5-2

文字数 3,545文字

 まったく、とウタが呆れたような息を吐く。
 狭い車の後部座席で、孝一郎の手を握りながら、改めて、憤然と。
「本当に、こんな無茶する人だと思わなかった! 怪我してるなら怪我してるって、すぐ言ってよ」
「…………」
 いや、もともと無茶をしているのはそっちのほうだ、と孝一郎は言いたい。大体、怪我をしているなんて言い出す空気でもなかっただろ、とものすごく言いたい。が、言わないでおくことにする。
 一応、手の傷を手当してもらっている立場だ。絆創膏を貼るだけの手当てだとしても。
 車は甲斐の運転で、夜の道を都内へ向かって走っていた。
 ちなみに、孝一郎が近くまで乗ってきた車に三人で乗り込んで、ウタが最初にしたことは市川と連絡を取ることだった。
 五時間ぶりくらいに声を聞く上司を相手に、市川もほっとしたような様子を見せた。
『──所長、無事でよかったです』
「うん、心配かけてごめんね」
『この端末で話していると言うことは、こちらの指示を無視して追いかけて行った臨時バイトも無事ということでいいですか』
 揶揄交じりの安否確認に、孝一郎は顔をしかめたが、ウタは愉快そうに笑う。
「うん、無事。さすがに驚いたよ、俺のルールを無視して追っかけてくる人がいるなんて思わなかったから。こんなに熱烈に追いかけられたのは初めてかもしれない。チンピラ相手にも身を張って守ってくれようとしちゃって、愛を感じたというかー」
「なにか違うッ!」
「あ、なんか違うってさー」
 つい孝一郎は話を遮っていたが、ウタの態度はまるでさきほどの深刻な会話などなかったかのようで、なんとも複雑な気分になった。ウタは孝一郎の反論をさして気に留めた様子もなく、ひとしきり笑って、それから少し居住まいを正し、市川に話しかけた。
「──じゃあ、経過と現状の報告、お願いできる?」
『はい』
 そうして、市川がこれまでの経緯を話し始め、ようやく孝一郎は事情を把握した。
 まず対象者の三島有紗が杉山博志と一緒にUSJ旅行に行ったという予測のもと、その帰りを想定して相田が品川駅で待ちかまえていたところ、幸運にも二人を発見。そのまま追跡中で、二人は現在、渋谷のゲームセンターとのこと。
 身代金の方はどうなったかといえば、指示通りに三島由利子が混雑したハチ公前のベンチに座り、身体の隣に金を入れたハンドバックを置いていたところ、約束の時間を五分過ぎたころ置き引きのように若い男にハンドバックごと奪取されて、甲斐がそれを追跡すればその若い男は電車で山手線に乗り、途中駅で降りたり乗ったりして時間を調整して、二人と同じ電車に乗って車内で接触──。
 お金の引き渡しを確認したところで、対象者の追跡を相田に任せ、そこからすぐに甲斐はウタの追跡に回ったということだった。
「要するに誘拐の方は完全に本人たち計画の狂言だったってことだ。今、母親は?」
『家に帰って待機してもらっています。今、身代金を追跡中ということで、まだ見つかったことは報告していません。報告しますか』
「いや、悪いけど、あともう二時間くらいは待ってもらおう。──杉山博志宅は?」
『所長の置いていってくれた携帯のおかげで、中の様子はすべて盗聴・録音しましたが、あなたの出現のせいで動揺した女の子たちを、妹尾理子が落ち着かせて、念入りに改めて口止めをしていました。しばらくは部屋でじっとしていましたが、途中で妹尾理子が電話を受けて、今日はとりあえずなにもないから、とみんなでご飯を食べてカラオケへ──ということで着替えて出かけていきました。こちらはそれ以上追いかけられていません』
「…………」
 ──切れた携帯電話。動かなかった携帯のGPS。
 それから導かれるウタの意図を市川が的確に理解して動いていたということに、孝一郎はあっけにとられていた。
 わざと携帯を置いていって盗聴器に使うなんて、つくづく抜け目がない。
「そう。そっちはまあいいや。主犯のチンピラとヤクザのほうはこっちでなんとかしたから、あの変な集会はもうおしまいだし」
『……なにがあったんですか』
