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エピソード文字数 5,478文字

 もともと、ウタの格好はどこから見ても大学生だ。
 依頼主と言葉を交わすときやスタッフに指示を出すときの冷静な姿を目にしているうちに、だんだん年相応にも見えてきたが、一見するとただの軽そうな若者であることは確かで、「本当に大学生に見える?」とウタに聞かれた孝一郎は、正直に頷いていた。
「最初に会ったとき、なんでこんなところに大学生がいるのかと思いました」
「ええっ、そうなの? それでよくうちの事務所までついて来たね」
「それは、まあ、岡崎さんの紹介でしたし」
「そっか。じゃあ最初は十個ぐらい下に見られてたんだ。ふうん。じゃあ真山さんは年上と年下、どっちが好き? 年下は何歳までオッケー?」
「────あの」
「俺みたいな童顔は趣味じゃない?」
「……それ以前に、性別の問題があると思いますが」
「あははは。そうだ、真山さん、普通にストレートな人だった!」
 会話の意図が読めず渋面を作って答えた孝一郎に、陽気にウタは笑い返した。今から〝ちょっとリスキー〟と自分でも言った仕事に向かうにしては、随分とのん気な様子だ。
 だが実際にそんな気楽なものではないはずだった。
 世田谷区にあるという杉山博志の部屋に向かう車中では、ウタは市川から送られた杉山博志の情報、甲斐が話を聞いた友人の話や情報を熟読していたし、それと同時に身代金受け渡しのサポートについても市川と甲斐にあれこれと指示を出していた。
 部屋の近く──と言っても、マンションの入り口をぎりぎりチェックできるが、部屋の玄関は全く見えない離れた場所に車を止めて、ウタはそんな軽い会話を孝一郎と交わしながら、手際良く準備を始めたところだった。
「やっぱり普通の人は男に欲情しないよね。ああ残念。真山さん、本気でタイプなのに」
「……業務中のそういう発言は、セクハラに当たります」
「本っ当に、真山さんって面白いひとだねー。じゃあさ、今度プライベートで一緒にお酒でもどう?」
「所長、」
「あはは、ごめんごめん。もうやめるから」
 笑って交わす軽い会話が緊張を紛らわせるためのものなのか、ごく普段通りの態度なのか、いまひとつ孝一郎には掴みきれない。
 その間にもウタはポケットをひっくり返して、身につけていた財布や鍵や普段使いの携帯をすべて取り出し、インナーイヤー式の小型無線イヤホンを耳にはめ込んだ。それからピンバッチ風超小型マイクをパーカーの襟首近くにつけて、仕事用と思われる別の携帯を手に取る。
「つけたよ、市川くん。聞こえる?」
『──はい。オッケーです。ちょっと雑音が大きいですけど、聞きとれます。問題ないです。──って、こっちの声は聞こえてますか、所長』
「うん。聞こえてる」
 それらの会話は車中のパソコンの方からも聞こえたが、耳にはめたイヤホンを指先で抑えたり離したりして確かめているあたり、イヤホンからも音声が聞きとれているらしい。
「これ、甲斐と相田くんにもつないでる?」
『今は切ってますけど、こっちでつなげられますよ。つなぎますか?』
 うん、と頷いて、ウタが目線をあげて車内の時計を見た。
 ──十五時十二分。
 プッ、とパソコンから音声が切り替わるような音が聞こえて、さすがに慣れてきた孝一郎にも複数同時通話がつながったのが分かった。
「甲斐、相田くん、状況報告できる?」
『今、渋谷駅改札前で待機中。三島由利子は──今、電車か?』
『はい。今、田園調布です。あと十三分で渋谷駅に到着予定。アプリで常時三島由利子とはつながっていますが、今のところは落ち着いています』
『……相田です。あのう、実は彼女、渋谷のゲーセンで男と落ち合ったあと、すぐに移動してて──今、井の頭線なんですけど。これ、まさか東松原行っちゃったりしないですよね。……とりあえず継続追尾中です。遠目の写真はすぐ市川に送りますが、これがまたなりは悪くないですが、ちょっとチンピラいというか』
「井の頭? 妹尾理子と杉山博志は直接接点あるんだっけ。そのチンピラい男が早瀬の関係者なのかな。──甲斐、写真、早瀬に流して確認してもらって。たぶん無視されると思うけど。……渋谷から離れるなら、とりあえず誘拐とは無関係と考えていいかな」
 ウタは顔をしかめる。
