二十三 智子の推理

文字数 4,643文字

 十二月初旬、月曜日、午後。
 応接間からダイニングキッチンへもどった。誰もいない。
「父さんたち、ご飯はすんだ?」
「すんだよ。もう昼寝してるよ。母さんが、ゆっくり食べてねって言ってたよ」
 智子は茶碗にご飯をよそって、正俊と智子の席のテーブルに置いた。正俊は味噌汁を温めてお椀によそり、ご飯茶碗の横に並べている。
「お昼ご飯なのに、電話しててすまなかった・・・」
 席に着きながら、正俊は智子を見た。
「人助けなんだから、気にしない。気にしない。
 荻原さん、保護してもらえたんだね」
 テーブルに着いた智子は。ほほえんでいる。今日、智子は休暇を取って家にいる。
「ああ、昨夜、事件当時に荻原がここにいたことを田上刑事に説明したからね。
 いただきます・・・」

 正俊は、まっさきに、智子が焼いた厚焼き玉子を口に入れた。外はしっとり中は半熟でうまい・・・。智子の母と祖母が作る、出汁巻き玉子もうまいが、この厚焼き玉子は玉子の黄身の味がそのまま残っている・・・。
「どうしたの?」
 厚焼き玉子の味に感心する正俊を、智子が厚焼き玉子を食べながら、興味深そうに見ている。
「えっ、なに?」
 正俊は我に返ったように智子を見た。箸をとめて、変った生き物を見るような表情の智子と目が合った。
「初めて厚焼き玉子を食べたみたいな顔してるよ」
 智子がほほえんでいる。
「うん、この味は初めてだ!すっごくうまい!こんなオムレツを作ってね。ジャガイモをたくさん入れて」
 正俊は、この独特な玉子の風味をオムレツで味わいたいと思った。
「夕飯に作るね!私、ジャガイモのオムレツ得意よ!今まで作らなかったね!
 よし、夕飯のメニューが決った!野菜も食べてね!」
 智子が肉と野菜の炒め物を食べながら示している。
 正俊は肉と野菜を口に入れ、ご飯も入れている。
「そんなに一度に入れたら、味がわからなくなるよ」
「ああ、だいじょうぶだ。肉も野菜もしっかり味わってる」
 肉も野菜もしっかり味わってる。たしかに、あいつら一人一人、どういう立場にあるかしっかり見定めなければならない・・・。

「ネエ、さっきの電話、何かまずいことでもあったの?正俊が荻原さんのまわりに誰がいるか訊いてたから、私、気になったよ。魚も豆腐も糠漬けも食べてね」
「うん、食べてる・・・」
 智子の作る惣菜は種類が多い。結婚して以来、多種を少量ずつ食べてるから、体調は以前よりとても良い。推理だって、多方面の情報から推理しなければならない・・・。
「今、荻原は溝端浩太郎会長ともに溝端バッテリーの会長室で、警察の事情聴取を受けてる。荻原と刑事だけなら、いろいろ話せるけど、溝端浩太郎会長がいるとなれば、話せないこともある・・・」

「溝端浩太郎会長が怪しいの?」
 ご飯を食べながら智子が訊いた。智子もいろいろ推理しているらしい。
「智美に、事件のことを話していいのか?」
 糠漬けを食べてナメコの味噌汁を飲みながら、正俊は智子を見た。
「だいじょうぶだよ。正俊と私の子どもだよ。胎教で推理を学ぶ・・・。
 それで、正俊はどう思うの?ご飯は、お代りする?」
 豆腐を食べていた箸を置いて、智子が正俊に手を差し伸べている。
「うん、お代り頼む」
 正俊は茶碗を智子にわたした。
「不正の物的証拠は何も無いのに、不正の首謀者が不正の証人らしき者を消すと思うか?
 不正の証人らしき者も不正を行っていた。不正を暴こうなんてことは、今まで一度も話していない。ただ・・・」

