二十五 動機

文字数 2,591文字

 十二月初旬、月曜日、夕刻。
「係長。一番に長野の森田さんから電話です」
 厚木署刑事課で、刑事の一人が田上刑事に森田正俊からの電話を知らせた。
 田上刑事は新しい情報が得られるかも知れないと思い、机の電話を外線に切り換えた。
「田上です。昨日はありがとうございました」
「森田です。実は、溝端浩造社長の事件で気になることがあったので電話しました」
 正俊の声はおちついている。
「何でしょう?」
 新情報ではなさそうだ・・・。

「溝端社長は、不正の首謀者や山岸宗典代議士やその政治資金管理団体によって消されたのではないと思います」
「どういうことですか?」
 何に気づいたのだろうと田上刑事は思った。
「昨日の午後、荻原重秀が長野に来たとき、
『溝端バッテリーの溝端社長は山岸宗典代議士の有力な後援会員だ。しかし、最近、後援会からの要請に無理が多いと嘆いてた』
 と話してました。
 仮に、溝端社長が後援会からの要請に耐えられなくなって『不正を暴露する』と不正の首謀者を脅したために消されたのなら、山岸宗典代議士やその政治資金管理団体が疑われますから、不正の首謀者や山岸宗典代議士やその政治資金管理団体は、溝端浩造社長に手をくださないでしょう。
 溝端社長が不正を暴露した場合、不正を働いていた溝端社長自身が確実に社会的地位も名誉も失いますから、溝端社長は不正を暴露するとは言わなかったはずです。
 従って、溝端浩造社長が不正に関わった者たちによって消されたのではない、と考えられます」

「では、誰が何の目的で溝端社長を殺害したと考えますか?」
 不正に絡んだ殺人ではないなら、動機はなんだと言うのか・・・

「その前に、俺なりにこれまでの状況を考えました。
 溝端浩太郎会長は六十代後半ですが、社長を退くには若すぎます。
 工場長だった溝端浩造が、社長をしていた溝端浩太郎を会長職へ追いやった可能性があります」
「理由は?」
「溝端浩太郎にじゃまされずに不正を実行するためです」
 確かに、溝端浩太郎会長は納入品管理システムについて詳しく知っていた。
 溝端浩太郎が社長なら、工場長の溝端浩造は不正をしにくかったはずだ。会長職へ退かされた溝端浩太郎は、溝端浩造社長を恨んでいたのだろうか・・・。
 そう思いながら田上刑事は訊いた。
「それで、荻原重秀を工場長にした理由は?」
「工場長をしていた溝端浩造が、社長の溝端浩太郎に代って社長になるために工場長が必要です。それで、溝端浩造や沢井課長の息のかかった荻原重秀を起用したんです」

「不正が発覚したとき、荻原重秀を不正の首謀者にするためですか?」
「そのような考えで動いていたのは、現在の監査役員、沢口公認会計士だけです」
 田上刑事は確かにそうだと思った。事情聴取した者たちのなかに、荻原重秀が不正の首謀者だとほのめかした者はいない。
「それだけで荻原重秀を工場長にしたんですか?」
「荻原重秀と彼の妻は、それとなく納入品管理システムの不正に気づいてましたが、二人は不正を口外はしなかった。
 しかし、不正をしている者たちは二人を野放しにはできません。
 そのため、厚木電装本社工場勤務の荻原重秀をあえて首にし、溝端バッテリーで起用して二人に重要なポストを与えて、不正に関する口を封じようとしたんでしょう」

「荻原重秀が森田さんに暴行を働いて首になったのは偶然ではないのですか?」
「偶然じゃありません。
 九月、荻原重秀は、厚木電装本社工場生産部、生産管理課の生産管理係長として、神経をすり減らして生産調整してました。
 彼は、不本意な業務命令に反発したため、厚木電装東京本社の営業係長から、厚木電装本社工場生産部、生産管理課の生産管理係長に左遷させられた過去があります。
彼は、東京営業本社の営業部員に敵対心を持ってました。
 本来、東京営業本社の営業部員が顔を出すのは、厚木電装本社工場の営業管理課です。
 俺は何度も、厚木電装本社工場生産管理課へ行くよう、東京営業本社の田辺良太係長から指示されました。
 荻原重秀に乱闘事件を起こさせるためだったことは明かです。
 田辺係長に指示できるのは第一営業課の依田課長です。依田課長に指示できるのは第一営業部の今井田部長です。厚木電装本社工場の沢井課長じゃないです。
 会社の組織上は今井田部長がトップですが、政治団体に加入していれば。上下関係は不明です」

「森田さんの考えが正しければ、不正と殺人の二つの事件が絡んでいることになりますね。
 不正の黒幕が今井田部長なら、やっかいな相手ですよ」
「なぜですか?」と正俊。
「厚木電装東京営業本社の今井田部長は、国民党の幹部なんです・・・」
 政党から警察に圧力が加わると、不正に関する捜査が不可能になる・・・。
「政治圧力ですか・・・」と正俊。
「そうです。話をもどしましょう。
 今回の事件が不正とは無関係な殺人なら、誰が何の目的で溝端社長を殺害したと考えますか?」と田上刑事。
「溝端浩太郎会長が、社長職を退かされた恨みから、溝端浩造社長を脅した結果、傷害事件になり、被害者が死亡したとは考えられませんか?
 加害者が溝端浩太郎会長でないとしても、加害者は溝端浩造社長宅の内部事情にとてもくわしい者です。部外者とは考えられません・・・」
「なんてことだ・・・」
 溝端浩造社長の自宅は、以前は溝端浩太郎会長の自宅だ。会長職に退く少し前から、溝端浩太郎は近所に新居を構えて引っ越している。
 今も、溝端浩太郎がかつての自宅に住んでいる、と思っている住民が多い・・・。
 溝端浩太郎会長が溝端浩造社長の自宅に出入りしても、誰も不審に思わない・・・。

「溝端浩造社長の自宅の捜査で、何かわかったんですか?」
「いや、近隣住民は誰も、溝端浩造社長の自宅に不審者が訪ねてきたのを見ていない、という情報を得ただけです。
 溝端浩太郎会長は不審者ではないから、溝端浩太郎会長が訪ねてきても、不審者が来たとは言わない、そういうことですね・・・。
 我々はまちがった捜査をしていた可能性があります。検討します。
 貴重な意見をありがとうございます」
「忙しい時にすみませんでした。また何かわかったら連絡します。そのときは時間を取ってください」
「ええ、また情報を聞かせてください。ではまた」
「それでは、失礼します」
「はい。失礼します」
 さて再捜査だぞ・・・と田上刑事は思った。
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