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文字数 3,789文字

「……つ、強いんだ、ね」
 十分後、ウタが唸るように呟いた。
 その声に首だけよじって振り返った孝一郎の足元には、三人の男が倒れている。二人は失神していて、一人は脇腹を押さえてもだえ苦しんでいる。
 本当に孝一郎は、手を使わずに済ませた。
「まあ、鍛えられましたから、一応」
 たとえ手が塞がれていても、急所ポイントを知っていて、身体さばきと膝や踵を使った打撃技を組み合わせれば、素人相手に一体一の勝負で負けることはない。
 一人目の柄シャツ男は鉄パイプを大振りして隙だらけだったため、最初の一撃をよく見極めてかわしてしまえば、軽く足をひっかけただけであっさりとバランスを崩し、そこを蹴り一発で沈めることができた。それに慌てた髑髏パーカー男がポケットナイフを取り出してきたが、突き出してくる前に腕を蹴り上げてナイフを飛ばせば、それだけでうろたえた男を倒すのは簡単だった。
 三人目のチンピラ風男は少し手間取ったが、足で椅子を蹴ってぶつけて動きを封じ、がらあきの脇腹急所に強烈な膝蹴りを入れたところで、戦意を喪失──。
 ウタがもぞもぞと身体を動かし、よいしょ、と掛け声をかけて立ち上がった。
「なにをどう鍛えたら、こんなことになるんだろう」
「母方の実家がわりと歴史のある家で、江戸時代より続く古武道本家をしておりまして、それが原則親族のみで継承するものでしたので、否応なく習わされました」
「……古武道」
「あと子どものころに従兄弟同士で、誘拐されたときにどう対応するかとか、山で遭難したときはどうするかとか、よく遊んでいまして」
 それ自体はいわゆる、よくある子どもらしい〝ごっこ〟遊びだ。
 ただ古武道を習っていた従兄弟同士では「誘拐犯の撃退法」や「ひったくり撃退法」、さらに「熊または猪の仕留め方」なんて馬鹿な設定も含めていたので、普通の子どもたちの遊びより少し剣呑だったかもしれないが。
 後ろ手に縛られたまま隣まで歩み寄ってきたウタは、そんな孝一郎をなぜか困った顔で睨み上げてくる。
「なんで、こう、ときめきポイントを加算していくわけ?」
「はい?」
「俺、本気で惚れちゃいそうなんだけど」
「ッ、冗談を言ってる場合か!」
 思わず孝一郎は素で怒鳴り返していた。
 まったくこんな状況で言う冗談ではない。これ以上馬鹿馬鹿しい話を続けられないように、憤然と孝一郎は現状の方へ意識を戻した。
 ──縄抜けができないときは、ライターもしくは鋭い刃物で縄を切る。
 子どものころの遊びをよく覚えているな、と我ながら感心しながら、孝一郎はあたりを見回して、先ほど蹴り飛ばしたナイフを隅に見つけた。
「まず手を自由にしましょう。あんたがどうしたいかは知りませんが、話はそれからです」
「頼もしいなあ、刑事さん」
「…………」
 馬鹿にしてるのか。
 こんな状況においても変わらず飄々と軽口を続けるウタに言葉を返す気にならず、口をつぐんで孝一郎はナイフを拾いに行った。とはいえ、親指を戒められている状況ではナイフを拾ったところで、自力で切るのは困難だ。
 呻いている男のそばで変な動きをしないか見張っているウタのところに戻って、孝一郎は後ろ手に持ったナイフを向けた。
「私がナイフを持っていますので、これでご自分のを切ってください」
「えー、俺、そういうの超苦手。俺がまず持つから、先やってくれない?」
「……分かりました」
 緊張感の欠片もないウタにナイフを渡して、彼の手の中で固定された刃に親指と親指の狭間をつなぐバンドを角度をつけて当てて、孝一郎は力を込めた。
「ッ」
 カッと燃えるような痛みが走って、ぐっと孝一郎は唇を噛みしめた。さすがにこんなことには慣れていないせいで、バンドを切ると同時に皮膚を切ったようだ。
 だが同時に腕が開放されて、孝一郎はほっとする。
 ──そこに、油断が生じた。
 背中にいるウタを振り返ろうとしたその視界の隅に、閃くように黒い物体が過ぎる。
「ッ!」
 それがなにか正確に認識するより先に、とっさに孝一郎は右手でウタの腕を掴んで、振り返る身体の流れのまま、自分の後ろの方へ引き寄せていた。
 それと同時に左腕を肩まで上げたところに、鈍い衝撃が来る。
「ぐっ……!」
 膝が落ちるのを寸前でこらえた。
 突き放すように手を離したウタが、その勢いで離れた床に倒れ込んだのが分かったが、それを目で確かめる余裕は孝一郎にはなかった。
 体勢を整え直す余裕も。
「──真山さんっ!!」
