第5話

文字数 3,119文字

 
      その五

 スーになりきったままミキにお住まいはどちらなの、ときくと、ミキは、
「この近所でしてよ」
 ということだったので、ぼくはだったらいっしょに帰りましょう、店の外で待っているよとすぐ誘ったのだけれど、こんなふうに積極的に謎のウーマンさんにアプローチしてしまったのはもちろん先の衝撃もあるが、それに加えてウーマンさんの格好がクリーム色のちょっと古風なワンピースだったからで、まあこのことは向かいでインベーダーゲームをやっていたみんみん氏もなんとなく気がついていたらしく、ぼくがとにかく早くサンドイッチをたいらげようと思って、むしゃむしゃやっていると、
「倉間さんはワンピースをみると、顔つきがパッと明るくなりますね。わたしは若草色のワンピースがとても好きです」
 というようなことを話しかけてきていたけれど、
「じゃあ、そろそろ帰りましょう」
 とおしぼりでお顔を拭きだしたぼくのその野性味あふれる感じにまたぞろ感銘を受けているようだった氏とやがて店を、
「ありがとうございましたぁ」
 と出ると、すぐウーマンさんもクリーム色のワンピースの上にコートを羽織ってついてきてくれたので、ぼくは〈オムオムバーガー〉の看板が見える交差点でみんみん氏と別れると、すみやかにスーであることをやめて、卵形の顔立ちをしたウーマンさんにお名前をたずねてみた。
「若松和貴子です。倉間さんは、テツザンさんとおっしゃるんでしてよね?」
「ええ、そうです。祖父がこういう古風な名前をつけてしまいましてね」
「お祖父様、まだお元気なんですか?」
「いえ、他界しました。ん? いやぁ、もう大往生でしたから、葬式なんかも、けっこうあかるい雰囲気でわいわいやりましてね。なにしろ九十すぎまで、ステーキなんかをしょっちゅう食べてた爺様ですから」
「あら! わたしの祖父も今年のはじめに亡くなったんですけど、やっぱりよくビフテキを食べてましたの」
「じゃあ、やはり最後は肉が原因だったんですか?」
「いいえ、お餅。でも、亡くなる直前にチーズフォンデューを生まれてはじめて召し上がって、とってもよろこんでいたらしいんです」
 お祖父様がいくつで他界されたのかをきいてから(百二歳~百二十六歳)、さらにお孫さんの年齢もおうかがいしてみると、お孫さんは、
「三十一になるんです。倉間さんよりひとつおねえさんよ、それでもよくって」
 ということだったけれど、そのひとつあねさんの和貴子さんは、歩きのぼくにあわせて自転車をずっところころ転がしてくれていたので、ぼくは年齢をきいた勢いで、その自転車を、
「ちょっと」
 とお借りして、
「からだを押しつけてギュッとつかまってね。そう、もっとギュッと、ギューッと」
 と背中の感触に希望をもちながら、うしろに乗せてあげることにした。
 若松家に到着したのち、
「これからわたし、忘年会なんです」
 という場所にも、そのまま自転車で、
「つかまってくれているときの感触がたまらないから、そこまで行きますよ。はい、もっと、ギュッとギューッと、はい速度をあげたいときは耳たぶ噛んで!」
 と送ってあげると、この界隈ではけっこう有名な〈高はし〉という料亭の前には、ひっきりなしにケータイをみている側近さんのどちらかが立っていて、そのどちらかさんは自転車を返して和貴子さんに、
「甘噛みありがとう、さよなら」
 とさわやかにいっていたぼくを見るなり、
「あれぇ、倉間先生! 渡辺といっしょじゃないんですか?」
 とキョトンとした表情できいてきたのだけれど、お話をよくうかがってみると、どうも側近の渡辺さんのほうは、ぼくをここに呼ぶために、ほうぼうを現在捜し回っているらしく、もちろんそれは、あのオーナーから指示されてのことらしい。
 側近の渡部さんは、このあとケータイで「もう倉間先生はこちらに来ている」というようなことを、渡辺さんに連絡していたので、
