第21話
文字数 2,665文字
☆☆☆
沖田あさり先輩は普段、保健室のベッドの中にいる。
さなえとみかの知るところによれば、そうらしい。
メアド交換の翌日。
特にメールも電話もなかったのだけど、気になったし、メールなんてまどろっこしいものじゃなく、実際にあさり先輩に会いに行こうと、わたしは一限目の生物の授業が終わると、保健室まで行ってみることにした。
保健室。
はじめて入るのでどきどきしたが、勢いよく横開きのドアを開け放つ。
「頼もぉッ!」
勢いをつけて、道場破りっぽく叫んでみた。
すると、湯飲みでお茶をすすりながらあさり先輩が、
「エニモー!」
と、事務用椅子に座りながら、応じた。
「おはよ、まゆゆちゃん」
マフラーはつけたまま、先輩は椅子をくるくる回転させながら座る。
「くるくる回すとお茶が飲みにくい。てか、こぼれる……」
そう言いつつ、椅子の回転はやめない。
お茶を全部すすり終わったのち、椅子の回転は止まった。
先輩がマフラーを口元を隠すように直す。
「あ、あの、先生は?」
「え? 先生って、保健の千鶴ちゃんなら、職員会議の資料のコピーやらされてる。ザ・雑用係!」
「保健の先生って、そんなこともやるんですね」
「いや。千鶴ちゃんが下っ端なだけ」
「下っ端……」
椅子からぴょん、と飛ぶように降りると、あさり先輩は、
「ソファ、あるよ。座れば」
と、ソファを指さした。
黒くて横長のソファに、わたしは身体を埋める。
さっき先輩が座っていた椅子のところの、事務用机の上には、ノートと教科書が開いてあった。
勉強、してたんですね、とは言えない。言えるはずない。
この人は本当に『保健室登校』なのだ。
勉強がしたくなくて保健室で休んでいるわけじゃないのだ。
「なに? 教科書なんて見ちゃって。わたしとイケナイコトお勉強したいの?」
あさり先輩はくすくす笑う。
先輩はからかうように続ける。
「わたしだって、勉強くらいするわ。気づいてる? 義務教育はもうすぐ終わるのよ。終わったら、自主的に、勉強しなきゃならないわ。そのためには、勉強に慣れておかないと」
まるで、義務教育という『義務』から親が解放されたら見放されるかのような言い方。
考えすぎかな。
でも、そんな風にとらえられる。
「わたしは、今、勉強の仕方を学んでいる。受験とはほぼ、関係なしに。受験、進学にうちの親が金を出すとも限らないもの」
「え、いえ、そんな意味では……あ、あわわわわ」
「ごめんごめん。でも」
いたずらっぽい笑みをこぼして、先輩はわたしの制服の袖のあたりを見やる。
「自分を傷つけるタイプが生きていくには、今から自分でサバイヴすることも、考えなくちゃね」
自分の袖をみる。手首から少し包帯がはみ出している。
先輩はそれを見て、言っている。
見られたくないものを見られて、わたしは恥ずかしくなって、うつむいた。
「復学できてよかったじゃない」
先輩はもしかしたらわたしを怒らせようとしているのかもしれなかった。
自傷癖のことも休学のことも、言われたくなかったし、それを知ってて言うから。
「わたしに会いに来たの」
「はい」
「素直なのね」
「この気持ち、隠したくありませんから」
「わたし、沖田あさりは変人よ。保健室登校だから変人扱いなのではなく、変人だから、保健室登校になっちゃった、っていう、どうしようもない人間」
「そんなこと言わないでください、先輩。わたしはあなたが好きです」
「チョロいわね」
「チョロくていいです。わたし自身もわからないんですよ、この気持ち。どうしてあさり先輩を好きになったのか……」
「因があって、果がある。じゃあ、その因とはこの場合、なんなのか。別にいいじゃない、てきとーに『前世で恋人同士だった!』とかで。魔法少女・まゆゆ。わたしも好きよ」
「ま、魔法少女だなんてこんなときに言わないでくださいよ。もうっ。それ言ったら先輩だって文学少女なんでしょ」
先輩は咳払いを一つする。
