第17話
文字数 2,707文字
☆☆☆
マフラーごしに、あさり先輩はわたしに、
「哲学なんて必要ないわ。必要なのは美学。そうでしょう、魔法少女のまゆゆさん」
と、確かに言った。
「魔法少女?」
あさり先輩はわたしのポケットからはみ出る携帯電話のストラップを指さす。
「それ、日曜の朝にやってる魔法少女のアニメのキャラのアクリルストラップ、よね。あの召使いの黒猫の」
「う……」
恥ずかしい。
間を置かず、さなえは、
「え? まゆゆのオタクって、『魔法少女』のオタク、だったの? キャラストラップなんてやりすぎー」
と、吹き出す。
「ううぅぅぅ……」
「魔法少女・まゆゆ、なんだねー」
きゃわきゃわとさなえは笑いが止まらないようだ。
それに比べて、あさり先輩は冷静な目でわたしを見つめる。
「魔法少女は『美学』の塊よ。わたしも、そのアニメは好き。美学があるから。魔法少女は、変身できるようになるのは偶発的にその端を発するのかもしれないけど、いずれ自分の意志で戦うようになる。だから、魔法少女は決して『お人形』じゃないわ。女の子はずっと、お人形のようなものではいられない。それを感じさせてくれる」
いきなりの長い言葉に、さなえは、
「えー。先輩キモい」
と、直球を投げる。
「ちょ、ちょっと、さなえちゃん。キモいとかないって……」
「いいのよ」
先輩はわたしを制する。
「スポーツ少女には文学少女の苦悩はわからない」
なんか二人とも喧嘩腰になってる。
異常を感じたのか、そこへみかも小走りでやってくる。
「なになに? 喧嘩?」
みかも直球だった……。
「まゆゆさん、だったわね。休学は満喫できたのかしら……。退院おめでとう」
「!」
一瞬、びくっとした。
シラレテハイケナイ過去。
それに触れられたのかと思って、わたしは硬直する。
でも、先輩はこころの病気だなんて一言も言ってない。大丈夫。
「え? なになに? 沖田先輩とまゆゆって知り合いだったの?」
みかが驚いた風に言う。
「違うわ。一方的にわたしが知ってるだけ。保健室登校だから、知ってるだけ。あと、わたし、自分の名字が気にくわないの。正確には親族が嫌いなの。わたしのことはあさりって下の方の名前で呼んでちょうだい」
なんか威圧感を感じる、この場の空気が、よくない気がする。
「そ、掃除の続きしなくちゃ」
勇気を振り絞って、わたしは提案した。
あさり先輩は、ふぅ、とため息を吐いてから、
「ガール・ミーツ・ガールにはほど遠い出会いだったわね」
と、はにかみながら呟いた。
☆☆☆
いつ、どこで、誰が、なにを、どうしたいのか。
わからない。
日常に起承転結はなくて。
朝起きて、時間ごとにごはんを食べて、眠る。
そのリズムに乗れることが退院するための必須条件だった。
やまもおちもいみもなく、起きること、ごはんを食べること、薬を飲むこと、そして、眠って、次の日の決まった時間に必ず起きること。
将来の夢や展望。仕事、学校。……それ以前の話。
幼少期に覚えておかねばならないこと。
規則正しく生き、「自分で考え、自分のその考えでどうにか生き抜くこと」。
世の中を生きるには、一人では生きていけないけど、それとは違う、もっと根本的なところでは、自分一人でこの人生をサバイヴしてかなきゃならない。
その再確認を、病院で覚えた。
ひとは弱みにつけ込むから。
ある程度の武装は仕方がない。
つけこまれないための。
生き抜くための。
武装。
「そうだ、ご主人。その武装こそが、おれだ。ダーク・ルール・ガンとなった、アンラ・マンユという名の、俺様。善悪二元論の悪。悪の掟に則り、ご主人、あんたを守る。いつまでだってだ。なんでそんなにおれがあんたに固執するかといえば、あんたは『強みを見せない』からだ。弱みを見せないんじゃなくな。面白くなってよ。見守ってやるよ。いい人生を過ごせよ」
……懐かしい声が聞こえた。
でも、それが誰の声なのかが思い出せない。
寛解。
その一言が血管の中を流れる。
脈動。
心臓のオーケストラ。
わたしは、今日もここにいます、きっと。
☆☆☆
南部図書館の掃除が終わって、学校に帰るその前に、わたしは沖田あさり先輩のところまでダッシュする。
