十一 入籍と座敷童

文字数 2,441文字

 十一月初旬、土曜日、午後。
 曇り空のこの日、正俊は長野市大山路の智子の家にいた。
「荷物、少ないね」
 智子の部屋へ運びこまれた正俊の荷物は寝具と衣料品とパソコンと書籍だけだった。
「実家に俺の物がまだあったけど、何年も使わない物ばかりだった。処分するよう父に頼んできた・・・」
 正俊はパソコンと書籍を智子の机の隣りに設置された机の上に並べている。
「布団と着換えがあれば生活できるよ。何も無くても、私の正俊は変らない・・・」
 智子は正俊の衣料品を収納棚とクローゼットに入れて、机に並びきれない書籍を本棚に入れた。
 正俊の物が何も無くても私の正俊は変らないと言ったが、智子の部屋に正俊の物が収まるにつれて、智子は自分の心が正俊で満たされる気持ちになり、心がおちついてゆくのがわかった。最もおちつくのは、正俊が智子の居住空間にいることだった。今日からいつ出かけても帰ってくれば正俊がいる。この部屋は私だ。私の中に正俊がいる・・・。

「一休みだよ!」
 ひととおり片づけが終り、智子は新しいダブルベッドを示して正俊に抱きついて、正俊をベッドに押し倒した。
「ここの作りはしっかりしてるから、騒いでも下に響かないよ」
 階下を気にする正俊に、智子がほほえんだ。智子の長い髪が正俊と智子の顔をおおい、二人の視界にあるのは互いの顔だけになった。正俊は智子を見つめた。急だったが、両親たちの判断はまちがってはいないと正俊は思った。

 二人の両親の提案で、昨日の朝、婚姻届を出して、近所の神社で身内だけの結婚式を挙げた。すでに二人は夫婦だ。もし婚姻届を出さずに正俊が週末ごとに智子の部屋に入り浸っていれば、同棲しているような夫婦のようなものだった。それなら婚姻届を出して夫婦にしよう。本来の見合結婚ならそんなものだ。両親たちがそう考えた結果だった。

「月曜からリンゴの収穫だよ。私は九時前に会社へ行って、五時過ぎに帰るね。さびしい九時間の後は・・・」
 智子が正俊に身体を密着させて正俊に唇を重ねている。
「うん、作業はわかってる。運送は、森田正俊運送。全部、俺がする」
 正俊は唇を重ねたままつぶやいた。正俊は周囲で暖かく大きな何かがゆっくり変ってゆく気配を感じた。
「ネエ、智ちゃん。この部屋で、何か気配を感じたことないか?」 
「あるよ」
 智子が唇を離して正俊を見つめ、また唇を重ねている。
「座敷童がいるの・・・。ご先祖さんかな。守護神だね・・・。
 もう、正俊の守護神だよ・・・」
「なるほどな・・・。俺たちの行動は見られてる。ほら智ちゃんのほっペをツンツンしてる」
 ほんとうに智子の頬を指先で確認している存在を正俊は感じていた。智子が言うように森田家の先祖らしい。正俊はその存在の雰囲気がなんとなく自分に似ている気がした。正俊は智子がそのような存在を感じているのかわからなかったから、感じたことを話さずにいた。

「ほんとは正俊、こうしたいんでしょう・・・」
 智子は正俊の手をとって正俊の指先で自分の胸をツンツンした。
「こうするの、ご先祖さんは喜んでるよ。子孫繁栄につながるからだって。応援してる」
 智子は正俊の両手をとって智子の胸にそわせた。
 孫の誕生を願って新婚の息子夫婦にそれとなく子作り行為の有無を確認する親たちの話はよく聞く。子孫繁栄を願う先祖なら、子孫が子作り行為をしているか否か、気にするのは当然なのだろうと正俊は思った。
「智ちゃん。俺の子どもを生んでほしい・・・」
 正俊は何気なくつぶやき、先祖が言わせたのを感じた。
「うん、いいよ。私、正俊の子ども生みたい。たくさん愛してね」
 正俊の腕の中で智子がささやいた。
「今から?」
「ううん、夜になったら・・・。ねっ・・・」
「・・・・」
 智子の言葉に正俊の返事がない。智子を抱きしめている正俊から寝息が聞える。
「いろいろ忙しかったから、疲れたね・・・」
 智子もまどろみはじめた。

 その夜。
 正俊は智子と深く愛し合った。智子は満たされて正俊の腕の中で静かな眠りについた。
 正俊は寝つかれなかった。腕の中に智子がいるからではない。ベッドや枕が変ったためでもない。このベッドで何度も智子と過し、何度も眠っている。
 夕刻、眠ったせいか・・・。だけどこれまで、土曜の夕方に一度眠って目覚め、夕飯を食べてそのまま朝まで眠ったことはあった・・・。
 目を閉じていた正俊は智子を抱きしめたまま目を開けた。寝室の照明は常夜灯の淡い明りになっている。ベッドサイドの時計は十二時をまわっている。この二階だけでなく、家全体が静かだ。

 そう思っていると、隣の部屋から笑い声が聞える。襖は開け放ってあり、隣の部屋も、天井から照らされた常夜灯の淡い明りの中だ。
 誰かがソファーに座り、カーペットに座っている者に話す気配がする。何だろうと正俊は聞き耳を立てた。
「みんな、智ちゃんと、正ちゃんのお手伝いをするんだよ」
 ソファーにいるのはおじいさんだ。先祖らしい。
「はーい。未来のママとパパだね」男の子の声だ。
「ちがうよ、お母さんとお父さんだよ」今度は女の子だ。
「母ちゃんと父ちゃんでいいよ」別な男の子だ。
「日本人なんだから、お母さん、お父さんでしょ。静かにしないと二人が起きちゃうよ」
 この女の子はしっかりしてる。
「だいじょうぶ、私たちは見えないし、私たちの声は聞えないよ」
 別な女の子だ。この子もしっかりしている。
「そんなことないよ。二人とも聞えてるし、見えてるよ」
 さらに別な男の子だ。この子もしっかりしている。
「そうじゃな。二人はわしらを認めてるから、聞えるし見えとるよ。普通の人のようにしているだけじゃ。そう思って、接しておくれ」
「はーい」六人が返事している。
 最初のしっかりした女の子が長女らしい・・・。そうか、女の子が生まれるんだ・・・。

「智ちゃん・・・。女の子が生まれるよ・・・」
 正俊は、眠っている智子にそう言った。
「うん・・・。知ってるよ・・・」
 智子が寝言のようにそう答えた・・・。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み