「いちおう、もってるんですよ」
 とぼくはケータイの番号をおしえてあげたのだけれど、
「あ、ありがとうございます。これつかえると、ほんとうは楽なんだよなぁ……」
 とつぶやいていた渡部さんがいうには、なんでもオーナーにはこういうケータイみたいな方法でぼくに連絡するのは失礼だから極力慎むようにうんぬんと警告を受けているらしく、だからもし、このことでオーナーにお叱りをうけたら倉間先生より承諾を得てのことなんですといってもいいですか、渡辺もわたしと見た目からしてほとんどおなじだから渡辺もそういうことでいいですか、とも渡部さんはきいてきたのだけれど(もちろんぼくは「どうぞどうぞ」とこたえた)、ところでこの流れによって、和貴子さんともさらりと電話番号を交換しあって、おそらく相当デレデレになっていたとおもわれるぼくが和貴子さんに手を引かれていよいよ料亭にあがっていくと、襖を開けて広々としていた三間つづきの「鯨の間」という部屋では、もうすでにあのこわもてのオーナーがものすごい威光を発しながら大あぐらで飲んでいて、オーナーは和貴子さんにきいてみると、どうも本妻ということらしい、百合子さんとおっしゃる五十前後の夫人に二言三言しゃべりかけると、
「あはは、あはは!」
 といつものように威圧的にわらっていたのだった。
「おお、倉間くん! よく来た、よく来たぁ!」
 ぼくの存在に気がついたオーナーは大きな声でこう脅かしてきたので、ぼくはとにかくオーナーのそばに素早く行って、おでこを畳にこすりつけるようにあいさつしたのだけれど、百合子夫人に、
「かれはねぇ、演出家なんだよぉ! 今度あの劇団、世話してもらおうと思ってさ、あはは、あはは!」
 とぼくを紹介してしまっていたオーナーは、百合子夫人がだれかに呼ばれてさがっていくと、
「あれが女房なんだよ、倉間くん。ダイアンのことはいうなよ、女房は知らねぇんだから」
 とすぐ耳打ちしてきて、ちなみに、
「おとうさん、ちょっと」
 といまさっきさがっていった百合子夫人にオーナーが呼ばれたすきに、なるべくこのオーナーからはなれた座に逃げていくと、
「そんな中庭のあずまやなんかにたたずんでいないで、こちらにいらしたら」
 と和貴子さんにまた座布団にすわらされるというほほえましい出来事などもあったわけなのだけれど、ツアー中、オーナーにとっておきの方法でかわいがられていたダイアンは、おなじテーブルにいた美咲愛子さんなどに、
「ダイアン、ますます色気が出てきたわねぇ。あなた、なまけものカーニバルのときにやるコンテストの、あのミスなんとかになれるんじゃない?」
 などといわれて、
「でもわたし、この界隈ではミス・アメリカよ、愛子さん」
 といつものワーオも出ていたので、
「髪の毛が下敷きを擦りつけたあとのようになるくらい本妻とバチバチ火花を散らしてしまったら、静電気対策はいったいどうすればいいだろう……」
 とベレー帽をかぶった婦人がつくってくれた電気ブランにも口をつけずに心配していたぼくも、
「ふーん、ダイアンは、中村伸郎みたいなのがタイプなんだぁ……ん? オーナー、ぜんぜんちがうじゃん。なになに、加東大介にも惹かれる、ワーオ」
 とすっかり気が楽になって――まあ、そんなことがあったからだろう、というか、それと、福音としてオーナーに教わった、
「耳もとで指示するさまざまなことを強制的にイメージさせて、かつ感想も具体的に述べさせる」
 ということを、となりの和貴子さんにさせていたからだろう、ぼくは宴会の中盤まで、みんみん氏がオーナーと親しげにお話しているのを、ひんぱんにそちらをチラ見していたにもかかわらず、まったく気づかずにいたのだった。
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