先輩は難しい顔をして、まだ本を読んでいて、それを司書のましまろさんがほほえましく見ていた。
そこへ、わたしが割り込む。
一言、言わなくちゃならないと思ったから。
「先輩! あさり先輩」
「なに? 息を切らせて走ってきて、一体なにかしら」
わたしは息を整える。
「わたしの、なにを知ってるんですか、先輩は」
「なにも。なにも知らないわ。保健室で聞いたことだけ知ってるの」
「そうですか。先輩はわたしのこと、なにか知ってるんじゃないかと思って」
「それで?」
「同時に、わたしの方も先輩のなにかを知ってるような気がして」
「そうなの?」
「知りません。そう、感じただけかもしれなくて」
「要領を得ないわ」
「そう。なにか要領を得ないんです。これって……」
「これって?」
「あさり先輩! わ、わたしと、お、お友達になってください! お願いしますッ」
わたしは頭を下げる。
「ん」
先輩がマフラーを下にずらし、口元を見せる。
先輩の口元が動く。
「わたしも、あなたのことが好きよ」
顔を上げるわたしは動転する。
「す、すす、すすすすす、好き? ですか!」
あさり先輩はブレザーのポケットに突っ込んだ手のまま、前屈みになる。
「こちらこそ、お願い」
お辞儀をしたんだ、と気づき、わたしも頭をもう一度、下げる。
「い、いえ、あ、あの、好きって」
顔を上げた先輩は、ポケットから手を出して、その手を伸ばした。
わたしたちは握手をした。
先輩の手はポケットに突っ込んでいたからか、暖かかった。
一分くらい経ったのだろうか。長く感じたその握手は、司書のましまろさんの咳払いで解除された。
「なにやってんのー。まゆゆ。おいてくよー」
入り口の方からさなえが大きな声でわたしを呼ぶ。
「またね、〈魔法少女志願〉の、まゆゆちゃん」
「はい」
手を振り合って、先輩とわかれる。
なんでわたしはこんな行動に出たのだろう。
わからない。
でも、わたしは先輩と時を刻みたかったんだと思う。
ううん。
やっぱり、わからない。
恋心は、わからないものだから。
マフラーごしに、あさり先輩はわたしに、
「哲学なんて必要ないわ。必要なのは美学。そうでしょう、魔法少女のまゆゆさん」
と、確かに言った。
「魔法少女?」
あさり先輩はわたしのポケットからはみ出る携帯電話のストラップを指さす。
「それ、日曜の朝にやってる魔法少女のアニメのキャラのアクリルストラップ、よね。あの召使いの黒猫の」
「う……」
恥ずかしい。
間を置かず、さなえは、
「え? まゆゆのオタクって、『魔法少女』のオタク、だったの? キャラストラップなんてやりすぎー」
と、吹き出す。
「ううぅぅぅ……」
「魔法少女・まゆゆ、なんだねー」
きゃわきゃわとさなえは笑いが止まらないようだ。
それに比べて、あさり先輩は冷静な目でわたしを見つめる。
「魔法少女は『美学』の塊よ。わたしも、そのアニメは好き。美学があるから。魔法少女は、変身できるようになるのは偶発的にその端を発するのかもしれないけど、いずれ自分の意志で戦うようになる。だから、魔法少女は決して『お人形』じゃないわ。女の子はずっと、お人形のようなものではいられない。それを感じさせてくれる」
いきなりの長い言葉に、さなえは、
「えー。先輩キモい」
と、直球を投げる。
「ちょ、ちょっと、さなえちゃん。キモいとかないって……」
「いいのよ」
先輩はわたしを制する。
「スポーツ少女には文学少女の苦悩はわからない」
なんか二人とも喧嘩腰になってる。
異常を感じたのか、そこへみかも小走りでやってくる。
「なになに? 喧嘩?」
みかも直球だった……。
「まゆゆさん、だったわね。休学は満喫できたのかしら……。退院おめでとう」
「!」
一瞬、びくっとした。
シラレテハイケナイ過去。
それに触れられたのかと思って、わたしは硬直する。
でも、先輩はこころの病気だなんて一言も言ってない。大丈夫。
「え? なになに? 沖田先輩とまゆゆって知り合いだったの?」
みかが驚いた風に言う。
