青の城 7

文字数 3,335文字

 ようやく青年二人の口喧嘩が収まって、食堂の中にほんの少しだけ静寂が満ちる。

「あ、あの」

 その沈黙に、ようやく疑問の解決を図ろうとしたベータは、とりあえず一番状況を解っていそうな新たに現れた背の高い青年の方に声をかけた。その行動に、青年の傍らにいてさっきまで言い争いをしていた長い黒髪の青年が、微かに不快気な顔をしたのには幸いにも気付かなかった。
 人懐こい笑顔を伴って、声をかけられた青年は彼女の方を振り返る。

「ん、どうしたんだい? お嬢さん」
「たかちゃん、まきちゃんは、ベータ=マキーナ、っていうおなまえなのよ。で、たかちゃんはタカト=グッチーセっていうおなまえなの、まきちゃん」
「は、はい!」
「そうかそうか。じゃあマキーナちゃん、俺に何か用かい?」

 ノンノの言葉に律儀に言い直して、タカトは茶色の髪をかきあげる。ノンノの明るいブラウンよりも、ほんの少し色の濃い茶の髪に紫の瞳が印象的だ。そういえば、この場にいる自分を除いた全員が、皆そろって滅多にないほど整った顔をしているのだと今更ながらベータは気になった。ノンノですら、その造作はそこらにいる子どもよりもずっと整っている。将来はかなりの美人になるだろう。タカトもケーディも、そして事態をずっと静観(というか、無視)しているアッシュという名らしい青年も、それぞれ驚くほど整った造作をしている。
 こんな綺麗な男の人たちがこの世に存在したのか…と思うほどのその容姿は、魔的な雰囲気すらあった。あまりに整いすぎて、そのどれもが人らしくない雰囲気を醸し出している。
 それは、この場所も同じ。
 全てのものがあまりに整いすぎていて、人間がいるべき場所ではないような気がしてくる。しかも生まれてこの方、一般庶民どころか庶民最低ランクを脇目も振らずに爆走してきたベータにとっては完全に別世界に迷い込んだような錯覚を覚える。
 魔法で此処に連れてこられたときからずっと続いている錯覚。まるで起きながらに夢を見ているような、不思議な空間。

「あの、此処は一体何処なのでしょうか……?」

 彼女の言葉に、タカトは思わず目を見開いた。
 それは彼以外の者も同じで、ケーディは信じられないものを見たかのように彼女を凝視し、少し離れたところにいたアッシュですらも様子を伺ってくるのを感じて、ベータは何か拙い事を訊いてしまったのかと益々恐縮してしまう。羞恥にほんのりと白い頬を朱に染め、俯いてしまった。

「あ~、ノンノ、説明してないのか?」
「えっとね、すぐにごはんをたべたのよ」

 困ってしまってノンノに問いかけたタカトに返されるのは、清々しいほどに明るい少女の笑顔と、簡潔にあったことを纏めた言葉。
 要は、此処に戻ってきてすぐに食事になったので細かい説明は全くされていないのだということを少女の言葉から読み取って、タカトは苦笑する。ノンノはノンノだし、あの面倒事を嫌い周りに無関心な魔王が説明してくれるわけはないし、どうやらこの場に現れたばかりだったらしいケーディが説明してくれるとも思えない。
 此処の事を知っていて食事までしたのなら中々の度胸だと褒めてもいいくらいだが、知らなかったのではしょうがない。無知ほど恐ろしく、また場合によっては救ってくれるものなのだということを彼女は体現してしまったわけだ。この分では、自分たちの正体も解っているか怪しいものだとタカトは溜息をつく。

「そっか。あ~、マキーナちゃん。此処はな、城だ」

 困ったように頭を掻きながら、青の少女を見遣れば、眼鏡の奥の青の瞳が不安げに揺れる。

「お城……まさか」
「あぁ、そのまさか、だな。ここは青の城、あの湖にある城ん中だよ」
「えぇ!?」

 さすがに悲鳴が上がるのは、青の城の意味を知っているからなのだろう。
 現在の魔族の王の居城。
 湖の中央にひっそりと佇む、人も魔も不可侵の領域。
 赤みを帯びていた彼女の顔が、あっという間に青褪めていく。この分では、その城の中に何が住んでいるのかも正確に理解しているのだろう。ただし、人の常識の範囲内で、なことは間違いない。

