第34話

文字数 5,120文字

     ☆☆☆



 電子音が聞こえる。
 規則的に鳴る、電子音。
 心臓の動きを、モニタリングされている。

 一面、白で塗装されたコンクリート。
 すこし、蒸し暑さを感じる。
 空調は抑えめにしてあるのだろう。

 新しい建物だ。
 新しい、病院。
 その、病室の中に、わたしはその身を横たえていた。
 病室の外には、誰もいない。
 病室の中には、わたしひとり。

 力を絞って、腕を上げてみる。
 腕はしわくちゃだ。
 手を開いてみる。
 その動作にも、時間がかかる。
 余力はもう、残っていない。
 呼吸は、機械に支配されている。
 生きているというより、生かされているという方が正しい状態。

 初夏はもうすぐやってくる。
 ベッドの横に、カレンダーを貼り付けている。過ぎた日にバツ印をつけていたが、そんなことをするのは意味がないとあきらめた。
 しかし、春が過ぎたのはわかる。
 夏が来たら、祭り囃子は聞こえるだろうか。
 秋になったら、読書する夜長は訪れるだろうか。
 だんだん失っていく体力は、病気が治れば戻るのだろうか。
 わたしは、挙げていた手を下ろす。
 顔を手で覆う。
 顔もしわくちゃのようだ。
 夢の中では今だって若いのに。
 少女、だったのに。
 魔法少女、だったのに。
(ご主人)
 声が聞こえる。
 それが幻聴でもよかった。
 わたしは、声に耳を傾ける。
(ご主人。あんたはよくやったよ。おれはよくやった方だったと思うぜ。あんたは〈夏祭り〉の勝者だ)
 わたしは笑ってしまう。
 呼吸が乱れ、機械の音が揺らぐ。
 それから、また規則的な音に戻る。
(青春は、終わらなかったな、最後まで。完走したんだよ、あんたは。最後まで、夢を見続けた。楽しい祭りだったろ)
「そうね。割と楽しかったわ」
(だろ)
 二人で笑い合う。
(電脳に精神を移植することを拒絶した、人類最後のひとり。由々原まゆゆ。どうだい、最後まで残った気分は。あんたの優勝だろ。神話の世界から抜け出して、おれがお供になるような事態は、電脳体になってデータだけになっちまったらありえないのさ。電脳は、神のいない世界。唯物ではなく、唯心論の世界だからさ)
「唯心論?」
(あれ? あんた、こういうの、得意だと思ったんだけどね。唯心論とは、精神が究極的な真実在であるとする存在論や世界観上の立場のことだ。プラトンやライプニッツ、ヘーゲルなんかがその代表的哲学者だっていう考え方の呼称さ)
「あなたってひとは、最後までわたしを飽きさせないのね」
(物象化されてない世界に、おれみたいな存在はいない。受肉された心にのみ、神は干渉するからな。いや、電脳化したら、新しい神様をでっちあげるのに夢中になるのが人間ってもんよ。正確には、データだけになった人間の)
「でも、いつかまた、ひとはモノの世界に戻るでしょうね」
(だろうな。今度は違ったやり方で。海から陸に、上がってくるだろう。ただ、今の陸地は、人間には過酷すぎる)
「わたしは、そんな過酷だっていう世界に生きてるわよ」
(鎖につながれて、な)
「果たしてこれは、鎖なのかな」
(さぁな。自分で鎖だと思わなけりゃ鎖でもないし、現実とあんたを結びつけるくさびですらないね)
「つまり?」
(そろそろおしまいにしたいんだろ? つながれるのも嫌なら、電脳で延命するのも嫌だとなりゃ、あとは、終わる覚悟が必要だが。最後の一人として、その終焉を全うする覚悟がついにできたってわけだ)
「いいかげん、飽きてきたのよ、体力の限界に耐えられなくなると、心もすり減るみたいで。飽き飽きする。楽しいことはないの、アンラ」
(夢を見る力にも陰りが見えてきた……か)
 シャーマニズムに近いのかもしれない、この状態は。わたしは、人外のモノとおしゃべりしている。古来、シャーマンはこうやって人外のモノとおしゃべりしていたのかもしれない。
 または、〈神託〉を聞くために。

