十四 招かざる客

文字数 4,855文字

 翌日。十二月初旬の日曜は肌寒い曇天だった。
 朝から正俊たちは、森田家の玄関がよく見えるリンゴ畑でリンゴを収穫していた。

 午後。
 正俊がリフトに乗ってリンゴの木の樹冠からリンゴを収穫していると、道路を走ってきたセダンが森田家の私道に入っていった。
 正俊は運転している男に見覚えがあった。もしかして、荻原重秀か・・・。助手席の女に見覚えはない・・・。
 智子、危険だぞ!絶対、出てくるんじゃないぞ!
 そう念じながら、正俊はあわてて、乗っているリフトの下降スイッチを押した。

 森田家の駐車場にセダンが停止した。車を降りた男は玄関のインターホンのスイッチを押している。やはり荻原重秀だ!
 リフトがゆっくり下降した。正俊はその遅い速度にいらだち、リフトが一メートルほど降下すると、地面から二メートルほどの高さから飛びおりた。
「スイッチを頼みます!やっかいな客が来た・・・」
 父の倫太郎に言って、家の玄関を見たまま、リンゴ畑を走った。

 玄関に祖母が出てきた。荻原に応対している。
 出てきたのが祖母でよかった。智子、出てくるんじゃないぞ・・・。
 正俊は、ほっとしている自分に気づいた。
 祖母がリンゴ畑を指さして何か話すと、男がセダンに乗りこんだ。セダンはそのまま正俊がいるリンゴ畑に走ってきた。

 リンゴ畑の駐車場にトラックが駐車している。トラックの荷台にはリンゴを入れるコンテナとシートとロープ、そして、複数のロープをまとめて捻ってロープの弛みを無くす、数十センチの棒が数本あった。
 正俊はトラックの横に立って荷台に手を伸ばし、この数十センチメートルほどの棒を握った。荷台の横のあおり板に隠れて、トラックの外から棒を握った正俊の手は見えない。

 セダンがリンゴ畑の駐車場に停止した。荻原と女がセダンから降りて、正俊に挨拶した。
「突然訪ねてきてすみません。これは妻の多恵だ。リンゴを買いに来た・・・」
 荻原は突然の訪問をわびた。かつて目にしたことがない荻原重秀の態度に正俊は驚いた。
「ふるさと納税のポスターを見たんだ・・・」
 今年のふるさと納税のモデルも智子だった。撮影の際、正俊は智子の背後でリフトに乗ってリンゴの収穫をしていた。できあがったポスターは、リンゴを収穫する正俊に気づく者など居ないだろうと思えるほど、智子の存在が際立っていた。

「モデルのうしろに堀田が映ってたんで、もしやと思っていろいろ調べてここまで来た。
 実は、厚木電装本社工場で不正が行われていて、その容疑者に仕立てられそうなんだ・・・」
「俺に話してどうする?警察へ行けばいいだろう?」
 正俊はトラックのあおり板の向こうへ伸ばした手で、棒を握りしめた。
「まあ、聞いてくれ・・・」
 荻原は急いで説明したそうだった。
「聞くだけだぞ。聞いても俺は何もしないよ。警察へ行くのが最良だ」

「俺は、堀田が厚木電装を辞める前に首になった。厚木電装は社員にそのことを口止めした。一般社員は、俺のことも堀田のことも知らなかったはずだ。
 俺は再就職先を探したが、厚木電装がいろいろ工作したらしく、就職先が決らなかった。そこで厚木電装本社工場の沢井課長に相談した。
 沢井課長の口利きで、俺は下請けの溝端バッテリーの工場長に、多恵は溝端バッテリーの出荷管理に勤務が決った。十月下旬のことだ。
 十一月のひと月で、俺と多恵は、これまで厚木電装本社工場と溝端バッテリーで行われていた、貢献度が高い下請けに対する不正に気づいた。多恵は前の本社工場にいるときからこの不正に気づいていたが物証は無かった。
 厚木電装本社工場で、不良品の現物がないまま、溝端バッテリーからの受入れ部品数が深夜に改ざんされて、それに見合った支払いがされた。改ざん者は不明だ。多恵と俺には改ざんされた不良品を確認できなかった。
 溝端バッテリーでも、辻褄が合うように改ざんがされていた。
 俺が溝端バッテリーに移ってからも改ざんは行われた。こちらも物証はない。
 納品時以後のデータ再入力は不可能だから、どちらの場合も、データを改ざんしたのはコンピューターのメンテナンス中だ。コンピューターにくわしい者の仕業だ」

