4-5

文字数 3,820文字

 片山は田澤の方へ顎をしゃくって、折りたたみ椅子を持ってこさせると、それに腰を落とした。銃は手にしたまま、ウタの方へ軽く向けるようにしながら話を促す。
 ウタは身体を起こして、その場に座り直した。
 そうして片山を見やってから、少し首を傾げてみせる。
「えーっと、まずはお互いに自己紹介するのがいいかな?」
「…………」
 いつもの余裕を取り戻したのか、それともそういう間の抜けたキャラクターを演じているのか。男の身体の下に押し潰されたまま、孝一郎は顔をしかめた。
 片山の眉間にも険しいしわが刻まれる。
「……おまえは名乗れ」
「俺? 俺は新宿の外れにある北島調査事務所の北島ウタです。要するに興信所の所長。ちっちゃい事務所だけどね。で、あなたは? ……って聞いても名乗るわけないか」
 軽く肩をすくめて、ウタは気安く話を続けた。
「まあ、いいや。興信所っていうことで、当然人から依頼を受けて仕事をしているわけ。今回は杉山博志の親から依頼を受けたの。親曰く、どうも最近様子がおかしい、と。先日仕事で東京に来たときに彼の部屋まで見に行ったら、たくさんの女の子が出入りしていて驚いた。なにがどうなっているのか調べてほしいって。ちょうどこの週末は杉山博志が旅行に行くという情報を耳にして、これは直接部屋を調べる良いチャンスだと思ったわけ」
 良く回る舌が、ぺらぺらと嘘八百を並べる。
 孝一郎はおかしな反応を見せないように、口を閉じた。
「──で、なんとか策を弄して部屋に侵入したら、本当に女の子がいっぱいいたから驚いたよ。これはどういうことかなあと思ったところに、このカレがやってきて捕まって、ここに連れてこられちゃったってわけ。ちなみにそっちの彼はうちの短期バイトの運転手で、よく分かってないから俺のこと追いかけてきちゃったの。これが、ここまでの経緯」
「ずいぶんとシンプルな話だ。それをそのまま信じるとでも?」
「あ、やっぱり難しい?」
 さして困った様子もなく、緩やかな笑みを浮かべてウタが小首を傾げて見せる。
 対する片山は、座った膝に肘をついて、手の中で拳銃を弄んでいた。いつでもそれを使えるのだ、と暗に脅しをかけるような仕草で。
「でも信じてもらうしかないかな。だってそれが真実だもの」
「あんたも本気でその話が通じてるとは思ってないだろ。たかが素行調査にやってきただけの探偵が部屋に不法侵入? なかなか面白い話じゃないか。しかもこうして拉致されて銃を突きつけられているくせに、おまえはこの状況に怯えてもいなければ、奇妙にも思っていない。ずいぶん不自然だとは思わないか」
「そうだね」
 あっさりと頷いて、にっこりとウタは笑った。
「でも本当だよ。俺だって知らなかったんだ、あの部屋に行くまでは。──まさか、あの部屋で売春とドラッグの密売が行われているなんて」
「やっぱり知っていたのか」
「知ってたんじゃないよ。つい今日さっき、部屋に行って初めて気が付いたの」
 杉山博志の部屋で。
 売春と、ドラッグ。
「……は!?」
 そのキーワードが遅れて頭の中で認識されて、タイミングを外しながらも思わず孝一郎は顔を上げていた。こんな目に会っているのだから、当然あの部屋になにか怪しいことが起こっているのは分かっていたが──。
 ウタがちらりと孝一郎の方を一瞥して、また視線をまっすぐに片山へ戻す。
「さて、ここで取引です」
「取引?」
「本当に良いアイディアだよね。あそこ、週末家出少女のシェルターにしてるんでしょ。声をかけるのは同年代の良いとこのお嬢様たちで、部屋は某有名私大の学生のもの。そこに集まっているのは女の子だけ。そんなところあったら本当に神待ち家出少女にとっては天国だよね。そんな女の子たちをうまく使って、売春とドラッグ密売の二重商売なんて、本当においしいビジネスだ」
 手の中で弄んでいた銃を右手に握った片山が、うっそりと顔を上げる。
 その不穏な眼差しにさらされてもなお、ウタはいつもの悪戯っぽい笑みを崩さなかった。
「でも、俺は黙っておくよ。あの部屋で見たことは」
「……なに?」
「だから、あの部屋と杉山博志と女子高生たちからは手を引いてもらいたい。そこの田澤クンとお付き合いしている女の子も含めてね。ああ、もちろん俺たちのことも解放してもらいたい」
「どうやら、おまえは自分の立場が分かっていないみたいだな」
 淡々と低い声がそう言うと同時に、黒い銃口が持ち上がる。
「おい……ッ!」
 叫ぶと同時に、自分の上に乗っている男の膝がぐっと背中を押してきて、胸が圧迫される痛みに息が詰まった。だが構わずに続けて叫んだ。