「まあ、いろいろ。要約すると、妹尾理子の彼氏らしきチンピラくんの裏にヤクザがいて、お嬢様二人が声をかけ、週末家出少女に宿を提供し、仲良くなって安心させて、金が足りなくなったら援交、売春、さらにその相手にドラッグ密売……ってビジネスやってたわけ。とりあえずお話合いの末、そのビジネスからは手を引いてもらうことになったから、家出少女たちもいったんはヤクザと手が切れて上出来! ってところかな。そのままクスリからも離れてくれたらいいんだけど。──じゃあ、甲斐。とりあえず渋谷へ向かってくれる? 相田くんにもすぐ行くって言っておいて」
 その〝お話し合い〟に乾というヤクザが介入していることは、市川には言わないらしい。
 市川との通信を切って、それでようやく落ち着いたらしく、ウタがふう、と大きく息を吐き出した。つい、それで孝一郎も普通に隣を振り返ってしまう。
「大丈夫ですか」
「うん、大丈夫。っていうか、それはこっちの科白だよ。さっき真山さん、男に押さえつけられてたけど大丈夫だった? って──あぁっ!」
「な、なんですか!?」
 突然声を上げて、ものすごい勢いでウタが腕を掴み上げてきたので、孝一郎も驚きに頓狂な声をあげていた。
「怪我してるじゃん! なんでもっと早く言わないの! なにこれ、もしかしてナイフで切ったの? 痛くない!?」
「……いや、あなたの額の傷の方がたぶん重傷です。血は止まっているようですが」
「なに言ってんの。こんなの大したことないよ! タオル、ガーゼ、絆創膏!」
「どっかそこらへんに救急キット、落ちてんだろ……」
 ついさきほどまでヤクザと冷静に交渉し、市川とも仕事の話をしていたとは思えない慌てぶりを発揮したウタに、運転席から呆れた声が投げかけられる。
 そうして、いろんな機材やものが溢れる後部席を五分かけて探して、救急キットらしきものとペットボトルの水を見つけたウタが、手当と称して孝一郎の手を握りながら、改めて「こんな無茶をする人だと思わなかった!」と憤慨したのだった。
「古武道やってて強いのは分かったけど、怪我は別でしょ。……本当にこんな怪我するなんて信じられない」
 どこか悄然とそう言って、ウタは驚くほど丁寧に孝一郎の手の傷を水で濡らしたタオルで拭い、絆創膏を貼りつけている。
「本当に、ごめんね、真山さん」
 そのまま小さな声でそんなことを呟くものだから、本気で孝一郎は困ってしまった。
 怒っている、と言って冷たく突き放した彼と、怪我の手当てをしながらうつむく彼と、どっちが本物なのか。
「……謝るのは、やめてください。謝られるためにやったわけじゃありません」
「うん。じゃあ、ありがとう」
「だから! 礼を言われるためにやったわけでもありません」
 改めて謝られたり有難がられたりしても、気恥ずかしいだけだ。きっぱりと言い切ると、ウタは一瞬きょとんと目を丸くして、それからいつものように噴き出した。
「もーっ、真山さんったら本当に頑固なんだから。少しは素直に感謝されてくれたっていいのに。でも、そういうところも、ときめいちゃうなあ」
「────」
 そこにいるのは、普段通りのウタだ。
 柔らかな空気をまとって、陽気でどこまでも軽々しい、ウタ。
 その姿にどこかほっとすると同時に、またか、と孝一郎は気難しく顔をしかめてみせた。そういう発言はセクハラなのだと、何度言えば分かってもらえるのだろう。
「惚れる、ときめくと連呼されても、嬉しくありません」
「じゃあ、すごく、かっこいい」
 すぐにウタは褒める言葉を言いかえた。
「っ」
 上目遣いで言われて、思わず孝一郎は言葉に詰まる。気がつくと、ウタは孝一郎の手を握ったまま、目をきらきらと輝かせていた。
 ──騙されるな。この男は、平然と嘘をつける男なんだ。
 ウタの眼差しを見た瞬間にそう閃いて、ちりりと胸の奥が焼けるように痛んだ。一瞬でも動揺してしまった自分が急に忌々しくなって、むっと孝一郎は口元を引き結ぶ、
「そういうふうにからかうのはやめてください」
「えー、俺、本気で言ってるのに」
「……嘘でも本気でも迷惑です」
「俺のこと、嫌い?」
「そういうこと言ってるんじゃ──」
 つい乗せられ、むきになってそう言い返そうとした、まさにそのとき。
「ゲロ吐きそうな会話してんじゃねえッ、そろそろ着くぞ!」
「っ」
 運転席からまさに吐き捨てるような声が投げ込まれて、孝一郎は思わずむせ返っていた。
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