「で、ではあの方は……」

 真っ先に彼女が目を向けたのは、アッシュだった。
 同じ色を纏っているということもあったのだろうが、その判断は悪くないとタカトは思う。ケーディは、真っ先にアッシュの方を気にした彼女の態度にほんの少し好感を持ったようだから。彼の基準は、どこまでも魔王中心に出来ている。
 人の子が魔王を畏れ敬う様に不快を持つ理由はない。

「おう。あれが今の魔王のアッシュ=ハーツだ」
「タカトっ! あれとは何だあれとは!!」

 彼の発言にすかさず突っ込みを入れてくるケーディはとりあえず無視をして。

「で、でもあの目……それに、じゃ、じゃあ、貴方たちは……っ?」
「そこなんだよなぁ、難しいのは」

 怯えたように見てくる人間の少女に、肩を竦めてタカトは、出来るだけ軽く見える仕草で頬を掻く。怯えさせたいわけではないのだ。

「アッシュは魔王だが、ダンピール…つまり吸血鬼と人間のハーフでな。あの目は人間の母譲りな。吸血衝動はないし眷族を増やそうって気も今の所ないから、怖がることは無いぞ。刃向かってこなきゃ殺さない、歴代魔王の中でもかなり穏便なタイプだから」

 その代わり、刃向かうものには容赦ないが、その辺は省略する。
 少なくとも目の前にいる青髪の少女が彼に立ち向かおうとするなど、垣間見える性格からしてあり得ないだろう。

「俺も吸血鬼だが、この通り半端もんでな。吸血衝動は無いからお前さんをどうのこうのしようって気は無い。眷属もいらないしな。で、ノンノは俺の育ててる人間の子どもだ」
「ノンノは人間なのよ~」
「この通り、ノンノを眷族にしてないことからも俺が血を吸わないのはわかってくれるかい?」

 きらきらと輝く幼女の瞳は鮮やかな緑。
 新緑の色。
 命の色でもある。

 その輝きは、眷族にされ、意志を奪われた人間は持ち得ないもの。ベータの小さな弟妹達が持っているものと同じだったから、ベータは彼の言葉が信じられるような気がした。信じたかった、のかもしれない。この輝きを根拠に。
 こくりと頷いた彼女に、タカトは柔らかく笑う。

「話か早くて助かるよ。でな、最後の一人がちょっとアレなんだよなぁ」
「アレとはなんだ、アレとは!!」

 言い澱んだタカトの言葉に素早く反応する、最後の一人。
 長い黒髪に秀麗な顔を持つ、深紅の瞳を持つ青年。血の色を彷彿とさせるその赤は、吸血鬼かその眷属であることの証として有名だ。吸血鬼は基本的に誰もがこの赤の瞳を持ち、そして眷族にされた存在もその支配の証として元の色に関係なく、その赤を纏う事になる。
 ベータにとってはタカトや、魔王であるというアッシュを吸血鬼と言われるよりも、彼が吸血鬼だと言われることが最もしっくりといく事実だった。

「見ての通り、コイツは完全な吸血鬼だ。この城の中にはいないが眷属もいるし、吸血衝動もしっかり持ってるんだよなぁ」

 その言葉に、ベータはびくりと体を震わせる。
 眷属になれば、命も意思も何もかも奪われてしまう。
 二度と、人の世界に帰ることも叶わず、魔族の一員としてその生を全うしなければならなくなる。それだけは、どうしても嫌だった。今は帰れなくても、帰りたい場所があるのだから。

「その辺の軽薄な者どもと同じにするな。私は誰しもに襲い掛かるほど愚かではない」
「……だってさ。あ、コイツはケーディ=トリニトスってんだ」

 不機嫌に眉を顰めて言い放つケーディを苦笑混じりに眺めながら、彼の名を紹介するタカト。

「まぁ、少なくともマキーナちゃんを吸ったりはしないだろうよ」
「そ、そうなんですか?」
「あぁ。こいつ、青い色が大好きだからさぁ。マキーナちゃんの青い目をわざわざ赤くするようなことはしないと思うんだよな」
「それ以前の問題だ。本人ではないとはいえ、我がロードの先祖にあたる者が目をかけた人間の子孫に手をかけるほど私は腐ってはいない」

 ふん、とケーディが断言すれば、タカトが少し目を見開いてベータを凝視する。
 彼女の異質な魔力の中に流れる、よく気をつけなければ解らないほどの青の流れを捉えて、ほほぅと彼は唸った。
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