「やめろ、銃を下ろせ!」
「立場が分かってない男が、ここにはもう一人いるようだが」
「銃下ろせって言ってんだろうが……っ!!」
「バイトは黙ってて!」
 騒ぐ孝一郎をそう一喝したのはウタだ。思いがけない乱暴な口調に孝一郎は言葉を飲み込んでいたが、ウタはそれを一瞥すらしなかった。
「……自分の立場はよく分かっているつもりだよ。だから取引を申し出てる」
「何の取引にもなっていない。おまえを黙らせるのに、そんな取引が必要だと思うのか」
「だから俺は黙っておくって言ってるんだよ。──前田には」
「────」
 突然前触れもなく発された名前に、片山が動きを止めた。それに気づいて、孝一郎も思わず床から顎を上げて、片山とウタを見比べている。
「俺ね、あんたの顔、知ってるんだよ、片山さん。龍山会系の三次団体木内興業の構成員だよね。若頭前田(まえだ)哲司(てつし)の右腕──は言い過ぎかな」
 ウタが笑みを顔に張りつけたまま、さらりと言い放つ。
「実は、俺の頭の中に大容量のデータベースがあってね、一度入力したデータはほとんど忘れないの。女子高生たちが家出少女だって分かったのも、彼女たちの制服が東京郊外、茨城、埼玉のものだってひと目で分かったから。あなたのことは写真で見たよ。あれは昨年の龍山会の総会のときの写真だ。木内興業若頭の前田哲司と一緒に写ってたな。……あれ? でも確か、最近、前田の上納金が滞っているらしいって話を聞いた気がするなあ」
「……おまえ」
「右腕がこんないいルートを確保してるなら、そういう問題にはなってないんじゃないかなあ。というか、木内興業自体も存続が結構やばいっていう噂もあるんだよね。──ねえ、片山さん、あなた前田哲司、見限っているんでしょ。知られたくないよね、この話」
「…………」
 沈黙が落ちた。
 コンクリの冷たい床に張り付いたまま、孝一郎は息を飲む。ウタの記憶力も情報力も信じられないが、ヤクザ相手に銃口を突きつけられながら、脅しともとられかねない交渉を仕掛けているふてぶてしさに、ぞっと背筋が冷えた。
 ──なんで、そんな。
 あまりにも危険すぎる、ギリギリのやり方だ。
 ウタの頭に狙いをつけた片山の手の中の銃が、僅かに震える。
「……だが、ここであんたら二人を殺したらそれで終わりだ」
「うん。でも、そしたらあんたも終わりだ。もー、少しは考えてよ。なんでたかが興信所の所長の俺がこんなに内情に詳しいのかってこと。どこから情報引っ張ってるかって話。ねえ、さすがに片山さんぐらいなら耳にしたことがあるよね、最近、噂の龍山会の鷹」
「……鷹?」
 問い返して、それからハッと片山が息を飲む。
「まさか、──あの」
「そう、その鷹。……なあ、あんた、前田──いや木内を見限ってるんでしょ。なら、紹介するよ、俺のイイひと」
 奇妙な言い回しをして、ウタは不敵に、どこか蠱惑的にすらみえる笑みを浮かべた。
「あんた、結構頭回るし、冷静だし、鷹のお眼鏡にはかなうはず」
「……おまえに、そんなことを鷹に頼めるほどのなにがあるっていうんだ」
「彼は自分の利益に貪欲だからね。俺は彼から情報をもらい、彼の利益に奉仕する。俺たちはお互い、ビジネス相手として認め合っているんだ。……ああ、それよりもっと分かりやすい理由を言おうか? 俺、鷹の情人(イロ)なんだよね。俺が死んだら厄介だよ。噂で聞いているでしょ、あの子、若いくせに本当に容赦ないの。人ひとり殺すぐらいで顔色変えたりしない。でも、俺にはすごく執着してて、俺を殺すのは自分だって言ってるぐらいだから、自分以外の誰かが俺を殺したりしたら、あの子は怒るだろうなー」
「…………」
 片山の顔からは表情が消えていた。
 まっすぐにウタを見据えながら、銃口を逸らさずに、椅子から立ち上がる。
「っ」
 孝一郎は背中で捕らわれている不自由な両手を、ぎゅっと爪が食い込むような強さで握り締めた。
 一瞬の躊躇いが、致命的になる。
 一歩、片山が無言でウタに近づいた。それからもう一歩。次の一歩で、銃口がウタの額に触れる──。
「ッ!」
 片山の足がもう一歩前に出ようとした瞬間、孝一郎は身体をよじり、右足で背中の上に乗っていた男の太ももを踵で蹴り上げていた。その衝撃で男がバランスを崩したところを、渾身の力で上半身を跳ね上げて、自分の身体から振り落とす。
 身体を起こした勢いを使って、足を踏み出した。
 コンクリの床を強く蹴って、その先へ手を伸ばす──そのとき。
「──ウタッ!!」
 ガアンッと大きな音が倉庫内に響き渡った。
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