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文字数 3,694文字

 夢を見た。
 なぜか中華街で誰かを胸に抱えながら、一緒に逃げている。
 どうやらレースのようだ。誰かがなにかを話している。
「賭けは俺の勝ちだな」
「えー。まだこれじゃあ分からないじゃん。やったかやってないかは」
「やってるだろ確実に。大体こんな好物の餌を目の前にして、うちの所長がなにもしないわけないんだ」
 ……一体なんの賭けだ?
「でもトイレも見たけどゴムも形跡もなかったよ。匂いもしないし、まだやってないって」
「匂いっておまえは動物か」
「するじゃん、セックスしたあとって」
「──してねえよ!!」
 なんの話か分かった瞬間に、孝一郎はそう叫びながら目を覚ましていた。
 眼鏡がなくぼんやりとした視界に飛び込んできたのは、ソファのすぐそばに立って自分を見下ろしている二人の青年の姿。くっきり見えなくても分かる。もちろんこの事務所のスタッフである市川将人と相田翔だ。
 はっきりと目を覚ましたのに、なぜか身体が動かない──と自分の身体を見下ろして、思わず孝一郎は顔をしかめた。座って目を閉じたはずなのに、いつのまにかソファに足を投げ出すようにして横になっている。しかもその胸の上には、ブランケットをかぶった上司が気持ちよさそうに寝息を繰り返している。
 孝一郎は胸の上のウタと、そばに立つ二人を交互に見やり、それから息を深く吐き出した。誤解されかねない状況であるのは確かだ。
「……所長、起きてください」
 サイドテーブルに置いた眼鏡を掛けながら、孝一郎はそう呼びかけた。
 その声に、胸の上の熱が「んー」と唸りながら、もそりと動く。シャツの上から頬ずりをされるような感じになって、孝一郎は眉をひそめた。
「起きてください、所長。お願いします」
「ねー、所長。起きてくださいよー。やったんですか、やってないんですか」
「だからやってねえって言ってるだろ!」
 相田が楽しそうに横から覗きこんできて、反射的に孝一郎はそうがなり返している。それでようやくウタが頭を起こし、すぐ目の前の孝一郎の顔に見て、まだ寝ぼけているのかふにゃりと緩んだ笑みを零した。
「──……所長、すいませんが、起きてください。朝です。スタッフが揃ってます」
 なんとなく見てはいけないものを見た気がして、孝一郎は視線を逸らしながら言った。
 と、ウタは目を瞬かせると、首をぐるりと回して周りを見回す。
「あれ、相田くんも来てるの? え、もう十時!? うわっ、久しぶりによく寝たー」
「もうデータチェック終わりましたよ。すぐ始められます」
「さすが市川くん、仕事早いなあ。甲斐は?」
「一時間くらい前に顔出して、所長が寝てるの見て、また出てきましたよ」
 ふうん、と呟きながらウタが身体を起こしてくれたので、ようやく孝一郎も半身を起こすことができた──が、なぜかウタは足の上に座ったままで身動きはできない。とりあえず自由になった半身を動かして、無理な体勢で寝ていた凝りをほぐす。
 同じようにウタもあくびをしながら、首を回していた。
「甲斐のことはいいや。じゃ、市川くん、始めちゃって」
 市川がソファの目の前の自席に座った。相田はソファ隣の壁に寄りかかって腕を組む。
「じゃあ始めます」
 始めるなこのままで! と孝一郎は言いたかったが、三人が三人して真剣な顔をしていたので、つい口をつぐむ。
 市川が軽やかにキーボードを叩くと、一瞬にしてデスクのモニターにさまざまなウインドウが立ち上がった。
「──三島有紗、十五歳。名門女子高一年。クラブは英語コミュニケーションクラブで、成績優秀。ボブ黒髪、基本ノーメイク、友だちは同じクラブの妹尾理子(せのおりこ)、十五歳。妹尾理子の住まいは東京で、最寄りの元町・中華街駅に二人で向かい、妹尾理子は四時五十分ごろの電車に乗った模様。その後、三島有紗が行方不明・音信不通に。以上が概要」
 モニターには部屋の写真が映し出される。
「まずポイントだけ押さえますが、母親の話によると趣味は読書とクラッシック音楽鑑賞ということですが、これは少し疑わしいです。CDの所有枚数は少ないし、クラッシック系は中でも少ないです。読書は確かに好きらしく、本棚には文庫が揃っています。カバーから判断して本屋は主に三社を利用。多い順から有季堂、京林堂、相模屋。洋服は親おススメのブランド服が勢ぞろい、注目は現在原宿にしか出店していないアメリカ発カジュアルファッションのコスタコスタが数着ありました」