「違うわ。一方的にわたしが知ってるだけ。保健室登校だから、知ってるだけ。あと、わたし、自分の名字が気にくわないの。正確には親族が嫌いなの。わたしのことはあさりって下の方の名前で呼んでちょうだい」
なんか威圧感を感じる、この場の空気が、よくない気がする。
「そ、掃除の続きしなくちゃ」
勇気を振り絞って、わたしは提案した。
あさり先輩は、ふぅ、とため息を吐いてから、
「ガール・ミーツ・ガールにはほど遠い出会いだったわね」
と、はにかみながら呟いた。
☆☆☆
いつ、どこで、誰が、なにを、どうしたいのか。
わからない。
日常に起承転結はなくて。
朝起きて、時間ごとにごはんを食べて、眠る。
そのリズムに乗れることが退院するための必須条件だった。
やまもおちもいみもなく、起きること、ごはんを食べること、薬を飲むこと、そして、眠って、次の日の決まった時間に必ず起きること。
将来の夢や展望。仕事、学校。……それ以前の話。
幼少期に覚えておかねばならないこと。
規則正しく生き、「自分で考え、自分のその考えでどうにか生き抜くこと」。
世の中を生きるには、一人では生きていけないけど、それとは違う、もっと根本的なところでは、自分一人でこの人生をサバイヴしてかなきゃならない。
その再確認を、病院で覚えた。
ひとは弱みにつけ込むから。
ある程度の武装は仕方がない。
つけこまれないための。
生き抜くための。
武装。
「そうだ、ご主人。その武装こそが、おれだ。ダーク・ルール・ガンとなった、アンラ・マンユという名の、俺様。善悪二元論の悪。悪の掟に則り、ご主人、あんたを守る。いつまでだってだ。なんでそんなにおれがあんたに固執するかといえば、あんたは『強みを見せない』からだ。弱みを見せないんじゃなくな。面白くなってよ。見守ってやるよ。いい人生を過ごせよ」
……懐かしい声が聞こえた。
でも、それが誰の声なのかが思い出せない。
寛解。
その一言が血管の中を流れる。
脈動。
心臓のオーケストラ。
わたしは、今日もここにいます、きっと。
☆☆☆
南部図書館の掃除が終わって、学校に帰るその前に、わたしは沖田あさり先輩のところまでダッシュする。
先輩は難しい顔をして、まだ本を読んでいて、それを司書のましまろさんがほほえましく見ていた。
そこへ、わたしが割り込む。
一言、言わなくちゃならないと思ったから。
「先輩! あさり先輩」
「なに? 息を切らせて走ってきて、一体なにかしら」
わたしは息を整える。
「わたしの、なにを知ってるんですか、先輩は」
「なにも。なにも知らないわ。保健室で聞いたことだけ知ってるの」
「そうですか。先輩はわたしのこと、なにか知ってるんじゃないかと思って」
「それで?」
「同時に、わたしの方も先輩のなにかを知ってるような気がして」
「そうなの?」
「知りません。そう、感じただけかもしれなくて」
「要領を得ないわ」
「そう。なにか要領を得ないんです。これって……」
「これって?」
「あさり先輩! わ、わたしと、お、お友達になってください! お願いしますッ」
わたしは頭を下げる。
「ん」
先輩がマフラーを下にずらし、口元を見せる。
先輩の口元が動く。
「わたしも、あなたのことが好きよ」
顔を上げるわたしは動転する。
「す、すす、すすすすす、好き? ですか!」
あさり先輩はブレザーのポケットに突っ込んだ手のまま、前屈みになる。
「こちらこそ、お願い」
お辞儀をしたんだ、と気づき、わたしも頭をもう一度、下げる。
「い、いえ、あ、あの、好きって」
顔を上げた先輩は、ポケットから手を出して、その手を伸ばした。
わたしたちは握手をした。
先輩の手はポケットに突っ込んでいたからか、暖かかった。
一分くらい経ったのだろうか。長く感じたその握手は、司書のましまろさんの咳払いで解除された。
「なにやってんのー。まゆゆ。おいてくよー」
入り口の方からさなえが大きな声でわたしを呼ぶ。
「またね、〈魔法少女志願〉の、まゆゆちゃん」
「はい」
手を振り合って、先輩とわかれる。
なんでわたしはこんな行動に出たのだろう。
わからない。
でも、わたしは先輩と時を刻みたかったんだと思う。
ううん。
やっぱり、わからない。
恋心は、わからないものだから。