青の城 3
文字数 2,671文字
結界の中に何かが侵入した。
それを感じ取って彼は小さく舌打ちをする。内部の奥深くに突然出現したという事はタカト辺りが関わっているのだろう。あの軽薄な男は見かけと中身の薄っぺらさとは裏腹にその実力は侮れない。長い時間に裏打ちされた、吸血鬼の中でも一二を争う実力を確かに持っているのだ。彼の主を教育したのも遺憾ながらあの男であるという。
今は、何処かから拾ってきた人間の子供を育てるのに夢中になっている吸血鬼の中でも異色な男の、人を食ったような笑顔を思い出して彼は秀麗な顔を僅かに顰めた。
後見人をしたからなのか、それとも元からそういう性格なのか、あの男は魔王に敬意を払うという事を一切しない。人間の子供を連れ帰った時も、まるで当たり前のように勝手に城の中に部屋を確保した。ダンピールである故に吸血衝動を持たないかの王も、彼が連れ帰った子供に対して興味を示す事も無く黙認した。元から王は周りに対する興味は薄かったし、あの男に対しては驚くほど寛容だ。
しかも腹が立つ事に、あの男、タカト=グッチーセも王の許容範囲や性格を熟知していて踏み外すという事は無い。王とは別の要因で吸血鬼としての本能が薄く弱点が失われているあの男が己よりも王より近い場所にいるような気がして、彼は嫉妬と羨望に身を焦がす事もあった。
彼が「マイロード」と呼びこの上なく敬愛する、今代の魔王の名をアッシュ=ハーツ。
先代の魔王であり吸血鬼である父譲りの青の髪と、人間の母譲りの青の瞳を持つ美麗な魔王。纏う色彩から青のアッシュと呼ばれる彼は、吸血鬼の頂点に立てる程の高い魔力と吸血鬼の弱点が存在しないと言う稀有な存在だ。
普通、ダンピールには二通りの存在がいる。
人間に少し魔力があるだけの、人に近い能力しかないモノと。逆に純血の吸血鬼よりも高い魔力や、吸血鬼としての弱点がなくなっていたりする吸血鬼に近いモノ。
彼の主は後者。最も理想的な形で吸血鬼に近いダンピールだった。
吸血鬼の弱点は何一つ残さず、血に惑う事も無い。しかし先代を凌ぐ程の高い魔力を持ち、優れた知性と容姿を持つ。
彼、ケーディ=トリニトスは一目見た瞬間にその人こそ自分の主であると膝を折った。
ケーディ自身は、古くからある吸血鬼族の中でも地位の高い貴族の嫡男として生まれた。それでも、アッシュを初めて見たときに彼はこの人に全てを捧げてもいいと思ったのだ。
その後、彼の一族がダンピールを王と仰ぐことを不満に思いアッシュに反旗を翻したときには、彼自身が討伐を行った。彼が認める王に牙を向くなど、王自身が気にしていなくても彼に取っては許しがたい大罪だった。それが己の一族なら尚更。
それだけ、敬愛する王。
しかし、完全な吸血鬼である彼は日の高い頃に側に仕える事が出来ない。たとえ城の中とて、外に出ればかなりの消耗をしてしまう。
暗い棺桶の中で、ケーディは不快感に眉間に皺を寄せる。
王に害するような者ではないはずだ。いや、仮にそうであったとて彼の王が遅れをとるなどあり得ない事。それでも、気になるのはどうしようもない。
やはり、行くか。
辛抱たまらず、彼は棺桶のふたを緩慢な仕草で押し上げた。
魔法のような(現にそれは魔法であったのだが)もので何処かに連れてこられた状態のベータ=マキーナは、それでも連れてきたのが無邪気な笑顔を節約する事無く向けてくる可愛らしい幼い少女であったり、やってきた先にいたのが自分と同じ青の髪と青の瞳を持つ見るからに常人ではない美麗な男だったりしたので、疑問を投げかけるタイミングを完全に失ってしまっていた。
しかも、少女も男も、それぞれ勝手に動いてベータを気にする様子は無い。
「おねえちゃん、おなまえはなんですか? ノンノはね、ノンノ、っていうの」
いや、少女の方は一応気にかけてくれているようだ。
「あ、あの、私はベータ=マキーナっていいます」
「え~っと、まきちゃん、なのね?」
「は、はい」
こと、っと小首を傾げて言うノンノに、こくこくとせわしなく頷くベータ。
まだ厨房らしき場所から移動していない二人の会話は、少し離れた所で料理をしているらしき青い男にも聞こえているはずなのだが、彼は興味が無いのか料理に集中しているのか、視線一つ彼女らに寄越す事はしない。