 市川は映し出す写真を変えながら、淡々とポイントを押さえて説明していく。
 唖然と孝一郎は言葉を失って、その様子を眺めた。女子高生の部屋で、ウタが孝一郎にとっては思いがけないところを調べていた意図が見えてくる。
「──あと、枕元には大小十体のぬいぐるみがありましたが、うち七体はクレーンゲームの景品と思われます。こちらについては各景品が使われていた時期、入荷店についてのちほど調べます。……ざくっとポイントはこんなところですか、所長」
「うん。コスタコスタのデニムワンピースは夏の新作。少なくとも今年に入ってから買ったものだね。親おススメとは思えないし、自分で買ったか、プレゼントされたか」
「値段は覚えてますか」
「確か定価九千八百円とか。六月か七月の〝CANDY〟に載ってる。あとでチェックして」
「…………」
 孝一郎は自分の足の上に座ったままのウタに目を向けた。昨夜からついさっき起きるまで、彼がブランドファッションの価格を調べていた形跡はない。
「結構いい値段しますね、プレゼントでしょうか。彼女の誕生日、夏でしたよ」
「うん。考慮に入れておいて。あとデスクの上に缶あったでしょ。可愛らしいデザインの」
「これですか」
「それ、有名なフランスパティストリーの、どっかの店限定デザインだよ。シリーズものなんだけど、どの店舗だったかはちょっと頭に入ってないな。シリーズの別店舗の限定デザイン商品がどこかに紹介されてた。んー……〝東京STYLE〟だ。春頃。それも調べておいてくれる?」
 なぜ分かるのだろう、と孝一郎は訝しく思ったが、市川も相田もウタの発言に慣れた様子で頷いていた。どうやら、これがいつもどおりのようだ。
「そんなところかな。じゃあ市川くんはぬいぐるみとデザイン缶の追跡を優先で、写真の分析よろしく。気づいた点があったらすぐにあげて。相田くんは──」
「渋谷だろ。俺はどこへ行けばいい?」
 不意にそう言葉が投げ込まれて、そこにいた全員が顔をあげていた。
 事務所の出入り口付近に立っていたのは、黒尽くめの男──西尾甲斐だ。いつからそこにいて、市川の説明を聞いていたのか、大股で部屋の奥に歩み寄ってくると、乱暴な手つきで近くの椅子を引き出し、背もたれを足に挟むようにしてどさりと座った。
 ちらりとウタと孝一郎の方を一瞥し、頬を歪める。
「……てめーはいつまでそうしてんだよ」
「甲斐。これは俺がしたくてこうしてるの。睨むのやめて」
 言って、なぜかウタが背中を倒し、孝一郎に寄りかかるようにしてきたものだから、孝一郎はぎょっとした。だが、彼を足の上に乗せた状態では、身動きは取れない。さらに市川と相田の興味深げな視線が突き刺さってきて、大声で「やってない!」と主張したくなったが、場の空気を読み、なんとか唇を噛んで堪えた。
 甲斐が不快げに眉をひそめたが、ウタはもう構わなかった。
「渋谷へは甲斐が行って。京林堂とゲーセンを中心に。相田くんは横浜。悪いけど、妹尾理子と他友人にあたってみて」
「──男関係?」
「そ。母親は彼氏なんていないっつってたけど、絶対いるね、男が。女子校だから出会いは学校じゃない。デート場所はたぶん主に渋谷、原宿。元町在住で東京多摩中心に展開してる京林堂のカバーが多いのは、かなり頻繁に渋谷に行ってる可能性が高い。横浜じゃないのは、親や友だちの目を避けるためか、男が都内在住だからか。……今のところ、誘拐よりも家出の可能性が断然高いけど、ただ誘拐の可能性もなきにしもあらずだから、そこも含めて相田くんは横浜、駅周辺で聞き込みよろしく! 以上!」
 ウタがそう言いきったところで、三人が三人してまるでスイッチが切り替わったかのように動き始めた。
 そして孝一郎に身体を預けながら、ふう、と大きくウタが息を吐く。
「……そろそろ下りませんか」
「えー。やっぱり下りなきゃダメ? なんか真山さんの身体、すっごく気持ち良くてさあ、俺、本当に久しぶりに熟睡できたんだよね」
「っ、誤解を招くような言い方をするなこのバカ!!」
 孝一郎が真っ赤になって怒ったとほぼ同時に、市川が事務椅子をくるりと回転して、ソファの方向を振り返った。
「所長、重要なポイントです」
「なぁに?」
「結局、やったんですか、やってないんですか」
「だからやってないっつってんだろうが!!」
 この事務所にいたら、喉が枯れる。
 孝一郎は勤務六日目にして、そんなことを実感した。
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