「そう。文学少女。いずれはこの文学少女だったときのことを、この学生生活のことを、書き残したいと思ってる。わたし、書けるかなぁ。嫌なことばかりがある日常で、保健室に逃げてきて。ひどい目に遭って、ひどいことをした奴に名指しで『死ね』って言いたくて、でも言えなくてそのままここで生活していて。この思いをぶつける矛先は文学だってことだけは決めてるけど。原稿はいつも真っ白。罪がないかのように。そこに塗りたくるインクの黒は、わたしの色みたいだわ。しかし世の中の作家たちは学生生活を美化して語りがちで、それって、そうじゃないと読んでくれないからで。誰も汚れたものなんか見たくないのかも。かくして、わたしの原稿は汚物になってしまうことだけが確定している。ごめんなさい、原稿用紙ちゃん。もう綺麗事しか書けない時代になってしまったのね。うすうす感じていたけれど。それでもわたし、綺麗事が埋め尽くす文学の未来なんて見たくないわ。今は『読み専』の、ただの文学少女であるわたし。灰色にまみれた国の住人よ。しかも、傍観者として」
先輩はそこまで一気に言葉を乱射すると、大きく息を吸って、吐いた。
「わたしは汚い小説を書くわってこと。世界が終わらなければ、ね。……ご静聴、ありがとうございました」
うーん。
確かに、変人ではある。
けれどそこには、文学に対する愛も感じられる。自分の人生と、文学の未来は相容れないだろうという推測が、あさり先輩をして、こうやってしゃべらせる。
文学って罪な奴だ。
わたしは、なにもしたくない。
未来に。
たとえ地球が壊れそうになっても、なにもしたくないだろう。
必死になんかならないだろう。
そう、思う。
地下鉄戦争で負けて〈否定される〉声に敏感になりすぎた、あの魔法少女たちとはわたしはもう違う。
寛解したのだ。
……って、なに言ってるんだろ、わたしは。
不本意だわ。
先輩がしゃべり終え、二人でソファに体重を預けたとき、保健室ドアを開けた音がした。
振り向くと、そこには青あざだらけのわたしのクラスメイト、田中くんのブサイクな面があった。
田中くん、わたしと先輩を見て咄嗟に笑みを浮かべたが、歯がすでにぼろぼろになって口の中も出血していた。
その出血の笑みを合図にしたかのように、二限目が始まるチャイムが鳴った。
沖田あさり先輩は普段、保健室のベッドの中にいる。
さなえとみかの知るところによれば、そうらしい。
メアド交換の翌日。
特にメールも電話もなかったのだけど、気になったし、メールなんてまどろっこしいものじゃなく、実際にあさり先輩に会いに行こうと、わたしは一限目の生物の授業が終わると、保健室まで行ってみることにした。
保健室。
はじめて入るのでどきどきしたが、勢いよく横開きのドアを開け放つ。
「頼もぉッ!」
勢いをつけて、道場破りっぽく叫んでみた。
すると、湯飲みでお茶をすすりながらあさり先輩が、
「エニモー!」
と、事務用椅子に座りながら、応じた。
「おはよ、まゆゆちゃん」
マフラーはつけたまま、先輩は椅子をくるくる回転させながら座る。
「くるくる回すとお茶が飲みにくい。てか、こぼれる……」
そう言いつつ、椅子の回転はやめない。
お茶を全部すすり終わったのち、椅子の回転は止まった。
先輩がマフラーを口元を隠すように直す。
「あ、あの、先生は?」
「え? 先生って、保健の千鶴ちゃんなら、職員会議の資料のコピーやらされてる。ザ・雑用係!」
「保健の先生って、そんなこともやるんですね」
「いや。千鶴ちゃんが下っ端なだけ」
「下っ端……」
椅子からぴょん、と飛ぶように降りると、あさり先輩は、
「ソファ、あるよ。座れば」
と、ソファを指さした。
黒くて横長のソファに、わたしは身体を埋める。
さっき先輩が座っていた椅子のところの、事務用机の上には、ノートと教科書が開いてあった。
勉強、してたんですね、とは言えない。言えるはずない。
この人は本当に『保健室登校』なのだ。
勉強がしたくなくて保健室で休んでいるわけじゃないのだ。
「なに? 教科書なんて見ちゃって。わたしとイケナイコトお勉強したいの?」
あさり先輩はくすくす笑う。
先輩はからかうように続ける。
「わたしだって、勉強くらいするわ。気づいてる? 義務教育はもうすぐ終わるのよ。終わったら、自主的に、勉強しなきゃならないわ。そのためには、勉強に慣れておかないと」
