邂逅者 12

文字数 4,672文字

 気を遠くしかけたミーシア=ミオナであったが、目の前の光景を前にして卒倒している場合ではないとすぐに思い返した。なにせ、ハンターとしては先輩にあたるアディ=マイラであるが、人間としては数年彼女の方が年上でハント以外の分野では色々と世間知らずな部分もあると、出会ってからこちら危惧する事も少なくなかった相手なのだ。ハンターとしては弱輩なれど年上として、自分が教えられる事、助けられる事もきっとあると常々思っていた。
 それが、見知らぬ男の膝の上にちょこんと座っている状態。
 危険すぎる、と彼女の本能が一瞬で警鐘を全開でならした所で、何が悪いだろう?
 しかも彼女はついさっき、自分自身が男によってとんでもない目に遭ったばかりなのである。
 部屋の中に走り込んだミーシアは、怒りとも焦燥ともつかない感情に突き動かされるままにアディ=マイラを正体不明の青い男から引き剥がし、そのままの勢いで部屋の隅まで担ぎ去った。見た目以上に鍛えていた彼女だからこそ可能となった力業である。
 突然部屋にやってきた見た目たおやかな乙女である美少女の荒技に、マイラを膝の上に乗せていたアッシュ=ハーツは制止する間もなかった。いや、驚きでそんなこと思い浮かばなかった。

 呆然とする魔王とその配下(自称)など気にも留めず、ミーシアは奪還したアディ=マイラを毛足の長い絨毯の上にぽんっと下ろして目の前に仁王立ちする。
 その恐ろしい迫力に、アディ=マイラも呆然として大人しくされるがままの状態である。そんな彼女にミーシアは叫ぶように言う。

「もう……もぅっ、貴方という方はっ!!」
「すすすまぬミーシア、あの、つまりだな」
「つまりも何もありませんっ!!  殿方の上に乗って平然としているなんて、貴方に危機感というものはあるんですかっ!? 男など……男などっ、狼なのですよっ!! 良い機会です、私が正しい男女のあり方というものを教えて差し上げます!!」

 そのまま「男女7歳にして席を同じにせず」という古来の(そしてミーシアの家のみに伝わる)例からアディ=マイラに説明をし始めそうな勢いのミーシアであったが、その彼女を止めたのは何となく相手の異変に気がついたマイラの一言だった。

「そなた、その服はどうしたのだ」
「……っ!?」

 城に入る時、彼女は確か何時も着ている道着を身に付けていた。白と赤の遠くからでもよく目立つ、彼女に非常に似合う服装を。マイラはその服の細部までしっかり覚えている。
 なのに、今目の前に居るミーシア=ミオナは、下は道着の赤い袴のままであるのは同じであったが、上は見覚えの無い青の上着を纏っていた。しかも常のミーシア=ミオナであればまず着ないであろう細工の洋服である。いくらなんでもこの変化に、女性的な服装の種類そのものには無関心なマイラであっても気づかない筈が無い。
 ただただ不思議に思って問いかけたマイラにミーシアの方は俯いてふるりと身を震わせた。彼女の脳裏には、ついさっき己が身に起こった忌まわしい出来事が一瞬にして甦る。あの時の、あの男の赤に染まった目と共に。 
 そして悔しさに、ぎり、と歯を噛み締めた。
 ハンターとして生きる決意を済ませておきながらこんな事で、ミーシアとあろうものが、屈しかけていた。あのとき、あの少女が現れなければ、蹂躙される所だった。許せない。あの男も、易々牙に掛かりかけた自分も。
 そう思う彼女は、その相手がよもや吸血貴族の中でも最上位に次ぐ公爵位を持つ男で、実際にその男が本気を出してしまえば抵抗など決して適わないのが当然である事などまだ知らない。けれど後日に知った後でさえ、その気持ちは彼女の中から消える事は無かった。