味見をさせて以降、彼は鍋に掛かりきりである。
気になっているけれど、冷たい雰囲気を備え持つその男に声をかける勇気もなく、ベータはただその姿を見ていた。自分と同じ色彩を纏う相手に親近感を抱くなど、安易だと分かっていても止められない。
「あのね、あれはあっちゃんなの」
ベータの視線を追ったノンノが教えてくれる、が。
「あっちゃん?」
「うん。あっちゃんはね、おうさまで、えらいんだって!」
あまりに簡略されていて、逆に理解が難しい。
紹介されたベータは救いを求めるように男の方を見るけれど、やはり反応はない。いや、今度はふいっと顔を上げてベータ達の方を見た。人間味の無い静謐な碧の瞳が、形の無い違和感と威圧感を齎すとその時ベータは気づいた。
緩やかに彼の唇が開かれるのを、ぼんやりと見守ってしまう。
まるで精巧な芸術品が動き出すかのような、現実味の無さ。
「用意しろ」
「え?」
だから、突然の言葉に反応できなかった。
きょとんと見返してくるベータにそれ以上何か言う訳でもなく、男は再び作業に戻ってしまう。
「あっちゃん、たかちゃんがまだなの」
「放っておけ。残しておく」
「はぁい」
ノンノの方は慣れているのか、必要だと思ったらしい疑問を解決した後に元気な返事をもって了解の合図にかえる。話についていけないベータの方を見て、幼い少女はにっこりと笑った。二つに纏めた髪を留めている大きなリボンがゆらゆらと揺れている。
明らかに尋常でないこの状況の中で、それでも上手く警戒心が働いてくれないのはこの少女の笑顔のせいなのだろう。疑う己の方が汚れていると思わせる、無垢な笑顔。
「これからごはんなの。てーぶるをととのえるのはノンノたちのおしごとなのよ」
「え? でも私」
「行こう?」
何故、その食事に自分も入っているのかが分からなかったのだが、周りに流されるのには残念な事に慣れているベータ。しかも、沢山の弟妹達に囲まれてきたので、幼い子供に対して強気に出る事などまず出来ない相談で。
小さな手に、手を取られるともう従うしか無い。
此処は、いったい何処なのだろう?
そんな初歩的な疑問も解決されないままに、彼女は少女に手を引かれてその場所を後にした。
それを感じ取って彼は小さく舌打ちをする。内部の奥深くに突然出現したという事はタカト辺りが関わっているのだろう。あの軽薄な男は見かけと中身の薄っぺらさとは裏腹にその実力は侮れない。長い時間に裏打ちされた、吸血鬼の中でも一二を争う実力を確かに持っているのだ。彼の主を教育したのも遺憾ながらあの男であるという。
今は、何処かから拾ってきた人間の子供を育てるのに夢中になっている吸血鬼の中でも異色な男の、人を食ったような笑顔を思い出して彼は秀麗な顔を僅かに顰めた。
後見人をしたからなのか、それとも元からそういう性格なのか、あの男は魔王に敬意を払うという事を一切しない。人間の子供を連れ帰った時も、まるで当たり前のように勝手に城の中に部屋を確保した。ダンピールである故に吸血衝動を持たないかの王も、彼が連れ帰った子供に対して興味を示す事も無く黙認した。元から王は周りに対する興味は薄かったし、あの男に対しては驚くほど寛容だ。
しかも腹が立つ事に、あの男、タカト=グッチーセも王の許容範囲や性格を熟知していて踏み外すという事は無い。王とは別の要因で吸血鬼としての本能が薄く弱点が失われているあの男が己よりも王より近い場所にいるような気がして、彼は嫉妬と羨望に身を焦がす事もあった。
彼が「マイロード」と呼びこの上なく敬愛する、今代の魔王の名をアッシュ=ハーツ。
先代の魔王であり吸血鬼である父譲りの青の髪と、人間の母譲りの青の瞳を持つ美麗な魔王。纏う色彩から青のアッシュと呼ばれる彼は、吸血鬼の頂点に立てる程の高い魔力と吸血鬼の弱点が存在しないと言う稀有な存在だ。
普通、ダンピールには二通りの存在がいる。
人間に少し魔力があるだけの、人に近い能力しかないモノと。逆に純血の吸血鬼よりも高い魔力や、吸血鬼としての弱点がなくなっていたりする吸血鬼に近いモノ。
彼の主は後者。最も理想的な形で吸血鬼に近いダンピールだった。
吸血鬼の弱点は何一つ残さず、血に惑う事も無い。しかし先代を凌ぐ程の高い魔力を持ち、優れた知性と容姿を持つ。
彼、ケーディ=トリニトスは一目見た瞬間にその人こそ自分の主であると膝を折った。