(いいよ、ご主人がそう言うならば、この住めない陸地に、召還しようぜ、夢の中の住人を)


 ……………………。
 …………。
 ……。
 わたしは物音に気づき、時間をかけて、この部屋の扉の方に頭を動かす。
 若い女の子たちの声。
「開けてみなさい。この扉を」
 ……………………。
 …………。
「答えを、知りたいでしょう?」
 ……………………。
 …………。


 わたしは、また時間をかけて顔を天井に向ける。
 大きく息を吸った。
 それから、静かに息を吐く。

 扉が開く。

 わたしには、さも当然であるかのように、すぐに眠りが訪れた。



     ☆☆☆



 
 わたしの額の真ん中に、弾丸の穴が空いて、間髪置かずに衝撃で頭蓋骨が半分くらい吹き飛んだ。
 そのわたしはわたしであって、わたしじゃなかった。
 老いたわたしだった。
 わたしのいる世界をつくった、わたしだった。
 夢の主は、死んだ。
 今をもってして、夢は終了した。

「でたらめに銃を撃って……。戦い方も知らずに、戦いに幕を下ろしたわね、まゆゆ」
 わたしは頑張って、笑顔をつくった。
「それって褒め言葉ですか、先輩」
「結果には満足よ。危なっかしかったけど」
 先輩とわたしがそんなやりとりをしていると、コーダルさんが口笛を吹いた。
「楽しくなんかならないのにね、コーダル、あんたが歌おうが口笛を吹こうが。悲しくても、それは弔いにすらならないし」
 先輩が言うように、コーダルさんはいつも、憂いの表情をしている。
 その口笛は口笛と思えないほど、もの悲しかったけど、同時にそれは、全てを包み込むような音だった。

 真っ白だった病室は、真っ赤に染まってしまった。
 機械音はピーーーーーーーーっという連続音になっている。
 先輩が窓を開ける。
 風が舞い込んできた。
 先輩は目を細めながら、青空を見上げる。
「さて。それでも世界は終わらない」
 文学少女らしい調子で、先輩はもっともらしく呟く。
「観測者である人類は電脳の世界にお引っ越ししちゃったわ。残ったのは、彼女だけだった。他のみんながいない世界で、老女はなにを願ったのか」
「神託は堕胎した、んでしょ」
「そう。彼女の望みなんて、叶わなかった」
「どんな望みだったのかな」
「きっと、魔法少女になりたかったのよ」
「そんな。安直すぎるよ、先輩」
 コーダルさんは、口笛を止め、わたしの方を向く。
「いえ。きっと、みんなの平和を守りたかったのでしょう。魔法少女になって」
 先輩がべーっと舌を出して、コーダルさんに渋い顔をさせる。
「コーダルが言うのは正しいかもしれないけど、わたしは違うと思うな。世界を救いたかった、って方がニュアンス的にはいいとわたしは思ってる。救えなかった世界の最後を見届けるまで、生き残っていたかったのだわ」
「えっと、二人の話がよくわからないんだけど」
 わたしは首をひねって考える。
「現実って、なんだったのかな。もう、現実がどこだかわからないまま、ここまで来ちゃったんだけど」
「現実は、今、終了したわ。あとは量子コンピュータのデータの中に逃げ込んだ人類がまた、この地上に舞い降りるその日まで、人間の現実はないわ」
「現実を、受肉した身体を持った人間たちが知覚するもの、と定義するならね」
 コーダルさんが付け加える。
「状況を把握したいのに、なぜか哲学論議に近い様相を呈してきている……」
 頭を抱えるわたし。
「仕方ないじゃないの。人間が、ある意味では滅んじゃった世界が現実だったんだもの。本当の意味での、〈電脳線の外〉が、ここよ。また、〈夢の外側〉でもある」
 先輩が、窓の外から、視線をわたしに移した。
「わたしたちが〈つくられた存在〉なら、これからどうなるのかな」
「心配いらないわ。たぶん、消えてなくなっちゃうから」
「もうあきらめてはいたけど、やっぱりそうだよね」
 さっわめいて銃口をわたしがわたしに向けたとき、その覚悟はできていた……と、今になって記憶をねつ造するわたしであった!
 でも、消えるって、どういうことなんだろう。
 今まで何回も似たようなことを繰り返してきていたのに、今度はもう、本当に終わりになるのかな。
「〈インターネット・ミーム〉。魔法剥奪者が大量発生した理由。ミームっていうのは、個々の文化の情報をもち,模倣を通じてヒトの脳から脳へ伝達される仮想の遺伝子のこと。要するにインターネットで心が感染しちゃって、模倣犯になったのが同時多発したってわけなんだけど、老まゆゆさんには、それが、電脳の世界に行ってしまったひとたちへの危惧だったのよね。余計なお世話、とも言う」
「でも、魔法少女も生まれたわ。同じようにして」
「でも、バージョンアップに失敗して、破壊された後の世界になっちゃった」
 口を挟むようにコーダルさんが、
「幼かったのよ、彼女は」
 と、言った。
 長い髪の毛が風に揺れ、コーダルさんは自分の髪に手をあてた。
 先輩はしばらく、窓の外を見た。
 つられるように、わたしも窓の外を見る。
 建物の外は田園風景だった。
 海でも、山でも、市街地でもなかった。
「ここ、どこなんだろう」
 わたしは、疑問に思った。
 ここが住んでいた国だとすら、断言できない。
 どこなんだろう、ここは。
 いつなんだろう、ここは。
 近未来?
 先輩は笑う。
「案外ここも〈現実〉じゃないかもよ。だって、人間がいないのに田園があるっておかしいもの。被造物である人間は、自分も被造物をつくりたがるのよね。神様にでもなりたいのよ、きっと。でも、ここですらどこかの位相空間ならば、ある意味、安心して消えることができるわね」
「なんで?」
「だって、最後の最後で世界の創造主なんかとご対面しちゃったら、戦うしかないじゃない、この銃で」
 そう。三人だけが持っている、このダーク・ルール・ガン。
 ここで眠っていたひとの夢の均衡を図るために存在していた、銃。
 先輩と、コーダルさんには、この銃を巡る、どんな冒険があったのだろうか。
 わたしはそれが聞きたくなった。
 聞きたくなった途端、
「死にたくないな」
 と、わたしは希望を口にしていた。
「そうね」
 と、先輩は息を大きくはいた。
 コーダルさんは、目をつむってうつむいた。
「外に、出ましょうか」
 血塗られた部屋から、外へ。
 血でぐちゃぐちゃな方がわたしたちらしかったが、外に出てみるのも悪くないな、と思って、先に部屋の外に出た二人に、私はついていった。



