九 依頼

文字数 927文字

 十月下旬、土曜日。
 厚木の自宅の居間にいる荻原重秀の前に、妻多恵が二通の封書を放り投げていった。
 一通は請求書で、もう一通は月曜に求人に応募して書類を送った企業からのA4の封筒だった。
 A4の封筒は開かなくても内容がわかった。荻原が送った書類をそのまま返送してきたのだ。封を開くと、やはり、書類選考の結果、不採用になったことを知らせていた。
 くそっ、またか・・。また、調べたな・・・、と荻原は思った。

 荻原の思いをあざ笑うように、居間のTVから音声が響いた。
 TVは芸能人の家や暮らしの特集をしている。売れっ子芸能人は皆、派手な暮らしぶりだ。チャンネルを変えても、グルメや旅行やスポーツ、ファッションなど、豊かな生活の日本社会を報じている。
 TVの報道自体がコマーシャリズムへ大きく傾いてきた現在、そうした番組が多いのはわかっているが、状況が状況だけに、荻原はことさらそういう番組に腹がたった。

 こうなるのは母や妻が俺のことを理解しないせいだと荻原は思った。もっと二人が俺に対して和やかに接していれば、あんな風にはならなかったはずだと思った。
 誰も俺の悩みを聞かなかった。営業で嫌な思いをしてそれを家でつぶやいただけで、妻は、男だから、一家の大黒柱だから、いずれ親になるんだから、アンタのことはアンタが責任を持てと俺を非難した。俺の稼ぎを使うだけ使って、俺が悩みを言いだせば、いっさい無視してきた。
 あの時、妻の本性を知った気がした。妻の存在自体が負担で、いったんは離婚を決意した俺だった。あの時の思いをどうして実現させなかったんだろう・・・。
 そんなことより、早く就職先を見つけて、その後のことを考えよう・・・。
 しかし、こんな状態ではどうしようもない・・・。
 仕方ない。かつての上司に頼みこむか・・・。
 荻原は、今まで務めていた厚木電装本社工場の上司に相談することを決意し、その場で連絡した。

 かつての上司は快く相談に乗った。
「よかったら、明日、うちに来てくれないか。先方の担当者に来てもらうよ。うちの関連の溝端バッテリーだ。
 君、あそこの工場長と仲が良かったね。君の事を話してたよ。来て欲しいと言ってた」
 かつての上司は思わぬことを荻原に伝えた。
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