「ただ、何?」
 智子は茶碗にご飯をよそり、正俊に差しだして正俊を見ている。

 正俊は茶碗を受けとって、ご飯の上に野菜と肉の炒め物をのせた。
「刑事が沢井課長に、
『亡くなった溝端社長が、不正が行われていたらしいことを話していた』
 と話したらしい。事情聴取で話を訊きだすため、嘘を話したんだと思う。
 溝端社長にそんな正義があれば、荻原を工場長になんかにしない・・・」
 正俊は、ご飯と肉と野菜を箸でつまみ、大きく開けた口に入れている。

「溝端浩造社長は不正が行われていたことを誰にも話してないのね。
 なぜ、新しい監査役員の沢口公認会計士は、納入部品の不正を言いだしたんだろう?」
 糠漬けを食べながら智子が考えこんでいる。
「政治家の資金管理団体や後援団体などの政治団体に対する寄附は、年間一団体につき百五十万円まで金銭による寄附ができるが、企業からの寄付はできない。
 政治家個人に対する寄附でも、選挙運動に関するもの(陣中見舞いなど)に限り、年間百五十万円以内で金銭による寄附をすることができる。
 個人名義で山岸宗典代議士の後援団体へ流れた額は百五十万円を超えていたんだと思う。
 そこで、後任の監査役員の沢口公認会計士が、荻原を不正の首謀者だと言いだしたのだと思う」
 正俊はご飯と焼き魚を口へ入れた。
「仮に、荻原さんがそんなことをしてたなら、今までの不正な金の流れはどうなるの?
 山岸宗典代議士が困るだけだよ」 
 溝端バッテリーと厚木電装本社工場の、前任の監査役員は夏川公認会計士、後任は現在の沢口公認会計士だ。二人とも山岸宗典代議士の政治資金管理団体の監査役員だ。

「現在の沢口公認会計士は監査役員としての自分の立場しか考えてないんだろうね。
 前任の夏川公認会計士が監査役員を務めていたときも、不正な金の流れがあったはずだ。おそらく、夏川公認会計士は不正な金を追求しなかった。帳簿に載せずに裏金として使ったんだろうね。
 だが、現在の監査役員沢口公認会計士は、不正で作られて個人献金された金を帳簿に載せない裏金として使うのは黙認できなかった。山岸宗典代議士の政治資金管理団体にプールされたままになっている金をどうやって処分するか考えた。
 そこで、山岸宗典代議士あるいは政治資金管理団体からいろいろ訊きだした結果、不正を働いた首謀者の考えどおり、荻原を首謀者に仕立てる当初の計画どおりに事を進めようとした。
 溝端バッテリーにも、厚木電装本社工場にも、これまで不正で金が作られた事実を示す物的証拠は残っていない。
 おそらく、残っているのは、山岸宗典代議士の政治資金管理団体にプールされたままになっている金だけだと思う。
 この金の出所をはっきりさせれば監査役員の面目が立つ、と沢口公認会計士は考えたんだろう。
 そうしているうちに溝端社長が消された」
 沢口公認会計士の考えは、荻原ひとりを不正の首謀者に仕立て、プールされている不正で得た政治献金の流れを断ち切るのが目的だったのだろう・・・。
 荻原が不正の首謀者で政治献金していたという筋書きにした場合、溝端浩造社長が消される理由は、真実を知る者の口封じだろうか?

「他に、不正を知ってる人は誰?」
「沢井課長と物流システム(株)の野口啓輔社長と保守点検担当者、荻原、溝端浩太郎会長かな」
「えっ、溝端浩太郎会長もなの?」
「溝端浩太郎会長が社長だった当時、工場長の溝端浩造と沢井課長との間で、不正が計画されたらしい」
 溝端浩太郎会長が溝端バッテリーの社長だったとき、沢井課長が、物流システム(株)に指示して、納入品管理システムを作らせ、厚木電装本社工場の合理化により、溝端バッテリーもこのシステムを導入した。
 現在、物流システム(株)は、溝端バッテリーと厚木電装本社工場のコンピューターと納入品管理システムを管理している。