まるで、義務教育という『義務』から親が解放されたら見放されるかのような言い方。
考えすぎかな。
でも、そんな風にとらえられる。
「わたしは、今、勉強の仕方を学んでいる。受験とはほぼ、関係なしに。受験、進学にうちの親が金を出すとも限らないもの」
「え、いえ、そんな意味では……あ、あわわわわ」
「ごめんごめん。でも」
いたずらっぽい笑みをこぼして、先輩はわたしの制服の袖のあたりを見やる。
「自分を傷つけるタイプが生きていくには、今から自分でサバイヴすることも、考えなくちゃね」
自分の袖をみる。手首から少し包帯がはみ出している。
先輩はそれを見て、言っている。
見られたくないものを見られて、わたしは恥ずかしくなって、うつむいた。
「復学できてよかったじゃない」
先輩はもしかしたらわたしを怒らせようとしているのかもしれなかった。
自傷癖のことも休学のことも、言われたくなかったし、それを知ってて言うから。
「わたしに会いに来たの」
「はい」
「素直なのね」
「この気持ち、隠したくありませんから」
「わたし、沖田あさりは変人よ。保健室登校だから変人扱いなのではなく、変人だから、保健室登校になっちゃった、っていう、どうしようもない人間」
「そんなこと言わないでください、先輩。わたしはあなたが好きです」
「チョロいわね」
「チョロくていいです。わたし自身もわからないんですよ、この気持ち。どうしてあさり先輩を好きになったのか……」
「因があって、果がある。じゃあ、その因とはこの場合、なんなのか。別にいいじゃない、てきとーに『前世で恋人同士だった!』とかで。魔法少女・まゆゆ。わたしも好きよ」
「ま、魔法少女だなんてこんなときに言わないでくださいよ。もうっ。それ言ったら先輩だって文学少女なんでしょ」
先輩は咳払いを一つする。
「そう。文学少女。いずれはこの文学少女だったときのことを、この学生生活のことを、書き残したいと思ってる。わたし、書けるかなぁ。嫌なことばかりがある日常で、保健室に逃げてきて。ひどい目に遭って、ひどいことをした奴に名指しで『死ね』って言いたくて、でも言えなくてそのままここで生活していて。この思いをぶつける矛先は文学だってことだけは決めてるけど。原稿はいつも真っ白。罪がないかのように。そこに塗りたくるインクの黒は、わたしの色みたいだわ。しかし世の中の作家たちは学生生活を美化して語りがちで、それって、そうじゃないと読んでくれないからで。誰も汚れたものなんか見たくないのかも。かくして、わたしの原稿は汚物になってしまうことだけが確定している。ごめんなさい、原稿用紙ちゃん。もう綺麗事しか書けない時代になってしまったのね。うすうす感じていたけれど。それでもわたし、綺麗事が埋め尽くす文学の未来なんて見たくないわ。今は『読み専』の、ただの文学少女であるわたし。灰色にまみれた国の住人よ。しかも、傍観者として」
先輩はそこまで一気に言葉を乱射すると、大きく息を吸って、吐いた。
「わたしは汚い小説を書くわってこと。世界が終わらなければ、ね。……ご静聴、ありがとうございました」
うーん。
確かに、変人ではある。
けれどそこには、文学に対する愛も感じられる。自分の人生と、文学の未来は相容れないだろうという推測が、あさり先輩をして、こうやってしゃべらせる。
文学って罪な奴だ。
わたしは、なにもしたくない。
未来に。
たとえ地球が壊れそうになっても、なにもしたくないだろう。
必死になんかならないだろう。
そう、思う。
地下鉄戦争で負けて〈否定される〉声に敏感になりすぎた、あの魔法少女たちとはわたしはもう違う。
寛解したのだ。
……って、なに言ってるんだろ、わたしは。
不本意だわ。
先輩がしゃべり終え、二人でソファに体重を預けたとき、保健室ドアを開けた音がした。
振り向くと、そこには青あざだらけのわたしのクラスメイト、田中くんのブサイクな面があった。
田中くん、わたしと先輩を見て咄嗟に笑みを浮かべたが、歯がすでにぼろぼろになって口の中も出血していた。
その出血の笑みを合図にしたかのように、二限目が始まるチャイムが鳴った。