二十二 画策したのは誰だ

文字数 2,505文字

 杉山刑事が話し終えると、溝端浩太郎会長が何か思いだすように話しはじめた。
「九月の生産調整はしなくてもよかったはずでした。
 従来なら、アメリカ一国の首長が語っただけで市場が大きく変動することはありませんでしたが、選挙公約の影響を気にして市場が大騒ぎしすぎでした。
 現に、三ヶ月後の現在の市場は正常です。
 何のために、君が厚木電装本社工場で神経をすり減らして生産調整する必要があったのでしょうね。
 私には、君を苛立たせるのが目的だったんじゃないかと思えますよ・・・」
 そう言って溝端浩太郎会長は荻原を見つめた。

「では、あの時期に、営業の堀田正俊が厚木電装本社工場に来たのは偶然ではないと?」
 荻原の顔色が変った。何か思いあたることがあるらしい。
「君がイライラしている時期に、堀田正俊が工場に来たら、君はどうしましたか?」
 溝端浩太郎会長は荻原の性格を、故人となった溝端浩造社長から聞いている。
 荻原は、仕事と家庭で溜めこんだ当時の苛立ちを思いだした。
「あの当時の自分なら、確実に喧嘩していた・・・」
「その結果が現在だと思いますよ」
 荻原にむけた溝端浩太郎会長のまなざしが穏やかになった。

「そのように画策したのは誰です?」と杉山刑事。
「俺を指導した沢井課長でしょう・・・」
 荻原は、外注には優しく、内部には厳しくと指導した沢井課長を思いだした。あれら全てが、俺を不正の首謀者に仕立てる手だったのだろう・・・。
「工場長だった当時の浩造も、沢井課長に影響されていたようですが、今となっては何があったかわかりません・・・」
 溝端浩太郎会長が口を閉ざした。

 俺が堀田に殴りかかったあの日、堀田はなぜ、厚木電装本社工場に来たのだろう・・・。今、いくら考えても、堀田があの場にいなければならない理由はない。営業連絡なら俺がいた生産管理課ではなく、本社工場の営業管理課へ行くべきだ・・・。
 正俊が生産管理課に来た理由を知りたい、と荻原は思った。
「杉山刑事。九月に堀田正俊が厚木電装本社工場の生産管理課に来た理由を知りたいと思う。堀田に連絡して、全てを説明していいですか?」
 荻原は杉山刑事にそう言った。溝端浩太郎会長の考えが真実なら、堀田に指示した者が不正に絡んでいたことになる。堀田に指示できたのは、堀田の当時の上司、東京営業本社の第一営業係長の田辺良太だ・・・。
「連絡してください。全て話していいですよ」
 溝端浩太郎会長の考えが正しければ不正の容疑者が判明する、と杉山刑事は思った。

 まもなく正午だ。荻原は携帯をその場にいる人たちが聞えるようにセットし、森田正俊へ連絡した。
「堀田か?荻原重秀です」
「森田です。堀田は旧姓だ。警察に保護してもらったか?」
「君の証言、ありがとう。おかげで、今、保護してもらってます」
「それはよかった。今日は何だ?」
「忙しいと思うが、聞きたいことがあって電話した。時間はあるか?」
「昼休みだから、時間はある」
「まず、今までにわかったことを説明しとくよ・・・」
 荻原は今までにわかっている捜査状況を説明した。 

「九月に厚木電装本社工場の生産管理課の俺の所に来た理由は何だった?
 誰の指示で俺の所に来たのか教えてくれないか?」
「俺の上司だった東京営業本社第一営業部、第一営業課係長の、田辺良太の指示だ」
「どういう指示だった?」
「生産調整で迷惑をかけているから、本社工場生産部、生産管理課の荻原生産管理係長の御機嫌を取ってこいと言われた。
 営業本社と本社工場生産部営業管理課で連絡がついているのに、バカげた指示だった。そんな指示で三回も生産管理課へ行かされた。
 あれは、俺と荻原に乱闘させて、荻原を首にする目的だったような気がする」
「堀田もそう思うか?」
「そう思う。ああ、今度から荻原と呼ぶ。殴りかかられた相手に敬語は不要だからな」
「ああ、かまわない。俺も堀田を呼びすてにしてるんだ。ああ、森田だったね。
 そうなると、田辺良太営業係長も納入部品の不正に絡んでることになるな」

「溝端社長が亡くなったから、次の犠牲者が出るだろうな・・・」
「誰が狙われると思う?」と荻原重秀。
 正俊は、携帯から聞える荻原の声が少しだけ反響しているのが気になった。
「不正を知る証人の口封じなら、不正に荷担した者たちで、まだ捜査の手が伸びていない者たちが狙われるだろうな。
 納入部品データを改ざんしたと思われる物流システム(株)の担当者と、東京営業本社の田辺係長だな」
 正俊の説明を聞き、杉山刑事は警察無線で田上刑事に、溝端浩太郎会長と荻原工場長から事情聴取した内容を説明し、森田正俊の考えを説明した。
「わかった。その者たちを保護するよう手配する」
 田上刑事の決断は早い。
「お願いします」
 杉山刑事は無線を切った。 


「今、荻原はどこにいる?携帯はスピーカーモードだな?まわりに誰がいる?」
 正俊は、荻原のまわりに誰がいるか気になった。
「ここは溝端バッテリーの会長室だ。溝端浩太郎会長と三人の刑事がいる。ちょっと待ってくれ」
 荻原は杉山刑事の許可を得て、
「実は・・・」
 正俊に、昨夜の事情聴取から現在までの状況を、さらにくわしく説明した。

 荻原の説明を聞いて、正俊は、考えをうかつに話せない、と思った。聞かれて困る内容は、昨夜電話してきたあの田上刑事に連絡するしかない。容疑者を監視するのも、証人を保護するのも、警察の管理下にあれば、同じことだ・・・。
「不正の首謀者が決定していないから、沢井課長も保護対象だな」
「沢井課長は今、厚木電装本社工場で警察の事情聴取を受けてる。保護されているのと同じだ」
 荻原は杉山刑事に、沢井課長を監視した方がいい、と目配せした。
 ただちに杉山刑事が無線で連絡している。

「さて、昼飯にするから、これくらいでいいね」
 長野市大山路の森田家の応接間で、正俊はそばにいる智子の肩を抱きよせてほほえんだ。
「ああ、ありがとう。また、考えを聞かせてくれ」
 荻原の声から、以前のようなとげとげしさが消えている。荻原を穏やかにしたのは、今回の事件とは無関係らしい・・・。
「わかった。では、また」
 正俊は通話を切った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み