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文字数 3,054文字

 市川の話を聞いて、ほんの少しの間迷うように黙ったウタだったが、すぐに気を取り直して、「みんなとつないで」と指示を出していた。
 しばらく間があって、イヤホンから二つの声が聞こえてくる。
『はい、相田です──けど俺、いま電車の中なので、基本聞く一方で』
『──どうした』
 対するウタは、挨拶を省いて口早に話し始めた。
「手短に。まず俺から報告ね。誘拐の件は、犯人不明、交渉不可。とりあえず警察には連絡せず、今日十六時に渋谷駅ハチ公前で五百万の受け渡しを実行予定。連絡が一回のみで交渉の余地がないことから、今現在娘と連絡が取れていないことを知っていて、今後も受け渡し時間まで連絡が取れないことを確信していると思われる。イコール本当の誘拐犯か、娘と通じているかのどちらか。犯人が、今現在父親が不在であることを知り、かつ父親がいなければ母親が警察に連絡できないだろう指示に従うだろうと読んだ上の犯行とすれば、かなり家庭の事情に詳しい人間による犯行と思われる。五百万という金額が奥さんの動かせるちょうどの金額であることも怪しいね。……狂言の可能性は高い」
「…………」
 思わず孝一郎は体温が触れるほどに近くにいるウタに目をやっている。それから応接間の方を一瞥して、残った妹がこの通話を聞いていないことを確かめた。
 狂言の可能性が高いと知れば、由利子も警察に連絡したのではないだろうか、と疑惑が過ったが、真横で言葉を続けるウタの熱を感じて、孝一郎は口をつぐんだ。
「もちろん家庭内事情をよく知る犯人ということもありうるから、このまま注意して対処します。こっちは以上。次、市川くん、手短に報告」
『……はい。えーっと、昨夜のうちに杉山博志の住む部屋の玄関先にカメラを設置し、監視を続けていましたが、カメラ映像によると本日の十一時十五分頃に二名の女性が杉山博志の住む部屋に入室したことが確認されました。その後、十二時五分頃に一名、二十分頃に二名の入室を確認。現在室内に五名の女性がいる模様。すべて女性で、制服姿が三人、私服が二人。その格好などから、女子中学生か女子高校生と推定されます』
『なんだそりゃ。わけ分からないことになってんな。そんなモテ男には見えなかったぞ』
『集まっている理由は不明。現在、それぞれの制服からどこの学校の生徒か調査中です』
「その中に、三島有紗はいないの?」
『……確認はできていません。さきほど二名が部屋に入っていきましたが、こちらの二人についてはカメラで顔が確認できていません。制服は違います』
『なんだよ、役立たず』
 無遠慮な言葉を吐いたのは甲斐だ。市川がどこか不服そうに返す。
『設置したカメラの角度の問題です』
『え、それ、俺のせいだって言ってる?』
『そうは言ってないだろ! 俺はただ原因を言っただけ』
「はいはい、黙ってみんなー」
 聞く一方だと言っていたはずの相田まで口を挟んできて、学校の先生よろしくウタが宥めに入る。その隣で本当に聞いているだけの孝一郎は、事務所スタッフの人間関係が垣間見えた気がして、ひそかに感心した。
「とりあえず対象者が中にいるのかいないのかは確認しなくちゃいけないな。──覗けそうな部屋の窓はあったんだっけ」
『ないですね』
『ならドア開けて中を覗いて確認するしかねえだろ』
「また簡単に言うんだから。犯罪に巻き込まれている可能性がある以上、いつもみたいに警察名乗ってずかずか中に入っていくわけにいかないでしょ。なにか部屋の中を覗ける機会をつくらないと。たとえばピザ屋か、室内点検か、お友だちか。……杉山博志は帰ってきてないんだよね。いつ帰ってくるのか分からないのに、ちょっとリスキーだな」
『部屋の件は保留にして、十六時を済ませてから調べるのもありかと』
 市川の提案に、一瞬ウタが押し黙る。
「──いや、やっぱり確認は早い方が良い。いるかもしれない可能性があるなら、僅かな可能性でもすぐに確認したい。受け渡しの準備を進めながら、ひとまずチャレンジしよう」
『どうやって確認する? 警察名乗るわけにもいかねえんだろ』
「そうだな。できれば中まで入って全員の顔を確認したいから、ピザ屋はダメだし、室内点検は家主不在で断られるだろうし。……とすると、ものすごく非常識で無遠慮な友人に扮して中に踏み込むか。じゃあそれを頼めるかな────相田くん」
『ウタだろ』
『所長でしょうね』
『すいません、お願いします』
「…………」
 間髪置かずにそれぞれから返ってきた圧倒的多数の意見を前に、ウタが黙った。
 そのまま訴えるような眼差しで孝一郎の方を見上げてきたが、もちろん孝一郎には口を出す権利はないので口を閉じておく。
「…………ねえ、ちょっと待って。みんな知ってるよね。俺これでも二十七なんだけど。相田くんなんかまだ二十二才の現役じゃん。なんで俺なの!」
『大学生に見えて、かつ〝ものすごく非常識で無遠慮な友人〟になりすますなんて器用なことできるのはおまえしかいねえだろ』
『相田には不向きですよ』
『うん、俺、無理』
「なんでこういうときに限って結託するのかな……」
 事務所トップであるはずの所長がそう唸ったが、すでに勝敗は決していた。
「……わかったよ。俺がやればいいんでしょ、俺が! じゃあ甲斐が代わりに誘拐の方、カバーしてよね。相田くんはそのまま追尾。そっちはそっちで共犯とか情報漏えい元とか早瀬との関係とか、いろいろ可能性考えられるから」
 憤然としたように言って、それから彼は冷静に細かくそれぞれに指示を出し始めた。
 ウタは三島由利子が帰ってくるのを待ち、今後の行動に関して説明を済ませてから、すぐに杉山博志宅に向かい、できる限り十五時半までに三島有紗の所在を確認する。甲斐がウタの代わりに渋谷での身代金受け渡しをサポートすることとし、由利子にはGPS発信機を備える携帯端末を渡し、それを通じて現地までの案内を市川が行う。相田は対象者三島有紗の親友である妹尾理子が誰かと接触するまで追尾──。
 イヤホンを分け合い、頬を寄せてそれらを聞いていた孝一郎は、指示を終え通話を切ってすぐに漏れたウタの小さな吐息を耳にして、思わずウタに声をかけていた。
「大丈夫ですか?」
「え? ──あ、うん。大丈夫だよ」
 きょとんと目を丸くしてすぐ目の前の孝一郎を見返し、それからウタはふわりと柔らかい笑みを浮かべて見せた。
 付き合いの浅い孝一郎には、それが演技なのか本当なのかが分からない。
 そして自分の気遣いめいた声がけが正しいのかどうかも分からなかった。
 なぜ、大丈夫かなどと聞いたのだろう。とっさに口から飛び出した。触れてもいないのに、すぐそばに立っていて感じていた熱に向かって、言わずにはいられなかった。
 ウタはどこか気安く声を出した。
「真山さんには悪いけど、次は東松原までお願いね」
「いえ、運転ぐらいはいくらでも。……他に手伝えることがあれば言ってください」
 一時雇いのバイトとはいえ、事務所のスタッフには違いないから。
 そう自分に言い訳をして、孝一郎は言っていた。
 イヤホンを外したのだからもう離れてもいいはずなのに、その近さのままでいた孝一郎を見て、ウタは何度か目を瞬かせる。それからにっこりと笑った。
「足になってもらっているだけで充分助かってるよ。──ありがと」
 その笑みはたぶん本物だと、孝一郎は思った。
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