5-3

文字数 3,650文字

「……いいや、おうちの前で帰ってくるのを待とう」
 離れたところからカップルがゲーセンで楽しく遊んでいる様子を眺めて、結局ウタはそう言った。
「大金を持っているから心理的に一晩中外を出歩くよりも、室内に入って腰を落ち着けたいだろうし、かといって週末の道玄坂のホテルなんて超満員だし、そろそろ妹尾理子ちゃんから今日は解散した報告を受けているだろうし、行く場所はあの部屋しかないよ」
 相田と甲斐の二人を渋谷に残して、孝一郎の運転で一足先に杉山博志宅へ向かう。
 てっきりすぐに二人を捕まえて家に帰すのかと思っていたので、孝一郎は少し拍子抜けをした。
「本当は、家に帰るように説得するのは親の役割なんだよ。俺たちは親の依頼を受けて対象者を探すけど、彼らを無理矢理連れ戻したりする権利はないからね。もし引っ張りたてて連れて行こうとしたら、逆に俺たちが未成年者略取で捕まっちゃう。でも、今回はちょっと特別扱い。今後はあんまり危ないことしないように、釘を刺しておかないとね」
 さらりとウタはそんなことを言う。
 孝一郎は〝家出人探し〟の基本を知らないので、どこから特別扱いなのかもよく分からず、口をつぐんでハンドルを握った。
 杉山博志の部屋の近くに車を停めるのは二度目だ。
「たぶん小一時間で帰ってくるよ」
「……少しは休んだら、どうですか。小一時間でも」
「うん。そうだね」
 そう言いながらも、ウタはパソコンに向かっている。
 気づけばこの男は依頼を受けてから、ほとんど休むことなく働いている。寝る間を惜しんで対象者の少女を探し、潜入した先では家出少女たちの身を案じてヤクザと交渉し、その間に殴られたり、監禁されたりしているのに、なにがそこまで彼を突き動かすのだろう。
 孝一郎には、それが単なる仕事意識の高さだけでは片づけられないように思えた。
 ──いや、別にそんなことを気にする必要は全然ないのだが!
 することもなく運転席のシートに背中を預けて、横目で仕事に没頭するウタを見ているうちに、ふとそう孝一郎は我に返って奥歯を噛みしめた。
 どうせ自分は一時期のバイトなのだ。ウタのことを気にする義理はない。
『……対象者、移動します。現在、渋谷駅。三十分発の各駅停車に乗車します。到着は約八分後』
 そんな報告が市川から入って、シートに沈み込むような変な体勢でパソコンと向き合っていたウタが身体を起こした。
「わかった。外であれこれ騒ぎにしたくないから、お宅訪問にするね。着いたら、俺が中へ入るから、相田くんは自転車置き場のある裏口の方、甲斐は表玄関の方で待機」
『はーい、了解でーす』
『──おまえ、また一人で入る気かよ』
 軽い相田の返事のあとに続いたのは、甲斐の苦々しい声だ。
『ガキ二人だからなんにもねえだろうけど、今回は潜入でもないんだし、念のためにせめてそこの素人でいいから、連れていけよ』
 素人とは自分のことか。
 今まで邪慳にしか扱われていなかった甲斐に、そんなふうに言われたことに孝一郎が驚いている間に、ウタは不満の声を上げていた。
「えーっ、別にそこまで用心しなくても──」
「行きます」
 ほとんど反射的に孝一郎はウタの言葉を遮って、そう宣言していた。自分でも驚いたが、ウタの方もぎょっと運転席の方を振り返って顔をしかめている。
 その表情が明らかに当惑して不満そうで、孝一郎は少し溜飲が下がる気がした。
「なにを言われても、拒まれても、俺は無理矢理にでもついて行きます」
「……それ、真山さんなら有言実行しちゃうよね。分かった。真山さんを連れていく」
 さっきの問答で充分理解したのだろう、諦めたようにウタがそう吐息を落とす。
『念のために、通信は常にオープンにしておいてください』
 市川がさらにそんなことを付け加えた。