ケーディ自身は、古くからある吸血鬼族の中でも地位の高い貴族の嫡男として生まれた。それでも、アッシュを初めて見たときに彼はこの人に全てを捧げてもいいと思ったのだ。
その後、彼の一族がダンピールを王と仰ぐことを不満に思いアッシュに反旗を翻したときには、彼自身が討伐を行った。彼が認める王に牙を向くなど、王自身が気にしていなくても彼に取っては許しがたい大罪だった。それが己の一族なら尚更。
それだけ、敬愛する王。
しかし、完全な吸血鬼である彼は日の高い頃に側に仕える事が出来ない。たとえ城の中とて、外に出ればかなりの消耗をしてしまう。
暗い棺桶の中で、ケーディは不快感に眉間に皺を寄せる。
王に害するような者ではないはずだ。いや、仮にそうであったとて彼の王が遅れをとるなどあり得ない事。それでも、気になるのはどうしようもない。
やはり、行くか。
辛抱たまらず、彼は棺桶のふたを緩慢な仕草で押し上げた。
魔法のような(現にそれは魔法であったのだが)もので何処かに連れてこられた状態のベータ=マキーナは、それでも連れてきたのが無邪気な笑顔を節約する事無く向けてくる可愛らしい幼い少女であったり、やってきた先にいたのが自分と同じ青の髪と青の瞳を持つ見るからに常人ではない美麗な男だったりしたので、疑問を投げかけるタイミングを完全に失ってしまっていた。
しかも、少女も男も、それぞれ勝手に動いてベータを気にする様子は無い。
「おねえちゃん、おなまえはなんですか? ノンノはね、ノンノ、っていうの」
いや、少女の方は一応気にかけてくれているようだ。
「あ、あの、私はベータ=マキーナっていいます」
「え~っと、まきちゃん、なのね?」
「は、はい」
こと、っと小首を傾げて言うノンノに、こくこくとせわしなく頷くベータ。
まだ厨房らしき場所から移動していない二人の会話は、少し離れた所で料理をしているらしき青い男にも聞こえているはずなのだが、彼は興味が無いのか料理に集中しているのか、視線一つ彼女らに寄越す事はしない。
味見をさせて以降、彼は鍋に掛かりきりである。
気になっているけれど、冷たい雰囲気を備え持つその男に声をかける勇気もなく、ベータはただその姿を見ていた。自分と同じ色彩を纏う相手に親近感を抱くなど、安易だと分かっていても止められない。
「あのね、あれはあっちゃんなの」
ベータの視線を追ったノンノが教えてくれる、が。
「あっちゃん?」
「うん。あっちゃんはね、おうさまで、えらいんだって!」
あまりに簡略されていて、逆に理解が難しい。
紹介されたベータは救いを求めるように男の方を見るけれど、やはり反応はない。いや、今度はふいっと顔を上げてベータ達の方を見た。人間味の無い静謐な碧の瞳が、形の無い違和感と威圧感を齎すとその時ベータは気づいた。
緩やかに彼の唇が開かれるのを、ぼんやりと見守ってしまう。
まるで精巧な芸術品が動き出すかのような、現実味の無さ。
「用意しろ」
「え?」
だから、突然の言葉に反応できなかった。
きょとんと見返してくるベータにそれ以上何か言う訳でもなく、男は再び作業に戻ってしまう。
「あっちゃん、たかちゃんがまだなの」
「放っておけ。残しておく」
「はぁい」
ノンノの方は慣れているのか、必要だと思ったらしい疑問を解決した後に元気な返事をもって了解の合図にかえる。話についていけないベータの方を見て、幼い少女はにっこりと笑った。二つに纏めた髪を留めている大きなリボンがゆらゆらと揺れている。
明らかに尋常でないこの状況の中で、それでも上手く警戒心が働いてくれないのはこの少女の笑顔のせいなのだろう。疑う己の方が汚れていると思わせる、無垢な笑顔。
「これからごはんなの。てーぶるをととのえるのはノンノたちのおしごとなのよ」
「え? でも私」
「行こう?」
何故、その食事に自分も入っているのかが分からなかったのだが、周りに流されるのには残念な事に慣れているベータ。しかも、沢山の弟妹達に囲まれてきたので、幼い子供に対して強気に出る事などまず出来ない相談で。
小さな手に、手を取られるともう従うしか無い。
此処は、いったい何処なのだろう?
そんな初歩的な疑問も解決されないままに、彼女は少女に手を引かれてその場所を後にした。