 丸めた背中にさらに強い一撃を叩きこまれて、足が崩れる。反射的に床に手をついて、足払いを仕掛けたが、足を引っかけられた相手の身体がそのまま背中の上に倒れ込んできて、孝一郎はコンクリの床に押し潰されていた。
 間髪を容れずに片腕を取られ、身体の上に重みが掛ってくる。
「うっ」
 その腕のひねり上げ方に、コツを知っている相手だ、と瞬時に思う。
 しかもかなり武道の嗜みがある玄人だ。
 なぜか、誰か、を考えるよりも、孝一郎は顎を持ち上げて、狭い視界の中で目についたものへ手を伸ばした。が、その指先が床に落ちたナイフに届く前に、ゴツリと後頭部に硬いものが押し当てられて、ガクンと落ちた顎をコンクリに強かに打ちつける。
「やめろッ!!」
 制止する、ウタの叫ぶような声が鼓膜を揺らす。
 一体なにをそれほどまでに必死になっているのか、とウタの方を見ようと首をよじったところで、その視線を遮るように革靴が見えた。
 ──二人だ。
 両手を後ろに回され、地べたに押さえつけられた状況で、孝一郎は冷静にそう判断する。
 スチール棚の向こうから新しく現れたのは、自分を捕らえている男と革靴の男の二人。
「……さて」
 そう口火を切ったのは革靴の男のようだった。
 孝一郎はもう一度顔を上げてみたが、今度はそれを妨げられることはなかった。
 後ろ手に縛りあげられたまま半身を起したウタと、孝一郎のちょうど中間地点ぐらいに佇んでいるのは、三十代前半ぐらいの男だ。
 白いシャツに黒色のスーツを着こなした姿は、ごく普通のサラリーマンにいてもおかしくないはずなのに、なぜか決してそうは見えない。
 手になにか黒い物体を握っている。
 孝一郎にも判別がついた。これはヤクザだ。
「なかなか面白いことになっているじゃないか。──田澤(たざわ)、俺はおまえに『俺が行くまで待ってろ』と言った覚えはあるんだが、おまえはただ『待つ』こともできないのか?」
 田澤、というのはチンピラ風の男のことらしい。
 少し離れたところで、孝一郎に蹴りつけられた脇腹を押さえたまま、その田澤がなんとか身体を起こす。
「それに、捕らえた男は一人だと聞いていたが、おまえの話と全然違うな」
「か、片山(かたやま)さん! それは……っ!」
「役立たずはごちゃごちゃ言い訳すんな」
 声を荒げることなく、冷やかにヤクザの男──片山がそう言っただけで、田澤は言葉を飲み込んでいた。
 どうやらこれが主犯の男のようだ。
「さて、どっちがどっちだ? ……どっちが説明をする? おまえか」
 静かに問いかけながら、片山が手にした黒いものをウタへと向けた。と思えば、次にはその手を孝一郎の方へ向けてくる。
「こっちの武闘派か?」
「────」
 男が手にしているのは、拳銃のように見えた。
「っ、……下ろして、それ」
 ウタが呻くような声で、そう片山へ請うた。
 これまでの彼らしい余裕が見えなくて、孝一郎は顔を歪める。ウタがそれほどまでに不快感を表すのであれば、彼の手にしているものは、普通の一般人が目にすることなんてまずありえないものだが、モデルガンではないのだろう。
 状況はまったく良くなかった。
「なるほど、こっちの方がよく説明できるということか。──で、おまえらは誰だ」
「とにかく、銃を下ろして。話はそれから」
「そんなこと、頼める立場だと思っているのか?」
 片山が低い声で問い返して、手にした銃をウタの方へ向ける。反射的に孝一郎が身体を起こそうと背中に力を込めた途端、自分の上に乗っている男が体重をかけてきて、それ以上の動きを取れずに、ぐっと真山は唇を噛んだ。
 計算ミスだ。
 拳銃なんて飛び道具は考慮に入れていない。
「待ってよ。俺がなんでここにいて、なにをどこまで知っているのか、知りたいんでしょ? 俺は手を縛られているし、彼も捕まっているんだ。銃は必要ないと思うけど」
「こっちは、全員バカとはいえ三人も潰されてるんだ。警戒するのは当然だろ」
「……銃を向けるなら、俺の方がいいよ。彼は、俺の安全を盾にとれば、なにもできない。俺の言うことには逆らわない」
「バ、カ……ッ、あんたなに言って!」
 胸を押し潰されながら、孝一郎がそう唸った。
 自分が盾に取られてウタになにかを強いることになるのも嫌だが、自らに銃を向けるよう促す彼のやり方は腹の底から苛立たしかった。
「だからあんたのそういうのが……ッ!!」
「黙って」
 静かな声が短く言い放った。ウタは孝一郎を振り返りもせず、まっすぐに片山を──自分を狙う銃口を見つめて、視線を逸らさなかった。
「本当のことを話す。──だから、俺と取引をしよう」
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