二十七 再捜査一

文字数 3,423文字

 十二月初旬、火曜日、午前。
 厚木市の溝端浩造宅近隣で、一班を指揮する三上刑事は、刑事たちと警官と鑑識の係員に、被害者宅の内部と戸外の再捜査を指示し、部下の刑事とともに、通りを隔てた被害者宅の相向かいの園田宅を訪ねた。

「園田さん、何度もすみませんね」
 玄関先に出てきた主婦の園田ふみ子に、 三上刑事は親しそうにあいさつし、警察手帳とボイスレコーダーを見せて、事象聴取内容を録音する旨を伝えた。
「ええ、いいわよ」
「日曜日、溝端さんの家に出入りした人を知っていれば、教えてください」
「そうね・・・。
 日曜の昼頃、奧さんが子どもを連れて車で出かけて、すぐ帰ってきたわ。
 それからしばらくして、また出かけていったわ。
 あとは、夕方七時過ぎに、八時近くだったかな。車が駐車場に停まって、その後、あの騒ぎでしょう・・・」
 園田ふみ子は説明しながら、肥った顔のメガネの奥から三上刑事たちを斜に見ている。

「奧さんは子どもを連れて出かけたんですね?
 帰ってきたとき、子どももいっしょでしたか?」と三上刑事。
「いいえ、奧さんだけよ。
 駐車場で停車してたわ。ガレージに入れなかったから、また出かけるんだってすぐにわかったわ。
 私の家の台所からよく見えるのよ。溝端さんの駐車場とガレージが・・・」
 園田ふみ子は通りを隔てた溝端宅を目で示した。

「奧さんが帰ってきた時刻がわかりますか?」
 三上刑事は、はやる気持ちを抑えて穏やかに質問した。部下の小林刑事は結論を早く知りたくてイライラしている。
「正午少し前かな。日曜はいつも正午から昼ご飯の支度をするのよ。息子が夜遅くまで受験勉強してて、朝が遅いの・・・」
 園田ふみ子は、受験生本人だけでなく家族も大変だ、と言いたいらしい。

 三上刑事は園田ふみ子の気持ちを察した。
「それは大変ですね。大学受験ですか?」
「そうなのよ!国立を受けるのよ!」
 なんだか園田ふみ子は誇らしげだ。
「そうですか。卒業後は、ぜひ警察を受験するようお勧めください」
 大学受験の話が長びかないよう三上刑事はそう言った。
「あらいやだ。まだ、受かってもいないのよ」
 園田ふみ子が困ったような表情になった。

「余談になりましたね。
 奧さんが出かけていったのは何時でした?」
 三上刑事は話を元にもどした。
「昼ご飯を作り終えた頃だから一時過ぎね・・・。一時前かな・・・」
 園田ふみ子は思いだしたように言った。
「正確には何時でした?」
  三上刑事は穏やかにゆっくり言った。
「一時過ぎね。コートを取りにもどったみたいだったわよ」
「どうしてそうわかりましたか?」
「だって、もどって車から降りるときは、ピンクのカーディガンだったわ。
 家から出てきて車に乗ったときは、紺色のコートを着てたわ。ああそうだ。子どものコートも持ってたわ・・・」 

「そのことを、日曜と月曜に来た刑事に話さなかったのはなぜですか?」
  三上刑事は穏やかに質問した。
 園田ふみ子の表情が変った。
「あーら、それは無理よ。
『不審者が訪ねてこなかったか、話してくれ』
 と訊かれたのよ。
 私は、不審な者を誰も見てなかったから、『見てないわ』と答えたのよ」
 もしかして、犯人は奧さんの時江さんなの?」
 ふたたびメガネの奥から三上刑事たちを斜に見ている。

「我々の質問の仕方が悪かったので、再確認してるんです。
 訊き方次第で皆さんの答えが変りますから・・・」
  三上刑事は園田ふみ子の質問を説明にすりかえた。今からあらぬうわさを立てられては大いに迷惑する。
「そうよねえ、訊かれたことしか答えないわ・・・」
 園田ふみ子が言い淀んだ。
「昨日、聞き込みに来た刑事は北原刑事でしたね?」
「ええ、そうでした・・・」
 園田ふみ子が目を伏せた。

