五 家具配置

文字数 2,548文字

 十五分ほどで森田園に着いた。
 正俊は庭までトラックを乗りいれて茶の間の広い廊下付近までトラックの荷台を接近させ、トラックのリフトを使って手際よくソファーセットと家具を、室内用の大きめのゴム車輪がついたキャスターで茶の間へ運び入れた。
 茶の間はかつて日本間だったのをフローリングにしたため、それなりの家具をそろえたと森田園の森田倫太郎は朗らかに正俊に説明した。
 倫太郎の娘智子は、ソファーや家具の梱包材を片づけ、拭き掃除している。
 祖父母は奥にいるらしく、茶の間にいるのは智子の母藍子と原田伸子のおしゃべり中年だ。

 正俊は智子に憶えがあった。中学が同じで、正俊が一年の時、智子は三年だった。彼女は正俊の母の昌代に似ていた。そのため強く正俊の印象に残っていた。
 高校も地元の進学校で同じだった。一年の正俊は三年の智子を何度も学内で見かけたが、話しかける機会は無かった。
「堀田さんとは中学と高校でいっしょだったね」
 智子はフローリングを拭き掃除しながら、くだけた様子で正俊に話した。
「チョンって憶えてる?」
「あの古文の先生か?」
 正俊も智子のペースに乗って気軽に答えた。
「そう、髪がいつも鶏の鶏冠みたいに、チョンと立ってた。あのチョンを三段階に表示して、お昼ご飯のおかずを賭けてたよ・・・」
 智子は当時を思いだしたらしく、少女のようにケタケタ笑った。
「どんな風にして」
 正俊は智子の父倫太郎と、梱包を解いたソファーを移動して配置を決めている。
「髪が上中下のどの位置にあるか、『今日は上に卵焼き』って・・・」
 智子はソファーを保護していた梱包材を廃棄物用の袋へ入れ、堀田運送の運送用の保護材を、正俊からわたされた袋に入れている。

 倫太郎の指示で、智子の話を聞きながら作業しているうちに、三人掛けのソファーの位置が決まった。
「勝つとどうなるの?」
 一人掛けのソファーの位置も決った。
「勝った人が、賭けたおかずを分け合うの」
 智子は掃除機をかけながら笑っている。高確率で勝ったみたいだ。

「イモは?憶えてる?」
 正俊はテーブルを並べながら言った。
「物理の先生ね。頭が干からびたインカのジャガイモみたいな・・・」
 森田智子はプッと笑いを吹きだした。インカの末裔が保存食にしている乾燥途中のジャガイモに、物理の先生の頭部が似ていたのだ。
「あの先生の授業、いつも笑ってたよ。日によって・・・」
 イモの頭の皺が日によって変ってたと智子が言った。
 正俊とともに作業している倫太郎も笑いをこらえている。
「私はイモの物理とクンの化学が必要だったわ」
 クンというのは鼻炎でいつも鼻をクンクンさせている化学の先生だ。智子は薬学部志望だったので理数系が受験科目だった。
「俺も物理と化学だった・・・。イモの授業は眠かった。声が低くて単調だろう・・・。聞いてると低音のさざ波みたいに聞えてきて、ふっと眠気が襲ってくる・・・」
「わかる、わかる。隣の席で、コーンッて床に鉛筆の落ちる音がして、寝息が聞える。
 すると、イモがその鉛筆を拾って机に置き、眠ってる生徒に何も言わずに授業をつづける・・・。あーあ、イモは人間ができてるなあって・・・」
 また森田智子は笑っている。
 陽気な智子の表情や話し方や話の内容に、少女のような人だと正俊は思った。

「理論がわかったら、公式を憶えて利用すればいいんですって言ってたな・・・。
 イモはどんな問題もかんたんに解いてた・・・」
 正俊は倫太郎とサイドボードと書棚の梱包を解いた。
「同じような授業、ずっとつづけたんだね・・・」
 智子は梱包材を片づけ掃除機をかけている。
 正俊と倫太郎は、サイドボードと書棚を壁際に配置した。
「イモのおかげで、物理がおもしろかったな・・・」
 正俊は高校の授業を思いだしていた。
「私も気楽に物理を理解できたよ・・・」
 智子が居間全体に掃除機をかけている。
 正俊と倫太郎はソファーと家具を拭き、フローリングを拭いた。

 家具の設置と掃除が終った。午後二時をまわっていた。
「遅くなったけど、お昼、食べてください!」
 智子の母藍子が隣室の座敷へ正俊と原田伸子を招いた。倫太郎と智子も、どうぞ、と正俊を座敷へ招いている。
「すみません。トイレと洗面所を使わせてください」
 正俊は顔を洗ってトイレをすませたかった。
「アッ、気がつかずにごめんね。こっちです」
 智子はちょっとあわてた様子で、居間の横の廊下を玄関の方向へ歩き、玄関から広いダイニングキッチンへ行く廊下の先へ正俊を案内した。
「作業用です。ジャージを着てますから・・・」
 堀田は作業用のツナギを脱いでたたみ、廊下においた。

 正俊が洗面所で洗面をすませると、
「はい、これ使ってね・・・」
 智子がタオルを手渡した。なにか言い淀んでいる。
「ありがとう・・・。トイレは・・・」
 正俊も森田智子に伝えたいことがあったが場所が場所だけにためらった。
「その奥よ・・・」
 智子が洗面所の先を示し、少しうつむきながら、
「あの・・・」
「あの・・・」
 正俊も同じ言葉を口にしていた。
「すみません。なにか?」
 正俊はうつむいた智子の額を見つめた。
「堀田さんこそ、何かしら?」
 智子が正俊の顔を見あげた。正俊の眉間を見つめている。
「こんなとこで、こんな時にすみません。
 俺とつきあってください。
 会社を辞めたばかりで、実家の運送屋を手伝ってます。
 仕事はいずれ何とかします。つきあってもらえれば、全てに張りあいが出ます・・・」
 あわててはいなかったが、いっきにそう言った後で、
『あーあ、言っちまったぞ』
 と正俊は思った。

 目の前にいる智子は正俊より頭一つ分くらい低い。きれいな曲線美の身体の上に、ポニーテールの童顔がのっている。
 正俊は、正俊を見つめている智子を見つめた。
「私の伝えたいことを、堀田さんが話してくれました・・・・。
 お願いします」
 智子がぺこりとお辞儀した。
「ヤッホーッ!」
 正俊はいきなり智子を抱きしめた。
「行ってきます!もどっててください。父上に話します!」
 驚いている智子にそう伝え、正俊はトイレへ入った。トイレへ入るなり、正俊は、なにか妙だぞ、と思った。こういう場合、女に選択権があるのがふつうだ。あまりに状況が整いすぎていると思った。
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