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文字数 2,850文字

 赦しがたいのは、そのやり方だ。
 未成年者の安全を優先する考え方そのものを否定しているわけではない。
 甲斐も市川も、そしてたぶんウタ本人も、そう望んでいるであろう、身の危険よりも業務を優先するそのやり方が、どうしても孝一郎には受け入れがたい。
 ──自分を大切にする。
 孝一郎は、そう心に刻みながら生きてきた。
 あの日から。
 いつでも、自分がなすべきだと思ったことを、迷いなくできるように。
 社内いじめだろうがリストラだろうが、そんな程度では揺るぎはしない。いつでも動ける〝自分〟でいるためなら、会社を辞めることぐらい大したことではなかった。
 自分を大切に、冷静に保ってこそ、初めて事を成すことができる。誰かを助けたいと思ったときに、助けることができるのだから。
 当然、孝一郎の勝手な動きに気がついた市川と甲斐は、散々その行為を咎めてきたが、孝一郎は応えず、とりあえず運転の合間に撮影した写真だけ市川に送り終えると、煩わしさにパソコンを閉じて通信も切った。
 数台間を開けて追跡する車は、ふ頭の方へ向かって行った。
 こういうとき、なぜ港なのだろうと思いながらも、さすがに普通乗用車の往来の少ないコンテナターミナルエリアに入っていったところで、孝一郎は大きく距離をおいて、車を一時停止させた。どこを左折していったかを確認してから、そのあとを追いかける。
「……ちっ」
 尾行のやり方がうまくないのか、すぐに車を見失って、孝一郎は舌打ちした。
 少し悩んで、不自然ではないように近くにあった事務所の駐車場らしき場所に車を無断駐車すると、あとは徒歩で探すことにする。
 ──ウタは部屋に侵入するとき、身元の分かるものは全部置いていった。
 どうせ連絡しても止められるだろうと考えて、孝一郎もウタの携帯も含めて身元が分かりそうなものはすべて車内に置いて行くことにした。
 身軽になった。
 あとは、黒のワンボックスカーを探して、ウタを見つけるだけだ。
 それも小一時間ほど歩いて探し回れば、同じような倉庫が立ち並ぶ広いエリアの一角に黒のワンボックスカーを見つけることができて、ひとまず孝一郎はほっとした。当然、そのすぐ目の前の倉庫が怪しい。
「────」
 とはいえ、中の様子が分からないまま、安易に侵入するのはどうだろう。
 ワンボックスカーのそばに寄ってみて、車内に人がいないことを確かめてから、少し考える。車が一台、あのときチンピラ風の男は助手席に座ったから、少なくとも運転手と二人はいる。最後列のシートには荷物が乱雑に置かれていて座るスペースがないことから、ウタが押し込まれた後部座席に何人かいたとしても、多くて四、五人程度と考えられる。
 相手は、チンピラ四、五人。もし武器を携帯しているとすれば、ナイフや木刀、金属バットあたりだろうか。
「……まあ、それぐらいならなんとかなるかな」
 口の中で呟き、気を落ち着かせるように眼鏡を整えてから、足を倉庫の通用口に向ける。
 必要なのはウタの安全を確保することだ。相手をのすことではないのだから、と深く考えずに通用口のドアに手を伸ばした、まさにそのとき。
 その扉が内側から開いた。
「────」
 出てきたのは、チンピラ風の──というより暴走族あがり風の見たこともない若い男だ。
 思いがけず真っ正面から向かい合って、お互いについポカンと目を丸くしていた。先に動いたのは男の方だ。
「な、なんだ、てめえは!」
「……なんだと言われると困るが、なんだ、通りすがりの一般人といえばいいのか」
「はあ!?」
 チンピラらしい恫喝めいた声が素っ頓狂に跳ねた。とほとんど同時に男の手が孝一郎の胸倉を掴む。予想していた動きだったが、孝一郎は掴み上げられるままにさせた。
 平穏な人生を歩んできた孝一郎にとって、チンピラに因縁つけられるのは初めてだが、つい昨夜応対したばかりのヤクザがかなりの迫力だったので、怖いとは思わなかった。
「通りすがりの人間がなんでここに入ろうとしてんだよッ! てめえ、なにもんだ!」
「なにもんって」
「ちょっと来いッ!」
 力いっぱい襟首を掴まれ、そのまま中へ引きずられていく。
 これはこれで好都合だな、と思いながら、孝一郎は特に抵抗することもなく、若い男に連れられるまま中へ入って行った。
 中は暗く、想像より広い。というのも、倉庫というわりには、中に置かれているコンテナや荷物が少ないせいでそう見えるようだった。倉庫内にほとんど明かりはなく、入って一番奥の方の天井の蛍光灯だけが点いていて、どうやら男はそこに向かっている。
 連れて行かれながら、目だけで孝一郎は周囲を確認したが、倉庫だけに入り口は前後のシャッターと通用口だけのようだ。
「兄貴!」
「なんだ、てめぇ、水も買わずに帰ってきたのか!? 使えねえなあ!」
「ち、違います! 変なヤツが入り口うろついていてッ」
「ああ!?」
 分かりやすくチンピラだな、とその会話だけ聞いて孝一郎は思う。
 倉庫の奥にはコンテナではなくスチール棚が二列に渡って並べてあり、明かりが点いているのはその棚のさらに向こうだった。
 ──ウタがいる。その先に、いるはずだ。
 引きたてられながらも、そこに足を踏み入れる瞬間、心臓が高鳴った。
「なに部外者、連れてきてんだ、てめえはッ」
 最初に目に飛び込んできたのは、その怒声を上げたチンピラ風の男だ。妹尾理子と渋谷で落ち合って、杉山博志の部屋に入っていった男。
 その男の方へ差し出すように、自分を掴み上げている男が背中を押したその勢いを借りて、視線をゆっくりと移動させて。
「──っ」
 コンクリの床に、転がされている男がいるのを、見た。
 後ろ手に親指を結束バンドで封じられて、膝立ちから崩れ落ちたかのようにうつぶせで床に倒れている、男。
 そのモスグリーンのパーカーを孝一郎はよく知っている──。
「だって兄貴、こいつ、中入ってこようとしててッ、すげぇ怪しくて!」
「誰だコイツ。中に入ってこようとしたぁ!?」
 チンピラ風の男に視線を戻す瞬間、視界の隅でウタが床に伏せた顔を僅かに傾けて、自分の方を一瞥したのが分かった。
「おい、てめぇ、なにもんだ! 」
「…………」
 さすがにそこに転がっている男を引き取りに来た、と言って通じるものでもないだろうな、と思う。なにかしらここに入ろうとした理由が必要だ。
 なんと答えるのが良いだろう、と口を開くまでの僅かな間に頭を絞って考えようとしたとき、不意に天啓のようにウタの声が脳裏に過った。
 ──いつもみたいに警察名乗ってずかずか中に入っていくわけにいかないでしょ。
 孝一郎は息を吸った。丹田に力を込める。
 頭の片隅で、もともとあまり表情の出ない顔で良かったな、と思った。
「警察の者だ」
 ブハッと床の方から、噴き出すような、咳き込むような変な音が聞こえた。

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