十五 事件

文字数 2,380文字

 十二月初旬、日曜日、夕刻。
 正俊たち家族はダイニングキッチンで夕食のテーブルにいた。
 テレビニュースが事件を報道している。

「本日午後、厚木市の住宅で、溝端浩造さん四十歳が重傷を負っているのが発見されました。厚木署によれば、溝端さんは刃物で刺されたことによる失血で重体です。
 事件が起きたのは本日午後二時頃と発表されています。
 室内が荒されていたため、警察は強盗傷害として捜査する方針を述べています・・・。
 家族は出かけていて自宅は溝端さん一人でした。夕刻、知人が訪ねてきて、怪我を負っている溝端さんを発見し・・・」

 正俊は驚いた。荻原が訪ねてきた頃、溝端バッテリーの溝端浩造社長は何者かによって襲われていた。
 荻原の話から推測すれば、強盗傷害ではなく、何者かが溝端社長の口を封じようとしたと考えられる。しかし、そんなことがあるだろうか・・・。溝端浩造社長を見つけたのは荻原だろうか・・・。

「正俊、どうしたの?」
 智子は箸を止めた。正俊はニュースに見入ったまま何か考えている。今日の午後に訪ねてきた正俊の客とニュースの被害者が関係しているのだろうか・・・。
「すまない。チャンネルを変える。ご飯の時に見る内容じゃないからね・・・」
 正俊は家族全員に言い聞かせるように言った。
 やはり、やっかいな客がやっかいなことを持ちこんできた・・・。智子にも家族にも荻原のことを、以前勤めていた会社の社員がリンゴを買いに来た、としか説明していない。それ以上のことを話さなくて良かった・・・。

 父の倫太郎は正俊に、今日の客についてくわしく訊こうと思ったが、智子のことが気になり、何も言わずにいた。
 倫太郎だけでなく家族全員が、智子を気づかう正俊から、智子がどういう状態にあるか薄々気づいて、時期が来れば正俊がそのことを公表すると考えていた。


 夕食後、正俊は入浴した。
 荻原の話をあれこれ考えているうちに、正俊の気持ちが変った。子どものことを考えて、荻原のことを智子に話さずにおこうと思ったが、隠し事をするのは良くないと気づいた。
「神さん、先祖の皆さん、智子が妊娠したよ。智子を守ってね。子どもを幸せにしてね。
 荻原重秀についてありのままを伝えるから、誤解されないようにしてね」
 浴槽に浸かりながら、正俊は、智子の妊娠と荻原についてありのままを話すことを先祖と神々に伝え、智子と子どもの幸せを祈った。

 部屋にもどった正俊は、智子にありのままを説明した。
「だから、入浴中に祈って、今、話したんだ・・・」
「私と子どもを気づかってくれてありがとう。なんとなくそんな気がしてたよ。だから、安心してね。
 でも、荻原さん、だいじょうぶかな・・・」
 智子は荻原が第二の被害者にならないように気にかけている。
「俺も気になってるが何もできないからね・・・・
 荻原が警察に事実を話せば危険は薄らぐが、監査役員から不正の濡れ衣を着せられる可能性はなくならないだろうな・・・」
 俺ができるのは、溝端浩造が被害を受けた時刻に、荻原がここ長野市にいたと、アリバイを証言することくらいだ・・・。

「ネエ、荻原さんはどうしてリンゴを買ったんだろう。正俊からいろいろ訊きたかったから、リンゴを買って時間を引きのばしたのかな?
 それとも、今日の午後二時頃、ここにいたことを証明するために、リンゴを買ったのかな・・・」
 智子が興味深いことをつぶやいた。
 正俊は荻原について、智子が話したようなことを考えていなかった。不正は厚木電装本社工場と溝端バッテリーとの間で行われた。荻原は濡れ衣を着せられようとしている。溝端浩造社長を襲う動悸はあるが、それだけで犯行におよんだら、ただちに荻原の犯行だとわかってしまう。

 そのとき固定電話が鳴った。正俊が出ると、父の倫太郎が、厚木署からの電話だと告げて回線を切り換えた。
「はい、旧姓は堀田です。現在は森田です、何でしょうか?」
 厚木署からの電話は意外だったが、いずれ警察から事情を聞かれると思っていた正俊はあわてなかった。正俊は電話が智子に聞えるよう、電話を外部スピーカーに切り換えた。

「厚木署の刑事の田上と言います。夜分すみません。今日の事件、ニュースでご覧になりましたか?」
 田上刑事は低姿勢だった。
「はい、夕方見ました」
「ここだけの話です。被害者を発見したのは荻原重秀さんです。
 実は、今日の午後、荻原重秀さんが夫婦でそちらへリンゴを買いに行った、と話してますが、実際そうなのか、確認です」
「ええ、午後一時過ぎかな。リンゴを収穫していた家のそばのリンゴ畑にリンゴを買いに来て、二時過ぎまで、勤務先の会社のことなど話しました。
 俺と彼は、以前、勤めていた会社が同じでしたから」

「あなたと荻原重秀さんは、荻原重秀さんの件で辞めた、と聞いていますが本当ですか?」
「ええ、俺は、本社の係長にするなどと引き留められましたが、辞めました」
「荻原重秀さんは?」
「どうなったか知ったのは、今日、本人から聞くまで知りませんでした」
「今日、荻原重秀さんがそちらへ行ったのは、何が理由がありましたか?」
「何でも、元請けと下請けの間で不正があって、その不正の濡れ衣を着せられそうだと話してました。警察に保護してもらえと話しました・・・」
 正俊は田上刑事に、荻原が話したことをくわしく説明した。 

「くわしい話を聞かせてください。明日、そちらへうかがっていいですか?」
「かまいませんよ。でも、今、話したことくらいです」
「わかりました。もし、こちらでお聞きしたいことが出てきたら、また連絡します。協力してください」
「わかりました。彼、容疑者なんですか?」
「いえ、ひととおりの捜査手順を踏んでいるだけですので、ご安心ください」
「わかりました」

「ご協力ありがとうございました」
 田上刑事は取調室の電話を切った。
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