第8話

文字数 2,802文字

     ☆☆☆



 起きると、外で鳥がピヨピヨ鳴いていた。晴れだった。
 ベッドは血まみれになっている。手首を傷つけられた箇所から血が流れていたのだ。
 わたしはアンラの銃をホルスターにしまい、それから立ち上がり、湯飲みで蛇口から出る水を飲んだ。
「目覚めたんですし?」
 しばらくしたらそう、声がかかった。メイドさんだ。
「おはよう」
 わたしが挨拶すると、メイドさんはぺこりと頭を下げた。
「シーツが血だらけですし」
「……なんか嫌な言い方ね」
「今からでも遅くないから、手首を消毒するですし」
 メイドさんは「待ってるですし」と言って、ぱたぱたと足音を立ててどこかへ行き、救急箱を持って戻ってきた。
「今、鍵を開けるですし」
 錠前を鍵で開けて、メイドさんが独房の中へ入ってくる。
 そして、わたしの手首に消毒液のスプレーを吹きかける。
「痛っ」
 わたしは声を漏らす。
 メイドさんは消毒された手首に包帯をぐるぐると巻く。手際よい動作だ。
「これでもわたし、看護師の免許を持ってるんですし」
「え? 小学生じゃないの?」
「むー。身長でひとを判断してはいけないんですし」
「ごめんなさい」
「わかればよろしいですし」
「メイドさん。あなた、名前はなんていうの?」
「わたしはりねむですし」
「りねむ? 変わった名前だね」
「よく言われるですし。でも、気に入っているんですし、りねむって名前」
「ふーん。あなたも、魔法少女なの?」
「メイドですし!」
 りねむちゃんは胸を張った。メイドであることに誇りを持っているのだろう。
「わたし、この世界に実感がわかないのよね」
「実感?」
「うん。感覚が麻痺してるっていうか。魔法少女にはじめてなったときから、心がここにない感覚があるの」
 包帯を巻き終わったりねむちゃんは、はさみで包帯を切ると、きつく結んだ。
「みんな、どこに行っちゃったのかな。さなえやみかや、クラスのみんなは……」
「パラダイムシフト、のことですし?」
「そう。それ」
「善悪二元論の支配する世界観が、この世界を変えてしまったですし。みんな、こう思ってます。『変わってしまったものは仕方がない』と。ルールが変更されたら、その新しいルールに従うだけですし」
「そんな単純な問題なのかな。不平不満があるんじゃないかな」
「世界を規定しているものが変わった以上、ルール通りに〈考えなければ〉生きていけないですし。でも、不平不満があるなら、自分と似た考えの者同士で集まってトライブを形成すればいいですし。たとえば昨日、あなたがいた、しめ縄の中の村のような共同体をつくって、生きるとか……」
「痛っ」
 頭痛がして、こめかみをわたしは押さえた。
 聞きたくない、と心が判断してしまった。
「魔法少女は戦うですし。でも、それは正義のためなんかじゃない。ましてや人助けなんかじゃない。世界を救うために……」
 メイドのりねむちゃんがしゃべっている途中、空気を切り裂く音がして、植物のツタが飛んできた。
 そのツタが、りねむちゃんの首に絡みつき、のどを締め付ける。
「ひぐっ……、っく、あ、あ、あ、ぐっ」
 息が漏れる。
 口からはよだれが出て、目が充血していく。
 ツタの根元には、黄色い魔法少女、まーぶるがいた。
 まーぶるがコントロールして植物をりねむちゃんの首に巻き付けたのだ。
「包帯巻くのお上手でちね、りねむ。でも、ちょっとばかりおしゃべりが過ぎるでちよー」
「ご、ごめんなざ……い」
「わかればよろしいでち」
 植物がほどかれ、まーぶるのステッキの先に収納されていく。
 手を床につき、膝立ちになり、りねむちゃんは「はぁはぁ」と深呼吸し、乱れた呼吸を治そうとする。首には真っ赤な痕がついて、内出血している。
 まーぶるがわたしを見る。
「なんでこんな、まーぶるみたいなのが魔法少女に選ばれているんだろう、みたいな顔をしているでちね」
 わたしはびくっとした。
 心を見透かされたかと思って。
「魔法少女は『魔』でち。シリアルキラーと『対』になる関係ってだけでち。今は、魔法剥奪者を潰すことが最優先。メイド小娘が出過ぎた真似をしたらそいつも潰すだけでち。邪魔だと判断されるでちからね。わたし以外の魔法少女でもそうするでちょうよ」
「…………」
 わたしは二の句が継げない。
「くだらないおしゃべりも、手首の治療もいらないでちよ。わたしらは黙って仕事をするだけでち。この世界を救うっていう大事な仕事を。仕事をこなすのにおしゃべりで大義名分すり込む必要性もなければ、手首に包帯巻く情弱さもいらない。必要なのは特攻する勇気と突破する知恵だけでち」
 りねむちゃんはやっと立ち上がる。
「ごめんなさいですし!」
 謝った。まーぶるに対して。
 まーぶるはふふん、と鼻を鳴らす。
「もうすぐ食事の時間でちよ。油を売ってないで、独房の鍵を閉めて朝食の準備を手伝うでち」
 りねむちゃんは「はい」と勢いよく言って、檻の鍵を閉めてから早足で奥へ行ってしまった。
「夏祭りのトップが、あんたみたいなヘタレでわたしはがっくりでち。このブスが。わたしたちが戦うのは、一般人を死滅させようとした〈殺すために殺す〉奴らでちよ? しかも長い戦いの中、私らは負けている。負けた結果、現実世界が荒廃した世界に様変わりして。もう負けるわけにはいかないでち」
「確かに悪者は退治しなくちゃいけないけど、あなたたちが固執するその理由が、わたしにはよくわからないの」
 わたしは正直に言ってみた。このひとたちの固執の仕方は尋常じゃない。
「わからないでちか、このブス! わたしたちは『魔法少女』でちよ! それが世界を救えないどころか、わたしたちを邪魔者化するような世界に見す見すメタモルフォーゼさせてしまいました、じゃすまねーんでちよ? 存在の意義を抹消され、それが歴史に刻まれたなんて! 大恥どころじゃない! 死んでも償えないでち!」
「わたしにはその思考回路がわからない。プライドの問題なの?」
「ふん。あいつらと戦っていればわかるでちよ。わかりたくなくとも」
 息を荒げたまーぶるは床につばを吐くと、独房から離れていった。
 張り詰めた空気がなくなり緊張感がほぐれると、わたしはベッドに横になって、鼓動が正常に戻るのを待った。
 いっぱい話をした気がするのに、ちっともなにもわからないのは、なんでだろう。
 自分が置かれた状況も、把握できないままだ。
 しばらく目を閉じていたら、朝食に呼ばれた。りねむちゃんとは別のメイド服の女の子が、鍵を開けて、朝食の場へ案内してくれる。
 そういえば、ずっとなにも食べていない気がする。
 そう思ったら一気におなかが減った。
 現金な身体だな、とわたしは苦笑する。
 
 
 
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