     ☆☆☆



「コーダルさん?」
「コーダルはたった今、消えたわ」
「消えたって……?」
「消滅したのよ。……わたしたちも、覚悟しましょ」
「はい。先輩」

 病院を出る前に、廊下を歩いている途中で、コーダルさんはいなくなった。
 誰もいない病院というのは、妙に圧迫感がある。
 苦しくなるのは、入院経験があるからか。
 表玄関から外に出る。
 先輩と、二人きりで。
 田んぼの真ん中に、この病院は建っていたらしい。
 自動ドアの外は、玄関前こそ自動車のロータリーのようにはなっているが、続く道は、舗装された道が一本、長く続いているだけで、道路の両面は田んぼだった。
「誰が植えた田んぼなのかしらね」
「先輩。あぜ道を歩くのも風情がありますが」
「そうね。言わなくてもわかるわ。この道路をずっと、ひとがいるところまで歩きたいんでしょう。ひとなんてたぶん、いないけど」
「ご名答です、先輩。わたしは先輩のこと、結局なにも知り得ませんでした。歩きながら、おしゃべりしましょう。そして、聞かせてください、先輩のこと。先輩が歩んできた道を。わたしとは違う、そのストーリーを」
 先輩はブレザーのポケットから手を出して、私の手を握る。
 わたしも先輩の手をぎゅっと握り返す。
「長い話になるわよ」
「はい。望むところです」

 わたしたちは歩く。
 歩くリズムに乗って、会話をつないでいく。
 わたしたちはもうすぐ消えるだろうけど、それまで、わたしと先輩は、最後の、長い長いストーリーを物語り、手をつないで、進んでいく。
 わたしはきっと、ずっと前からこういうことがしたかったのだ。
 空は青く、わたしたちもその青に吸い込まれていくのだろう。
 それでいい、とわたしの心が告げる。



                〈了〉
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