戦乙女 5

文字数 3,093文字

 現れたのは、紛れもなく魔族の気配を撒き散らす、不可解な人型の何か……であった。

 そうとしか言いようがない。
 とりあえず、人の姿はしているのだ……ただ、化粧という域を越え「仮装」と言うべき色を塗ったくられた能面のような顔といい、全体的にのっぺりとした素材もわからぬ白く裾の長い上着に、止まることなくクネクネ動き続けている体ははっきりいって気持ち悪かった。
 いきなり現れたというのに、周囲を歩いている他の人間が全く気にしていない所も異様な雰囲気であった。ここまで目立つ存在が、例え突然現れた訳でなくても注目を浴びないというのは不自然この上ない。
 全身を緊張させてデーモンキラーを抜こうとしたミオナを止めたのは、マイラだった。

「待つがいい」
「でも、マイラさん……っ!!」
「あれは、敵ではない」

 あっさりとそう言い放ったマイラを、驚きでミオナは凝視する。
 目の前にいる怪しい男は明らかに人間ではなくて、間違いなく魔族で、そんな存在をハンターである彼女が敵でないというのはとても不自然なように思えた。
 鬼気はしるミオナの様子など気にならないのか、現れた魔族はにまり、と笑って大仰な礼をした。真っ二つに体を折るようなその礼は、えてして人間を見下す傾向にある魔族が人に向けるものとしてはとても丁寧な動きをしていた。一見道化師のような仕草であるが、まったく隙がなく優雅でもある。少なくとも動き上は揶揄われておらず、真剣に礼をされていた。
 顔を上げたその男はミオナを見据えて言う。

「フフフフフ…ミーシアの姫君ですか」
「何故それを!」
「気にするな。イワツは妙な知識を多く持っている……魔族の中でも長生きらしいからな。そなたの一族はハンターの血筋としては有名なものの一つ、知られていて問題はなかろう」

 ぎょっとするミオナにマイラは何でもないことのように言う。彼女にとってはこんな事をイワツが知っていても特に不思議ではない事らしい。
 彼が現れたときにも、まったく驚かなかった。
 一体どういう事なのか。二人を見比べてミオナは眉間に皺を寄せる。ハンターと、知己らしい魔族。普通ありえない組み合わせだ。ハンターの中には何かの力で魔族を支配して使役するものもいると聞くが、目の前にいる男はどう見ても何かに支配されているような雰囲気ではない。いや、彼からは何にも支配されそうに無い得体の知れない強さを感じる。
 道の真ん中で立ち止まったままの彼女達は、しかし誰にも注目される事なくいた。
 魔族が何らかの力を使っているのかもしれない。

「ご紹介願えますか?」

 いや、正直魔族となどお近づきになどなりたくはないのだが、一応マイラと知り合いらしいという様子にミオナは辛うじてそう申し出る事が出来た。
 ただし、マイラのほうを見ながら……になるが。

「あぁ。こいつはイワツといって、昔から私の手助けをしてくれている吸血鬼だ」
「なっ……吸血鬼っ!?」

 一瞬、思考が真っ白になるミオナ。
 何処の世界にバンパイアハンターの手助けをする吸血鬼がいるというのだ。しかも、眷属にするわけでもなく人間につき従うなど考えられない。
 そんな彼女に、紹介されたイワツは細い目をさらに細くして笑う。その目の中にあるのは、間違いなく吸血鬼の証である赤の瞳。

「ノンノン。私は無粋な吸血鬼ではありませんよ。ふふふふふ…私こそ誇り高い吸マクラ鬼ィィィィィ!! 血よりもマクラ求め彷徨う夜の帝王……イィィィィィィ!!」
「少し静かにせよ。まだ説明の途中だ」