「警察へ連絡すればいいだろう?」
「だめだ。厚木電装本社工場で俺は生産管理をやっていた。多恵は外注部品の受入れ管理担当だ。全ての帳票に、俺と多恵の確認印がある。
 溝端バッテリーで俺は工場長だ。多恵は出荷管理担当だ。出荷品に関する帳票に、俺と多恵の確認印がある。
 今、俺と多恵は、その不正の首謀者として疑われはじめている・・・」

 荻原の態度は困っているように見えなかった。不正を暴いて悦に入っている気配すら感じられる。何のためにここまで出かけてきたのか正俊は理解できなかった。
「貢献下請けに対して、不良品に支払いがされるといううわさは事実だったのか?」
 正俊は厚木電装本社工場のうわさを確認した。

「そうだ。その下請けが溝端バッテリーだ。
 俺が首になったのは、俺を溝端バッテリーの工場長にするためだったらしい。
 沢井課長は、俺が溝端バッテリーに再就職が決ったら、多恵に溝端バッテリーへ移るよう勧めた。多恵が、厚木電装本社工場と溝端バッテリーの不正に気づいたためだ。
 厚木電装本社工場と溝端バッテリーの不正は、俺と多恵が画策して実行したと判断されはじめてる・・・」

「やはり、警察へ行って説明するんだな」
 そう言った正俊だったが、何か妙な気がした。
 不良品は回収されて再利用される。不良品のままでは残らない。不良品が存在した物的証拠もない。
 もし、荻原夫妻が不正の主謀者で、存在しなかった不良品をでっち上げていたとしたら、厚木電装から溝端バッテリーへ不当な支払いをさせていたとする意味がどこにある?溝端バッテリーに流れた金は追求される。流れた金の使途に荻原夫妻が関与していないのは明らかなはずだ。
 それとも、不当な金の流れを作ったことで、荻原夫妻が溝端バッテリーから謝礼を受けていた事実でも出たのか?そうなった場合、荻原夫妻だけでなく、溝端バッテリーにも罪があることが明らかになり、溝端バッテリーも困るはずだ。荻原夫妻だけが罪を被ることはない。
 いずれの場合にしても、誰がどういう目的で二人に罪を着せようとしているのか?如何に考えても、荻原夫妻が不正の片棒を担ぐ理由が思いあたらなかった。

「リンゴを売ってくれ。今、収穫しているのでいい。四十個ほどだ」
 荻原はもう少し堀田の考えを聞きたいと思った。そしてリンゴを手土産に溝端浩造社長を訪ねて、不正に関する経緯をじかに訊きだそうと思った。

「父さん!お客さんだ。リンゴを売ってやってください。割引きしなくていいよ!」
 正俊は父の倫太郎に伝えて荻原に訊いた。
「厚木電装本社工場の誰が、あんたが不正を働いている、と言いだしたんだ?
 溝端バッテリー側で言いだしたのは誰だ?」
「どっちも監査役員だ。同じ人物が、厚木電装本社工場と溝端バッテリーを監査している。
 溝端バッテリーから厚木電装本社工場への、納入数と不良数の数値は支払額に合っている。厚木電装本社工場で受入れ部品を管理する現場でなければ、不正なんかに気づかない。
 現場の我々が得たのは状況証拠にすぎない。不良品は実在したことになっていて再生にまわされたことになっているから、今は当時の不良品は存在しない。
 監査役員が何を根拠に不正を言いだしたのかは不明だ」

 荻野の説明に、正俊は違和感を感じた。
「あんたたちが不正を働くメリットはない。不正の謝礼をもらっていれば話は別だ・・・。
 不正を働いた者たちが、あんたたち二人に罪を被せる理由は何だと思う?なぜ、あんたたちが不正を働いたと判断された?」
「わからない・・・」
 荻原は、自分が不正を働いたという根拠を想像できなかった。

