第16話

文字数 3,732文字

     ☆☆☆



 放課後の吹奏楽部の練習はキャンセルしちゃいたいな、なんて思いながら、南部図書館への道を歩く。
 歩道はきれいだ。最近建てられたばかりの図書館のために舗装された、遊歩道。
 そんなきまぐれな遊歩道を、わたしたち三人は歩く。
 みかが背伸びをする。
「うーん。学校から抜け出れるってしあわせ」
 さなえも背伸びをして、
「しあわせ気分にならなくちゃねー。特にみかは、夏祭りの時に告白されて付き合うことになったんでしょ、岡田くんと」
 と、からかう。
「やだ、もう。まだ付き合うかは決めてないわよ。ほりゅーよ、ほりゅー」
「ふーん。どうだか。本当はもう付き合ってるんじゃないのぉ」
 付き合うとか付き合わないとか、わたしにはわからないことだ。恋愛っていう感情が、わたしには欠落している。
「夏祭りも終わっちゃって、そろそろ秋の気配が近づいてくるのかなー」
 みかがごまかすように言う。
「二学期始まったばかりじゃない。夏休みぼけして、田中くんは岡田くんに殴られていたけど」
「ウケる」
 わたしは疑問を口にする。
「なんで田中くんは石原先生をモデルガンで撃ったのかな」
 みかが口をとがらせる。
「そーんなの、みんな石原が嫌いだもん。誰かはなにかしてたわよ、早かれ遅かれ」
 ちょっと怒り口調。なんでわからないの? っていった感じで。
「じゃあ、なんで殴られたのかな。石原先生のこと、わたしはどうも思ってないけど」
 さなえが、うーん、と唸る。
「まゆゆはガッコ休んでたから、わからないよね」
「そだね。あいつはひどい奴なんだよ、まゆゆ。石原って、本当に悪人」
「どういうこと?」
「ほら。二組の桜田っているじゃない。あの女に石原は〈手を出した〉のよ」
「手を、出す?」
 あー、もう、とさなえは頭をかいてから、
「まゆゆはそういうの、まるでわからないのね」
 と、むっつりした顔を浮かべた。
「付き合ってたってこと?」
「違う。肉体関係を結んだってこと。それ、もみ消したんだよ、理事長の息子だから」
 さなえがストレートに表現してくれたから、やっとわたしにもわかった。
 わかったけど、なにも反応できなかった
「そういう話題はやめ! さ、行きましょ」
 みかが手をはたき、場の空気を変えると、さなえも、
「ふーん」
 とつまらなそうに言って、歩調を速める。
 わたしは入院して学校を休んでいたことを恥じた。話題についていけない。
 もともとが恋愛の話題についていけないわたしが悪いんだけど、それに加えてみんなが知ってる情報を知らないので、かみ合わない。
 仕方ないのかな。
 取り戻せないのかな。
 休学してても、学年が遅れなくてよかった、とは思うんだけれども……。

 三人で歩幅を合わせて歩く。
 歩いていると、船舶のかたちを模した外観の建物が見えてきた。
 そこが南部図書館だ。



     ☆☆☆



 司書のましまろさんから指示を受けて、お掃除開始。
 うーん。
 南部図書館。きれいな場所だ。
 図書はまだそろってなくて、空いてるスペースが本棚に多いのだけれども、そこが可能性を感じる。
 まだ、古色に染まってない、白い図書館って感じで。
 あれ?
 図書館としてそれじゃ駄目なのかな。
 情報ぎゅーぎゅーじゃなきゃ駄目?
 わたしは新しくてすかすかな本棚も、好きだけどなー。
 すかすかで、天井が高くて、色がどちらかというと、明るい。
 今日はそこの床のワックスがけと本棚の名前順整理だ。
 今日、ここは休館なんだよね。
 休館……。
 奥の方の、ラテン文学の棚の方に時期はずれにマフラーを口元に巻いた眼鏡の女の子がいるけど、いいのかな。
 うちの学校の制服は二種類あって、そのうちのブレザーの方を着ているんだけど、見たことない子。
 先輩かな。ちょっと大人びてる雰囲気。
 挨拶は……。えー。怖いからやめておこう。 わたしは人見知りなのだ。

「まずはわたしとモップがけだよ、まゆゆ。終わったらみかの本棚整理、手伝うの。本当はモップがけは最後にやるべきなんだけど、そこまで丁寧な掃除じゃなくていーってさ。……ん? まゆゆ。なに見てんのさ」
「あの、マフラーの……」
 さなえも奥の方を見て、それで「ああ」と、頷いた。
「先輩。沖田あさり先輩よ。保健室登校で有名な」
「有名なの?」
「保健室の主よ」
「じゃあ、なんでここに」
「学校の図書室より本がたくさんあるからじゃないの? 学校に一番近い図書館で」
「今日は休館」
「あのひとは特別」
「特別?」
「そんなことよりほら、モップがけだよ。バケツとモップ持ってこなきゃ」
「そ、そだね」
 ひとの事情はそれぞれとはいうけれども、事情が込み入ったひとが、やたら多いように感じる。
 でも、そんなものなのかな。
 みんなそれぞれ、悩みや立場があって、込み入った事情を持っている。
 わたしだって、込み入った事情、あるもん。
 家に帰りたくない。
 それだけなんだけど。