「不正の首謀者は沢井課長?」
「それはわからない。俺は、厚木電装本社工場へ何度も行くよう、東京営業本社の田辺良太係長から指示された。田辺係長に指示できるのは第一営業課の依田課長だ。依田課長に指示できるのは第一営業部の今井田部長だ。厚木電装本社工場の沢井課長じゃない。
 会社の組織上はそうだけど、彼らが政治組織に関係していれば、上下関係はわからない・・・」

「山岸宗典代議士は国民党だったよね」
 智子が箸を置いた。
「しっかり食べた?」
 正俊は智子の食欲を確認した。事件のことを気にして、まともに昼食を食べなかったのではなかろうか?
「ちゃんと食べたよ。これ以上食べたら、食べすぎだよ」
 智子の体調は良さそうだ。
「そうか、安心した」
 正俊もご飯を食べ終えた。

「ねえ、不正な金が溝端社長へ流れ、それから、山岸宗典代議士の政治資金になったと見ていいよね」
 智子は惣菜にラップをして冷蔵庫へ入れている。
「そうだと思う」
 正俊は使った食器をシンクへ入れて洗いはじめた。
「前任の夏川公認会計士が溝端バッテリーからの政治資金を問題にしなかったのなら、不正を働いた人たちは不正を明らかにしようなんて考えなかったはずだよ。
 資金を渡した溝端社長が、不正の首謀者によって消される理由がなくなるよ!」
 智子は惣菜を片づけおえて冷蔵庫のドアを閉じた。

 智子が話したように、政治資金を渡した溝端社長が、不正の首謀者によって消される理由はない・・・。何か妙だ。見おとしてることがある・・・。
「俺も、そのことが気になるんだ。不正に関係した者すべてがなんらかの被害を受ければ、俺たちの知らない、不正を指示した者が、口封じしようとしていることになる」
 正俊は食器を洗いながらそう答えた。
「その場合は、誰が不正を指示したの?」
 智子は御茶をいれている。
「監査役員や沢井課長や溝端浩造社長や物流システム(株)の野口啓輔社長たちより上の立場にいる人物で、荻原を不正の首謀者に仕立てるように指示した人物だ・・・」
 正俊は食器を洗い終えた。

「山岸宗典代議士?それとも彼の政治資金管理団体?」
 智子はテーブルの正俊に近い側に御茶を置いた。
「まだ被害者は一人だけだから、実態は不明だね・・・。
 さっきの電話で荻原は、
『警察が、厚木電装本社工場と溝端バッテリーを監査している役員が、誰に代り、山岸宗典代議士とどういう関係にあるか調べる』
 と話してた。いずれ山岸宗典代議士と監査役員たちの関係が明らかになるだろうね」

「次の被害者が出る可能性はあるの?」
「荻原も溝端浩太郎会長も沢井課長も警察の監視下にある。捜査されてない者たちが被害者になる可能性を指摘したら、荻原は、納入部品データを改ざんしたと思われる物流システム(株)の担当者と東京営業本社の田辺係長を指摘した。
 この者たちは警察の保護対象になったはずだから、今のところ、第二の被害者はでないだろうね」

「正俊は、溝端社長が不正の首謀者によって消されたと思う?」
「智ちゃんが話したように、溝端社長が不正の首謀者によって消される理由がなくなったよ」
「どういうこと?」  
「昨日の午後、荻原は長野に来たとき、
『溝端バッテリーの溝端社長は山岸宗典代議士の有力な後援会員だ。しかし、最近、後援会からの要請に無理が多いと嘆いてた』
 と話してた。
 仮に、溝端社長が後援会からの要請に耐えられなくなって、不正を暴露する、と山岸宗典代議士やその政治資金管理団体を脅したとすれば、消される可能性が出てくるが、消されずに不正を暴露した場合、不正を働いていた溝端社長は、確実に社会的地位も名誉も失う。溝端社長はそんな馬鹿げたことはしないはずだ・・・。
 智ちゃんが考えたように、溝端社長は、不正の首謀者や山岸宗典代議士やその政治資金管理団体によって消されたのではないだろう・・・」

「ということは?」
 智子が何かを思いついて、驚いている。
「そうだと思う。怨恨だろうね・・・」
 正俊は智子の考えを読んでそう言った。
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