 この態度はなんだ?警察を恐れているのか・・・。
 北原刑事は最近まで生活安全課にいた刑事だ。園田ふみ子は北原刑事を知っているのだろうか?それで北原刑事を恐れているのか? 
 以前、北原刑事は生活安全課で、この地域の少年を窃盗容疑で補導した。窃盗現場を目撃して通報したのは、たしか地元住民だったはずだ。
 もしかしたら、北原刑事が補導したのは、この園田の息子ではないのか?
 そして、現場を目撃して通報したのが溝端浩造ではなかったか・・・。
 補導された少年は盗品をそのまま保管していたため返却し、始末書と厳重注意だけですんだと聞いている・・・。
 あのとき園田の息子が溝端浩造宅に浸入して窃盗を行ったとすれば、園田の息子は溝端浩造に弱みを握られていたことになる・・・。
 この件は署に連絡して確かめる必要がある。
 近隣住民同士のトラブルで溝端浩造宅と園田宅がもめていれば、溝端浩造が園田の息子の件を持ちだし、園田に何かを強要した可能性がある。その腹いせに・・・、なんてことも有りうる。
 今は、近隣住民同士のトラブルについて、園田ふみ子に訊かない方がいい。事実を隠蔽されるだけだ。余所で訊いた方がいい。

「ご協力、ありがとうございました。では、これで・・・」
 三上刑事は園田ふみ子に礼を言った。
「他の家も、また訊いてまわるんですか?訊いても何も無いと思いますよ」
 その場を去ろうとする三上刑事を、園田ふみ子がひきとめた。
「ええ、さっき話したように、何度も訊いてみるしかないですね。
 皆さん、忘れていることもあるでしょうから・・・」
「そうですね・・・。忘れていることもありますね・・・」
 園田ふみ子はしみじみと言った。
「どうも、ありがとうございました」
 三上刑事と小林刑事は園田ふみ子に礼を言ってその場を離れた。

「係長。実は・・・・」
 園田家から充分に離れると、三上刑事は警察無線で一連の捜査状況を田上刑事に連絡した。
「わかった。こちらで記録を調べる。北原刑事にも状況を確認する」
 田上刑事は三上刑事の連絡事項をすぐさま調べるよう、その場にいる係員に指示した。
 そして、北原刑事が聞込み中の場合もあるので、折り返し連絡するよう、北原刑事に警察無線で連絡した。

「係長。三上の言うとおりです」
 係員は北原刑事が担当した少年窃盗事件の調書を説明した。
「わかった。ありがとう」
 田上刑事は北原刑事からの連絡を待った。
 まもなく、北原刑事から無線連絡がきた。
「北原君が生活安全課勤務の時、溝端浩造宅で窃盗事件を担当しましたね。その状況を教えてください」
「調書にあるように、二年前、園田稔十六歳が溝端浩造宅へ侵入し、CD十八枚を盗んで窃盗容疑で補導されました・・・」
 北原刑事は説明した。

 北原刑事が生活安全課に勤務していた二年前の夏、園田稔十六歳が溝端浩造宅に侵入してCD十八枚を盗み、窃盗容疑で補導された。現場を目撃したのは溝端浩造だった。
 事件を警察に通報する前、溝端浩造は、事が明るみに出ると園田稔が困るだろうと考え、園田家に事件を説明した。
 園田家は溝端浩造の説明を信用しないばかりか、でっち上げだと溝端浩造を罵倒し、近隣にそのことを言いふらした。
 穏便に事をすませようとした溝端浩造だったが、事態がここまで歪曲されて嘘が広まれば致し方ないと考え、溝端浩造は防犯カメラの記録を添えて窃盗の被害届を提出した。
 その結果、園田稔は窃盗容疑で補導された。
 園田稔は盗品をそのまま保管していたため返却し、溝端浩造は被害届を取り下げた。初犯の園田稔は始末書と厳重注意だけですんだ。
 事件が明らかになると、園田家は近隣住民から批判の嵐を浴びせられ、近隣住民から相手にされなくなった。
 当時、溝端浩造は溝端バッテリーの工場長で、社長は溝端浩太郎だった。溝端浩造は溝端浩太郎と同居していた。溝端浩太郎は近所に新居を建てて、そちらへ転居する予定だった。
 そして、今年十一月初旬、溝端浩太郎が新居へ移って溝端浩造に社長職を譲った。
 溝端浩造は社長になって一ヶ月後、殺害された。


 説明を終えた北原刑事は言った。
「溝端浩太郎会長が新居へ移転し、溝端浩造社長が一人になる機会がふえましたからね」
 北原刑事は、加害者は溝端浩造社長が一人になるのを狙っていたと言いたいのだろう。
「わかった。北原君、ありがとう。
 溝端浩造宅と近隣住民との間でトラブルが無かったかも調べてくれ」
「わかりました」
「一班に連絡。溝端浩造宅と近隣住民との間でトラブルが無かったかも調べてくれ」
「一班、三上、了解。全員に指示します」
「頼んだぞ」
 田上刑事は無線を切った。
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