「まあ、今はいいや。相田くんはもう少し追いかけてみて。甲斐はそのまま三島由利子が来るまで待機。俺の方は、今から行って、できれば十五時半までには中を確認できるようにしてみます。通話は接続したままで行くから、市川くんバックアップよろしくね。もし中に三島有紗がいたら誘拐犯の無理な追跡はしなくていいから、甲斐もこっち聞いておいて。──じゃあ」
 ウタが言葉を切った。
 運転席の方を振り返り、それまでただ黙ってやり取りを見守っていた孝一郎を見つめて、ふと眼差しを和らげる。
「ちょっと行ってくるね。……ここで待ってて、真山さん」
 軽い調子でそう言って、ウタは車から降りた。
 つい助手席の窓を開けて、声をかけたい衝動に駆られたが、孝一郎はなんとかそれを抑えた。そうする場面ではないことぐらい分かる。車の後方にあるマンションの方へ歩いて行くウタの後ろ姿をサイドミラーで確認し、それからフロントミラーで追いかけて、最後には身体をよじって後ろを振り返っていた。
『──さきほど画像でお見せしたように、部屋の間取りは約八畳のワンルーム。玄関に入ったらすぐ右手に短い廊下があって、ドアの向こうが居室です。そこまで入らないと確認はできないと思いますので、気を付けてください』
 パソコンから市川の声が流れてくる。ウタにも聞こえているはずだが、孝一郎が見送る背中には特に反応が見えなかった。
『現在、部屋の中には六名。全員女性です。……襲われないでくださいね』
『っ、変なこと言わないでよー、市川くん』
 ひそやかな声がようやく笑って孝一郎はほっとしたが、マンションに向かうウタから目は離せない。だが、ここから見送れるのはマンションの入り口までで、その姿がマンションの中に消えたところで、孝一郎は助手席に置かれたパソコンに視線を移した。
 パソコンには昨夜設置したという玄関先のカメラ映像が映っている。
『……カメラ、所長の姿、捕らえました』
 モニタリングする市川の声に対して、もう返事はなかった。
 映像に映ったウタがほんの少しだけカメラの方に顔を向けて、すぐに前に向き直った。手が伸びて、部屋のインターホンを押す。
 ピンポーン、とその音はウタのマイクを通して、パソコンから聞こえた。
『最初の二人組は鍵を持っていたようですが、あとから来た子たちはみなインターホンを鳴らしているので、たぶん応対はあるはずです』
 緊張したような静かな市川の声がそう囁くとほぼ同時に、インターホンから『はい』と小さな声が返ってきた。女子の声なのは明らかだったが、ウタは気付かないふりをする。
『──あ、杉山? 俺俺。悪ぃな、突然。ちょっと急きょ、おまえに貸してるノートがどうしても必要になってさあ』
 いつものように軽い調子のウタの声が言うセリフはいかにも大学生らしい。
『ほら、週明けのレポート。あれ落としたら、とうとう単位やばいらしくって──杉山?』
『…………』
『もしもし? 杉山くん? 杉山博志くーん?』
 ──と突然、プツリとインターホンの接続が切れた。
『ええっ!? ちょっ、マジなにそれ』
 まるで友人の悪戯に驚いたように笑ってみせて、すぐもう一度ウタはインターホンを押す。少し迷ったような間が合って、またプツリと接続された音がしたところに、ウタは笑いながら言葉をたたみかけた。
『ちょっと冗談マジやめてー。俺の進級がかかってんよー。別に貸した礼はまた今度でいいからさ、マジでノートだけ返して。お願い、杉山くぅんー』
『……すいません、彼、今いないんで』
『へっ? っていうか誰。──あ! もしかして、杉山の彼女? うわっ、ごめん邪魔して──って、え、で、杉山いないの!? マジで? すぐ戻ってくる? ああっ、いいや。別にすぐ戻って来なくても。じゃあさ、俺のノート探してくれない? たぶんそのあたりに落ちてると思うんだけど、なんか普通のノート、こういう大きさの、』
『────』
 プツリとインターホンの接続が切れた。
『……えぇぇーっ』
 まるでお笑いのネタのように、ウタが玄関先で不満げな声をあげる。
 だが、今度はすぐにインターホンは押さず、玄関前でもじもじしてみせた。覗き穴から見られていることを意識しているのか、半歩帰ろうとして見せて止まり、ううと唸りながらセットした髪を触る。
『ちょーマジで? あー、やー、でもやっぱ困るっつーか──待つか、いや、』
 ぶつぶつと呟き、やがて決心したように、また玄関の方に向いた、ちょうどそのタイミングでガチャリと音がした。
 鍵の開く音──。
