七 般若女房

文字数 1,774文字

 その頃、荻原重秀は、厚木の自宅の居間で燻っていた。
「まったくアンタのバカさかげんにはあきれるわ!
 営業本社から工場へ跳ばされたんは何なん?何が原因で跳ばされたん?
 同じことを三回もくりかえすなんて、どういう気なん?」
 妻多恵が般若のように目を吊り上げて荻原をにらんでいる。その肩越しの向こうから母富美がにらんでいる。こうなる以前の妻は、やさしくて綺麗でかわいかった。言葉も丁寧だった・・・、と荻原は思った。
「三回じゃネエよ。二回だろう・・・」
 荻原はそう言った後で三回目だとわかった。
「三回だろう。忘れたんか?
 一回目は営業本社で顧客ともめた。
 二回目が、そのことで営業課長と言い合った。結果が工場へ左遷だろう。
 三回目が、新入社員にパワハラくりかえして、挙句、襟首つかんで殴ったら、そりゃあ首だな・・・」
「あれはだな・・・」
 クソッ、言い訳できねえ・・・。
「言い訳すんな!全て社内カメラで記録されてんだぞ。
 堀田のどこに非があるってんだ?オメエが一方的に喧嘩ふっかけて、殴りかかって頬をかすっただけでかわされ、逆にこてんぱんにのされただけだろう?
 それで首になってりゃ、世話ネエよ。
 私だってな、営業係長やってたころのアンタに魅力を感じたさ。だから、実家もこっちにあるから、工場勤務になったアンタについてきたんだ。
 おなじ工場に務めてる私のことも、考えろよ・・・。
 母さんだって、外、歩けねえぞ・・・」

 母は荻原の実母富美のことだ。多惠の母ではないが、母も多惠の言葉にうなずいている。
「オメエのせいで、堀田は九州へ跳ばされるハメになったんだ。だから堀田は会社を辞めた。首とおなじだぞ。オメエのせいだぞ!
 オメエのその短気な性格で、どんだけの人に迷惑かけりゃ気がすむってんだ?説明してみろよ。反省してんのかよ?」
「・・・」
「いつまでも、ふざけたことやってんと、母さん連れて出てゆくぞ!私は本気だぞ!」

 荻原は返す言葉がなかった。
 クソ、弱り目に祟り目だ。職安から紹介された企業へ面接に行っても、今まで務めていた厚木電装の退社理由を聞かれる。厚木電装はその分野で一流企業だ。適当なことを言って面接をごまかしても、面接した企業はなんらかの理由をつけて、厚木電装から俺の退社理由を調べて俺を不採用にしてる・・・。
 荻原の意識に堀田の顔がチラチラと現れた。
『順風満帆、全てが俺のため動いてる、俺の周りは全てうまくいってる』という、あの堀田の自信に満ちた雰囲気に、無性に腹がたつ・・・。

「母さん、私の実家へ行こう。荷物まとめといてね!」
 多惠が母に言った。
「わかりましたよ。私もほとほと愛想がつきました・・・」
 母はその場から去り、居間の隣の自室へ行った。その後を追って多惠も母の部屋へ行った。

 荻原が厚木電装本社工場勤務になって以来、荻原が何度か厚木電装で他の社員と揉めた時期があった。どの場合も社員に非はなく、荻原が自分の不満をがまんできなくなって社員へ八つ当たりしたのが原因だった。
 それ以来、多惠は二階の夫婦の部屋から、一階の母の部屋へ引っ越して、可能なかぎり荻原と顔を合せるのを避けていた。口で言ってもわからない者をわからせるには態度で示すしかない。そう考えた多恵の行動だった。

 この頃から、荻原の性格が普通とちがうのに多恵は気づきはじめていた。
 荻原は自分に非があっても、全て他人のせいにし、自分の非を認めないのだ。いつからこうなったのかわからないが、工場勤務になる少し前から、徐々に変っていたような気がした。それが先天的なものか、何かのきっかけで、そうすることで身を守る手段を得ようとしたのか、それは多恵にはわからなかった。
 母の話では、親が教えなくても、荻原は全てに対してやさしく接する子どもで、先天的な性格ではなさそうだった。多恵は可能なかぎり荻原を観察したが、荻原の性格が変った原因が何か、多恵は原因をつかめずにいた。

「多恵ちゃん、悔やむことないわ。自分で乗り越えなきゃならないこともあるのよ。重秀は社会に出てから、まだその波を越えてないのよ・・・」
 社会の波に飲み込まれるか、乗り越えるか、全て本人の力量次第だと母富美は思った。
 押しよせる波を恐れてわめいても、何にもならない。重秀はいつもそれを避けてきた。今が重秀の正念場だ・・・。
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