけっこういるから、寄ってみるといいじゃだ」
 という長老に、
「でも、お客さん、来てるんですかじゃだ?」
 ときいてみると、顔ひげだけでなく、まゆ毛等も長老という称号にふさわしい状態になっている長老は、
「サラリーマンも朝に立ち寄っていくから、大繁盛じゃだよ」
 と内ポケットからおもむろにとり出したフランスパンを長老然とむしゃつきながら返してきたのだった。
 この場から早くはなれたいという気持ちもあったので、ぼくは長老に、
「じゃあ、ちょっと、のぞいてきますよじゃだよ」
 といって、かなりにぎわっているらしいその多目的広場へすぐ向かったのだが、広場の中央付近の位置で「チャイ」というミルクティーみたいな飲み物を売っていた三十代なかばくらいの髪をツインテールにした女性とただお話したいばかりに、
「このお飲み物、滋養はあるんですか?」
 などと予定外の出費をしたりしていると、となりの屋台でたいやきのようなものを食べていた森中市長の秘書でシークレットブーツの疑惑もある小林さんが、
「あれ、倉間先生!」
 とふいに声をかけてきて、小林さんは、
「今年で四十歳になるから、そろそろ結婚したいですよぉ」
 と顔をあわせるたびにいってくるのだけれど、このあと場所を変えておしゃべりしてみると、今朝屋台でたいやきらしきものを食べていたのも突き詰めれば、どうやらそのことに関係しているみたいだった。
「ええと、あっ、ここです。このグラウンドで、もうすぐ開催されるんですよ」
「ここですか――でも、はじまるまで、まだだいぶ時間がありますよ、小林さん」
「ええ。でも、こういうときは待ちきれなくて、わたし、こんなふうに、いつも早く現地に来てしまうんですよ」
 小林さんが案内してくれたKの森第二グラウンドでは、これから「孤高なやもめ組」と「オレたち一夫多妻主義軍団」と「眞知子さん(岸恵子)なりきり倶楽部」のみなさんが一同にかえした親睦会兼シンポジウム(?)がおこなわれるらしく、だからなのか、
「かわいい女の子と、どうか知り合えますように……」
 ともよりのベンチに腰かけた小林さんは、指をからめてぶつぶつお祈りなんかもしていたのだが、さっきまでお話していたチャイの女性を、
「一年以上御無沙汰だって、いってましたよ。あのひとなんか、どうですか?」
 と推薦してみると、小林さんは、
「ええ! だって歳がいきすぎてますよぉ」
 などとぜいたくな返答をしていたので、レオ様やヨン様や殿下(小野寺昭)にまでも難癖をつけるほどの面食いであるがために無難な配偶者どころか他人様のお慈悲までもとりこぼしているクリーニング〈しみず〉の長女の直美さんのように、小林さんも壮絶な人生をきっと送ることになるだろうとぼくは思った。
 市長やオーナーに以前から薦められていたナルシス輝男のモテモテ教室に小林さんは最近やっと通いだしたようで、
「いろいろ勉強になりますねぇ」
 などといいながら、だから「ナルシス」と表紙に記されたノートをパラパラめくりだしていたけれど、きょう着ている釣りに行くような服も、
「ナルシス先生が第一印象でややワイルドにみせるのも、ひとつのテクニックなんだって教えてくれたものですから」
 という理由でどうも身につけているらしく、
「この格好できっかけをつかめれば、スムーズに料亭や寿司屋へのデートに誘うこともできるじゃないですか」
 とも魚料理が好きな小林さんはいっていたが、しかしぼくは、
「ねえ倉間先生、わたしの晴れの姿を、きょうは見ててくださいよぉ」
 と腕にかじりついてきた小林さんに、てきとうなことをいって旧出稼ぎ寮へ帰ることになっていたので、小林さんが自信をもっていたこの服装および左肩にジャラジャラ引っかけてあった女性をおびき寄せるための焼き芋を模したルアーの効果のほどを、この目で確かめることは今回はできなかったのである。
 来たときとおなじ道を標準的な速度で引き返していると、和貴子さんが、
「きょう、そちらにうかがっても、よくって」
 というメールを送信してきたので、ぼくは、
「いつでもどうぞ」