 訳の分からない事を叫んで激しくくねるイワツに、マイラの回し蹴りが放たれる。
 胴体にのめりこんだ彼女の細い足に、「ぐふぁぁっ」と叫んで吐血し倒れるイワツ。それでも「……ふふふ。さすが我がレディ…」などと、意味不明の言葉を呟いていた。
 ようやく冷静さを取り戻しながらも、吸血鬼以前に、こんな存在がこの世にいる事を認めたくないと思うミオナ。
 それは至極真っ当な意見でもある。

「あの…マイラさん?」
「そなたが不思議に思うのも無理はない。だが安心せよ……あやつは確かに私と一緒にいても血など気にせずに常に我がマクラを狙う。死の姉妹の血すら気にしないほどの変態だ。そなたは基本マクラは持ち歩かぬゆえ、問題はあるまい」
「いえ、そういう事ではなくて。何故、吸血鬼が手助けを?」

 マイラはハンターの中でもヴァンパイアハンターである。
 よりにもよって同属を狩るハンターに手助けをするなど、信用しろという方が難しいのではないだろうか?
 いくら、吸血鬼かどうかも怪しい存在とはいえ……と、地面にまだ這い蹲っているイワツの方を見たミオナは、血の海の中でくねくねし続けている(しかし彼の白い衣装はまったく血に汚れる事はない)ソレを不審そうに見つめた。

「こやつ、どういったわけか我が父と盟約を結んだらしくてな。その縁で昔から私の世話を焼いておるのだ。怪しい奴だと思うのも分かるが、私に免じて信じてやってくれぬだろうか? 私が望まぬ事を決してしない奴だから」

「そう!! 美しきマクラの誓いなのですぅぅぅぅぅっ!!」
「……そなたは黙っておれ」

 げし、と。

 地べたでくねくね這い回りながら叫んだイワツに蹴りを入れたマイラの動きにはまったく容赦がなかった。それでもイワツに堪えた様子は全くなく、怒る気配すらない。
 そんな二人の様子に、マイラの言うとおりどこか親しい空気を感じ取る事が出来たミオナではあるが、だからといってイワツに対する不審を完全に拭えた訳でもない。どうやらこのアディ=マイラというハンターは一度懐に入れた存在に対してかなり甘い人間であるらしいという事が、この出来事でミオナにも分かった。それと同時に、この年下のハンターに対して庇護本能のようなものが沸き起こる。
 彼女が甘いのであれば、自分が常に気をつけてあげなければならない……と。
 そんな決心をして、誓うようにミオナはデーモンキラーに一度だけ触れた。

「というわけだ。分かってもらえただろうか?」
「えぇ。一応、了承致しました」

 少しだけ首を傾げて確認してきたマイラに、起き上がる気配の無いイワツから視線は外さないままでミオナは返事をする。

 彼女は気づいていなかった。
 マイラとイワツは、マイラが幼い頃からの深い関わりがあり、ミオナが思っている以上にイワツはマイラから信用……いや、信頼を得ているということを。
 イワツは、マイラにとって敵になるかもしれない者に対してその姿を現すことは決してしない。影に身を潜め、必要があれば彼女にだけ聞こえる声で話しかける。だから、ミオナの兄はイワツの存在のことを知らなかった……知っていればマイラに彼女を預けるようなことは思いつかなかったに違いない。
 どのようにそれを判断しているかどうかは知らないが、それまでイワツの判断が狂った事は一度もない。それが人外のせいなのか、イワツ独自の何かがあるのかは分からないが。

 マイラにとってはイワツが姿を見せるかどうかが、その相手を信ずるかどうかの一つの基準であり、この時ミオナは初めてマイラに心を許されたのである。

「そうか。それなら良かった」

 ミオナの返事に、琥珀の目を嬉しそうに輝かせて歳若いハンターの少女は微笑んだ。
 さっきまでとは違い、どこか柔らかくなったマイラの態度と雰囲気を不思議に思いながらも、その歳相応な笑顔に対してミオナも同じように微笑み返した。
 そんな二人を。
 体はくねらせたままで、倒れ伏した地面の上からイワツがその赤い眼に優しい光を宿して見守っていたのには二人の少女達も気づかなかった。
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