 給水口から水をためて、せっせとバケツを運ぶ。モップ用の、脚で踏むタイプのバケツ。
 重い。両手持ちで。
 ゆっくり運んでたらさなえが、
「遅いよー」
 と、遠くで言う。
 奥の方からモップ、かけるのかな。沖田先輩ってひと、いるのに。わざわざ奥からモップを。
 でも、さなえがそうするのなら、わたしもそうする。
 みかは、手前の文庫本の方から、図書整理を始めるようだ。
 みかが重そうにバケツを運ぶわたしに手を振るので、笑顔で返す。
 水を少しこぼしながら、わたしは一番奥の端のところに、バケツを持っていって、そこに置いた。自習室の脇だ。
 自習室を掃除して、それからマフラーの沖田先輩のところらへんが始まるのだ。たぶん。
「モップモップモップー」
「まゆゆ、なにその歌」
「モップの歌」
「そんなのあるの?」
「ないよ。わたしが今、つくったの」
「さすが吹奏楽部」
「やめてよ、もう。わたし、下手くそなんだから、楽器」
「楽器はなんだっけ」
「トロンボーン」
「難しそう」
「ね」
「ああ、やっぱり難しいんだ」
「さなえも引っ張りだこなのに入らないの、部活」
「運動部に誘われるのは、わたしが運動神経があるからじゃなくて、背が高いからだよ。ウォーキングは趣味にしてはいるけど、やっぱり、背の高さが欲しいだけ。はっきりしてるんだよ、運動って。歴然と見合った体格がある、っていうか」
「た、大変な世界なんだね」
「ここでお掃除してた方が気がラク」
「そっか。じゃ、モップがけやろ」
「だね」

 
 友達と一緒にするモップがけは楽しい。
 わたしはそのことをかみしめながら、モップの柄に力を入れ、床をこする。
 きゅい、きゅい、と音がして、館内に反響する。
「まゆゆ、鍛えてるじゃん。モップ、いい音してるよ」
「え? そうかな……」
 照れる。
「まゆゆこそ、なんで運動部じゃないの? 運動部こそ、花形の部活じゃん」
「運動って柄じゃないし」
 そこでさなえは「はっ」と口を大きく開けて、
「ごめん」
 と、頭を下げた。
「え? え? 頭を下げないで。なんで?」
「夏まで入院してたんだもんね、ごめん。運動なんて、できないよね」
「え、えっとぉ」
 みんなにはどう説明がなされているんだろう。
 わたしは怪我や身体の病気で入院してたわけじゃないんだけどな。
 うーん。でも、こころのことで入院してたとは、……言わない方がいいわよね。少なくとも、自ら進んで言うことじゃない。
「えーっと、ほら。吹奏楽と演劇は文系の中の体育系だ、っていうじゃない」
 きょとん、とするさなえ。
「だから、体育会系でもあるのよ、部活。あ、あはは」
 さなえは「なるほどねー」と感心しながらモップがけをする。
 わたしの方はしゃべっていたら、モップがけがおろそかになっていた。
 意識をモップがけに集中しなくちゃ。
 最初は自習室に、モップをかける。
 即完了。椅子と机の位置を直して、次に進む。
 で、モップをかけながら自習室の仕切りの外にでると、誰かとわたしのモップがぶつかった。
 きゃっ、と言う声と、転んで本を落とす音。
 わたしはモップ片手に、
「大丈夫ですか!」
 と、反射的に言った。
「大丈夫じゃない!」
 やや怒り口調。
 転んでめくれたスカートを直す、マフラーを口に巻いたそのひとは、さっきラテン文学のところにいた沖田あさり先輩だった。
 転んだ拍子に、隠してた鼻がマフラーから少しずれて、見える。
 先輩はマフラーを直し、口と鼻をマフラーで覆った。
 ずれた眼鏡も直す。
 わたしは手をさしのべる。
 あさり先輩はわたしが差し出した手を握り、立ち上がる。
 それから落とした本を拾って、スカートのおしりのところを手でぱぱぱん、と叩いて、埃を払った。
 マフラーでもごもごしながら、あさり先輩はわたしに、
「哲学なんて必要ないわ。必要なのは美学。そうでしょう、魔法少女のまゆゆさん」
 と、確かに言った。

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