 今日の午後、部屋に潜入したときと同様にウタは小型イヤホンと小型マイクを装着し、孝一郎にも小型イヤホンだけ身につけさせ、準備が整ったところに二人が到着した。
 それぞれ旅行用の荷物を手にしながらも疲れた様子もなく、仲良く腕を組み、マンションへ入っていく。
 家出や誘拐やヤクザや売春やドラッグや、そんな後ろ暗いことなどまったく感じさせない、そのごく普通のカップルの様子に孝一郎は面喰った。母親が今にも倒れそうなほど心配しているのに、この部屋のせいで拉致されたり殴られたりされている人間がいるのに、そういうものなのか。もっと家出した当人も深刻なものなのだとばかり思っていたが。
「さ、行こう」
 ウタはさっと車を下りると、二人を追いかけた。
 マンションに入る寸前にちらりと駅に続く夜道を見れば、相田と甲斐がすぐ近くまで来ているのが分かった。二人はマンションの裏口と表玄関を見張る役割だ。
 ……それにしても、素直に名乗ったところで、部屋のドアを開けてもらえるのだろうか。
 部屋の玄関を前にしてふと湧いた孝一郎の疑問を、ウタはあっさり吹き飛ばした。インターホンを鳴らし、長い沈黙のあと『はい』と応えた男の声に、こう返したのだ。
「あ、杉山さんのお宅ですか? すいません、俺、田澤さんから言いつけられて来たんですけど」
『……え、田澤さん?』
「あれ、聞いてません。ちょっと問題が起きたって話。それについて、今後のことを相談したいってことで」
 ──なるほど。
 つくづく興信所の人間は嘘がうまくなくてはいけないんだな、と孝一郎は呆れた。しかも、ウタのしゃべり方はいかにもチンピラの使いっぱしりっぽく、堂に入っている。
 それにあっさり騙されたのか、すぐに部屋のドアが開かれた。
 出てきたのは、杉山博志だ。
 学生証の写真で見るよりも、髪型や格好は垢ぬけていたが、今日遭遇した同じくらいの年齢のチンピラ男子を先に見ているせいか、本当にごく普通の平凡な少年のように見えた。
 チェーンを外されたドアにさっと手をかけて、にっこりとウタは笑いかけた。
「こんばんは、北島です。失礼して、中、入りますね。──あ、真山さん、鍵閉めて」
「えっ、なに、ちょっ、え!?」
 強引に中に入っていくウタまでは許容範囲だったらしいが、その後ろからついてきた背の高い背広姿の孝一郎を見て、なにかがおかしいと気づいた杉山が声をひっくり返す。
 そんな杉山の動揺などお構いなしに、ウタはずんずんと中へ入って行き、居室に続く内ドアを開けている。そこで、無遠慮なその背中と玄関先の孝一郎を見比べて、どうしたらいいのか分からなくなっている杉山を振り返って、またにっこり笑ってみせた。
「話があるから、杉山くんも中、入って」
 人の良い笑顔が効いたのか、杉山が奥の部屋へ入っていく。
 玄関の鍵を閉めてから、孝一郎もその後ろをついていき、少し考えてから内ドアを閉めてその前に立つことにした。
 奥へと細長い七、八畳ほどある広い居室の一番奥はつくりつけの棚とクローゼット、右手の壁際には低いソファベッドがあり、その向かい合わせになる左手側にはAVボードとAV一式がある。まさに、少し裕福な大学生の部屋といった感じだ。……正直言って、なぜこの部屋を見て博志が関西出身だと気づいたのか、孝一郎にはまったく分からなかった。
「え、なに? だれ? 博志、なんなの?」
 ソファに座っていた少女が、突然入ってきた男たちを警戒して、立ち上がる。
 ──三島有紗だ。
 大人っぽく化粧をして、ストレートのはずの髪もウェーブがかっていて変わっていて、格好もギャルっぽかったが、この近さで見れば孝一郎にもはっきりと彼女だと分かった。
 杉山が慌ててそんな彼女のそばに駆け寄る。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。なんなら二人でソファ座って。ちょっと話があるんだよ。ああ、テレビは消しちゃうね」
「田澤さんから、って……」
「うん。まあ、本当を言うと違うんだけどね。……しかし、きみたちも、もう少し警戒しなよ。理子ちゃんから聞かなかった? 今日やってきた変なひとのこと」
「ッ」
 にこやかなウタの言葉にハッとして、有紗の方が見事な反射神経で床に落ちた携帯を拾い上げていた。両手で持ってすぐに電話帳を呼びだそうとしている。
「うーん。理子ちゃんとか田澤に電話するのは別に構わないけど、たぶん誰も来ないよ。田澤は──というか、その後ろにいたヤクザさんは、この部屋から手を引くことを決めました。ということで、週末家出人シェルターは今日で終わり」
「な、な、なんで、ていうか、あ、あんた、なに!?」
「ああ、ごめん、きちんとした自己紹介がまだだったね。僕は新宿の外れにある北島調査事務所の北島です。きみの彼女、三島有紗さんのお母様から依頼を受けて、二日ほど前から姿をくらませた有紗さんの行方を探していました」
「────」
 必死で電話をしようとしていた有紗が凍りついたように手を止めて、ウタを振り返った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み