 とメールを返したのちに、スタンドを蹴り上げて、またキーキーママを走らせたのだけれど、家に到着して自転車を車庫に入れていると、お袋が、
「つぐみちゃん、実家に帰っちゃってるんだけど、そろそろ呼びに行ったほうがいいでしょ?」
 と前掛けで手を拭きながらいってきて、だからぼくは、
「小林さんにてきとうにいったことが、現実になっちゃったなぁ」
 と思いつつ今度はつぐみさんの実家へ、やはりキーキーママで向かうことになった。
 母の説明をきくには、つぐみさんが智美をつれて実家に帰ったのはたぶんすみれクンとオーナー邸に行った晩だろうから、怒りがしずまりだす頃合をかんがえても、たしかにそろそろぼくの出番ということができるのだけれど、前回とおなじようにぼくが、
「ごめんくださーい。ごめんなさい」
 と藤原家のインターホンを押すと、お母さんとムコをとっているここの長女のかおるさんも前回とおなじように、
「ああ、鉄山くん、おいで」
 と出迎えてくれることになっていたので、かおるさんに、
「あいかわらず、きものが似合ってますねぇ。その帯もやっぱり浦野ですか?」
 といいつつも、ぼくは観るたびにいつもおなじ生活をくりかえしている古い映画の世界に自分が入り込んだように思っていたのである。
 応接間にあがったのちに強行里帰りしたわけをきくと、実家にいるために、たしょう子どもっぽくなっているつぐみさんは、ポケットティシューがどうのこうのと、小さな声でいっていたけれど、このことは藤原家のムコとして立派にふるまっている周二さんからも、
「そういうのは、駅前でもどこでも配ってるんですよ。だからきっと倉間さんも、それでスーツの内ポケにしのばせてあったんですよ。そのポケットティシュー」
 と説得されていたみたいで、ぼくがさらに周二さんとおなじようなことを訴えると、
「うん、わかった」
 とつぐみさんは、すんなり帰ることを確約してくれたのだった。
「鉄山くん、お昼食べてってよ。時間、どうせだいじょうぶなんでしょ?」
「あ、はい。すみません」
 藤原家はどういうわけか、ぼくが行くと、かならずそば処〈さわぐち〉で、天ぷらそばを取ってくれることになっていて、だからいま若干問題のある発言をした浦野の大胆なきものを着ているので四十前後独特の色気が出てきているかおるさんもぼくになにが食べたいかときくこともなく、
「あっ、藤原ですぅ。すぐできますぅ? あっ、じゃあ、天ぷらそば四人前、お願いしますぅ」
 とおしながきをうちわ代わりにしつつ電話していたわけだが、出稼ぎ寮に住んでいたホシさんという人が、かつていれあげていた、やすこちゃんという娘を、
「そういえば、どうしてるのだろう……」
 とふと思いだしたぼくが、かおるさんに、
「そういえば、あそこの娘の……」
 とさぐりを入れてみると、この界隈では“縁結び姫”といわれているだけに市民の近況などはだいたい把握しているかおるさんは、
「『娘』って、あの人、もう孫もいるのよ。あいかわらず時間の感覚が変なのね、鉄山くんは」
 とわらって、それから、
「鉄山くんも、いつまでもひとりでのらくらしてないで、そろそろお嫁さんでも、もらったら?」
 と前回とおなじ話をもちだしてきた。
 こういうときに、
「だれか、いい人いたら、おねがいします」
 などと迂闊にいうと、かおるさんはどんどん縁結びを猛進させる癖があるので、ぼくはのらくらの先天性、宿命性を嘆いてから、
「クリーニング〈しみず〉の直美さんは、その後どうなったんですか?」
 と話の方向をすこし変えたのだけれど、時任家と津島家という、対立する二大旧家をくっつけたときには、
「あのう、うちもひとつ……」
 と内紛中の五大名家から米俵や酒樽を連日いただいたこともあるこの姫をもってしても直美さんの度を超した面食い志向には太刀打ちできなかったようで、天ぷらそばが届いたあとも、
「直美ちゃん、いちばんいいときの山口崇にまで難癖つけてるのよ」
 とかおるさんは、ぼくにまるで弁解しているみたいに訴えてくるのだった。
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