「不正に支払われた金はどこへ流れる?」
 正俊は金の流れを知りたかった。
「溝端バッテリーの実在しなかった不良品は、帳簿上、生産工程を経たことになっている。厚木電装から支払われた金は、実在しなかった不良品を生産していたように帳簿に載るから、生産行程分の経費が浮く。
 そして、浮いた経費は、帳簿操作ができる経営者の溝端浩造社長へ流れる。かつての溝端工場長へだ・・・」
 荻原は、溝端バッテリーの溝端浩造社長と沢井課長に、はめられた、としか思えなかった。

「二つの会社を監査する役員が、あんたたちが不正をしたと言うなら、不正に支払われた金の流れが発覚し、溝端バッテリーの溝端社長も疑われる・・・・。
 監査役員に情報を流せるのは誰だ?」
「溝端社長と沢井課長だ・・・」
 十月下旬、荻原は、厚木電装本社工場沢井課長の口利きで当時の工場長、溝端浩造に会い、溝端バッテリーに再就職した。溝端社長と沢井課長は親しいはずだ。

「厚木電装の首謀者が沢井課長なら、課長は溝端バッテリーと縁を切る気だろうな・・・。
 あんたと溝端浩造を不正の首謀者にして、不正な金の流れを隠すつもりだろう。金はどこへ行ったと思う?」
「おそらく溝端社長から沢井課長に渡っていると思う・・・」
 荻原は十月下旬に沢井課長の自宅で会った溝端浩造を思いだした。

 あのとき、溝端浩造工場長のは当時の溝端浩太郎社長に代って社長になるため忙しかったようだった。沢井課長は溝端浩造工場長が社長になるのを喜んでいた気がする。溝端浩造工場長は言葉少なく、終始、沢井課長が話を進めていた。
 自社の溝端バッテリーに俺と妻を入社させようと考えている溝端浩造工場長も、立場が下請けなら、親会社の課長の言いなりなのか、と俺はあの時は思っていた。
 先代の溝端浩太郎社長は六十代後半で社長を退くには早過ぎた。経営者となればいろいろ事情があるのだろうと俺は思った。
 今思えば、先代の社長を退かせて、俺と妻を入社させなければならない理由が、不正な金の流れだったのかも知れない。そして、それらを考えたのは、あの場を仕切っていた沢井課長だったのではないか・・・。
 荻原は思いだしたことを全て正俊に話した。

「監査役員はどういう人物だ?」
「地元代議士、山岸宗典の政治資金も監査する人物らしい・・・」
 そう言った後で荻原の表情が一瞬強ばった。
「現在の溝端バッテリーの溝端浩造社長は山岸宗典代議士の有力な後援会員だ。しかし、最近、後援会からの要請に無理が多いと嘆いてた・・・」
「単なる不正の疑惑だけですめばいいが、代議士が絡んでるなら、金の流れを知る、部外者は危険だぞ・・・」
 正俊は荻原の妻を見た。荻原たちは不正の容疑者ですむだろうが、実際に金の流れを知っている人物は、かなり危険な目にあうだろう・・・。

「まさか口封じなんてことはないだろう・・・」
 荻原は妻を見た。不安を隠せない。
「動いた金額によるだろうな・・・」
 数万の単位なら心配はいらないだろう。数千万や億なら話は変るかもしれない。
「おどかすな・・・」
 荻原は、数千万や億単位の金は流れていないと思った。
「やっぱり、警察に保護してもらえ。その方が安全だ。もしあんたに何かあって警察に訊かれてたら、俺はあんたのことを話してもいいか?」
 正俊は、怯えている荻原の妻にほほえんだ。
「ああ、いいよ・・・。俺から警察へ話すのは考えておく・・・」
 荻原は口を閉ざした。父の倫太郎が用意したリンゴをセダンに積み、支払いをすませて領収書を受けとった。
「忙しいのにすまなかった」
 荻原と妻はセダンに乗り込んで、畑から去っていった。

 立ち去る車を見送って、正俊は、
「父さん、このことは俺から智子に話すから、黙っていてください。実は・・・」
 智子が妊娠したらしいことを父に告げた。
「わかったよ。気づかってくれて、ありがとう」
 父の倫太郎は正俊に頭をさげた。
「やめてください。父さん」
 正俊は父にほほえんだ。そして、正俊自身も気づかないうちに、走り去る車の影を目で追いながら、荻原がやっかいなことに巻きこまれないことを祈っていた。

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