 映像の中で、ウタが顔を上げる。ドアが開いた。内側から恐る恐る覗くように顔を出してくる女性の頭が垣間見える。その隙をウタは見逃さなかった。
『……これ?』
『うわ、ごめん助かる』
 なにかを差し出してきた女性の言葉も聞かずに、ドアを掴んでウタが中に半歩踏み込む。
『あ、でも、これ違うや。他になかった?』
『は!? じゃあ知らない、そんなの』
『いいよいいよ。俺、自分で探すから。あいつ、いっつも俺のノートと自分の、ごっちゃにしてるんだよなあ──ごめんごめん、すぐ見つけて帰るから』
『ちょっ、なに。え、なにアンタ──』
 鍵さえ開けばこっちのもの、とばかりに、無邪気そうな言葉とともに、玄関先の女性を押しのけるようにして、強引にウタが中へ入っていく。
 映像で彼の姿を捉えられるのはそこまでだった。
『──所長、中に入りました』
 市川の声が短く低く補足する。
 マイクから聞こえる音声で、甲高い女子の声がウタを追いかけていくのが聞こえた。
『ちょっと、なにアンタ、勝手に入ってんの、マジ困る。ねえ、ちょっと!』
『前に入ったことあるから、大体どこらへんにあるか分かるから、大丈夫大丈夫』
『大丈夫じゃなくて──ちょっともうマジで!』
 どたどたという複数の足音が聞こえて、ガチャリと部屋の中のドアが開く音がする。
『──あれ?』
 ウタのあっけにとられたような声。
 部屋は静まり返っていた。遠くにテレビの騒がしい音が聞こえていたけれど、誰も声をたててはいなかった。中に女性が六人もいるとは思えない静けさだ。なにも見えない音声だけの情報では、誰もが突然の闖入者に息を飲んでいるように感じられた。
 気づくと孝一郎は、動きのない玄関のドアを見つめて、拳を握りしめていた。
『えーっと、ここ、杉山んち、だよね?』
『…………』
『なに。今からみんなでパーティ? てか、なんだよ杉山、こんなに女子高生と知り合いなんて聞いてねーっつーの──……って、あれ。……あ、そっか』
 不意に演じていたウタの声が、いつもの素の声に切り替わる。
『そうだ、思い出したよ。あの缶、心斎橋店オープンの一周年記念の限定デザインだ。そうか、杉山って関西出身だったっけ。じゃあJK優先って、ディズニーでも行ったかと思ってたけど、USJか。うわ、羨ましいなー。JKと小旅行なんじゃん』
『──市川、東海道新幹線の品川到着時間を調べろ。それと杉山の実家の連絡先も』
 落ち着いた低い声が挟み込まれた。甲斐の声だ。
 ウタの強引過ぎる振る舞いに、若い女性の声がヒステリックに叫ぶ。
『ちょっとアンタなんなの! メーワク、超メーワクっ、出てってよ!』
『あ、ごめんごめん。なんか、ないみたいだから、帰るよ』
『……いないんだな?』
『うん、やっぱりないわ。本当にごめんね。俺の勘違いだったみたい。もう出ていくよ』
 甲斐の声に応えるようにウタが頷く。
 ──三島有紗はいない。
 そういうことだ。
 ならば、あとはウタがこのまま無事に部屋を去るだけ。ウタのこの感じであれば、それはたやすいだろう、と孝一郎がほっと息をついた。
 そのときだ。
『──すいません!』
 突然、切迫したような声が飛び込んできた。
『相田です! 所長、すぐ外に出てください! やっぱり東松原、降りました。親友とチンピラい男、そっち向かってます!』
「──っ」
 孝一郎はとっさに後ろを振り返っていた。
 杉山博志の部屋は駅から徒歩一分。マンションの前の通り、この車の後方へまっすぐに歩いて行って、角を曲がった少し先がすぐ駅のはずだ。
 あそこか、と角を見つめたちょうどそこに、人影が現れる──二人連れの。
『角、曲がりました。もう、マンションの入り口、視界に入ってます』
『奥に駐輪スペースがあっただろ、そっちに隠れろ、ウタ!』
 相田の声にかぶさるように、甲斐が鋭くウタに指示を出す。孝一郎はパソコンに目を戻した。だが、玄関先を映すカメラに、出てくるべきウタの姿が現れない。
『……所長、早く外に出てください』
 緊迫した市川の声が静かにそう促したが、それでもウタは聞こえているはずの彼らの声に応えなかった。
 早く出て来い。出てきてくれ。早く──。
 我知らず孝一郎はそう念じながら、パソコンを見つめていた。
『ところで、きみたちさ』
 やがて、どこか掠れた声が、パソコンから零れ落ちた。
『──もしかして、クスリ、やってる?』
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