 今は、それどころではないとミーシアは気を取り直す。

「これは、御借りしたのです。事情はあとでお話しします」
「うむ……」

 そんな事よりも今はまず目の前の年下の少女が決して自分のような目に遭わないように、自分が守らなければ。この、戦う事に囚われがちな、無垢な年下の少女を。

「とにかくっ、貴方は知らなければなりません」
「わかった……」

 そのままお説教に入りかけたミーシアを、さらに止めたのは部屋に入ってきた数人だった。
 未だ部屋の入り口で呆然と立ち竦んでいるケーディの脇からひょこひょこと顔を出したのは、さっきまでミーシア=ミオナがいた部屋の中に居た面々。マイラを心配して駆け出した彼女を追って後からゆっくりとやってきたのだ。歩いて来たのは、行った先がアッシュの居る場所であれば万が一にもアディ=マイラに害はないだろうと踏んでいたのと、実はタカトがかなり重傷であったためだ。
 ボロボロだった衣服は既に新しいものになっているが全身は傷だらけでまだ見た目を誤魔化せない程に消耗し憔悴した表情は隠しきれないタカトが、先に部屋の中に居たミーシアの方を少し気にしながらアッシュの方へと声をかける。

「アッシュ~無事か?」
「あっちゃん、おきゃくさまなのよ~」

 その彼の横からノンノが、少し赤く充血した目を瞬かせながらもいつも通りの様子で言う。
 彼らの姿を見て、ようやくアッシュ=ハーツは正常な思考を取り戻すと椅子から立ち上がった。その動きにミーシアが全身で警戒をするのを視界の隅で確認するが、その後ろに居るアディ=マイラが平然としている事に口の端をすこし上げる。

「知っている。ベータ=マキーナを探しにきたハンターなのだろう?」
「やはりこやつらが!!」
「ケーディ、煩い」
「はっ、申し訳ありませんマイロード」

 ハンターと聞いて一瞬で復活したケーディであったが、その当のアッシュの一喝により速やかに大人しくなる。忠実なる僕にとってはどんな内容だろうが主人の言葉に逆らう理由などない。
 普段はケーディに対し滅多にそんな事を言わない(言う程興味も持たない)魔王の様子に、何かあったのかとタカトは部屋の中を見回して、そしてミーシアの後ろに見慣れない姿を見つける。
 その人間から感じるのは、微かな甘い匂い。
 どうやら何らかの力によって抑えられているらしい甘く意識を惹く匂いに、長い年月を生きてきたタカトは覚えがあった。人間で、ハンターで、しかも女であの匂いとなれば、どんなにそれが微かなものであろうと最終的に行きつく答がある。
 吸血鬼には逆らい難い、誘惑の薫り。同時に確実な死をもたらすもの。

「なぁ、その子、死の姉妹じゃないのか?」

 死の姉妹の血は、特別に祝福されたもの。
 吸血鬼に対しては逆らい難い魅惑的な匂いを齎し、誘惑されれば例え貴族であっても触手を伸ばしてしまうだろう。だが飲んでしまったら最後、祝福を受けたその血は一瞬で確実に吸血鬼に滅びを齎す。
 死の姉妹は吸血鬼の中でも有名なハンター集団だったが、実際にその匂いだけで判別できるものは少ない。匂いを覚える頃にはその血に惹かれて牙をたて、滅びに向かっているからだ。
 血に対し欲求のないタカトだからこそ、複数回の遭遇の果てに覚えられた。
 問いかけた彼に、マイラが興味深そうに目を瞬かせる。
 マイラの前では、ミーシアが今にも刀を振りかざしそうな目をしてタカトを睨みつけていた。アッシュ=ハーツの方は二人の様子を黙って伺っている。

「よく知っているな」
「まぁね。それにしてもお前さん、また見事に死の姉妹の匂いを押さえ込んでるな。そんな事が出来る方法なんてあったかね?」

 マイラの方は平然と答え、タカトはミーシアの視線を気にしつつも話を続けた。
 死の姉妹は自らの匂いを武器に、吸血鬼を狩る。
 だが、それは同時に己が身に吸血鬼から牙を立てられる事でもある為、自らも眷属に成り果て、そして吸血鬼の滅びと共に果てる。必殺の武器ではあるが諸刃の剣であるそれは、己自身の匂いという事もあって血の匂いに敏感な吸血鬼を前にはどんなに香を焚こうと消せるものではない。
 人間が生み出した最終兵器は、コントロールが出来ないという点で(所有する本人にとっては)諸刃の剣でしかなかった。
 前もって分かっていれば吸血鬼側にも何らかの方策がある。また時に狙っていない下級の吸血鬼の牙に掛かるという事態も発生する。常に匂いがするというのは、所有者にとって危険しか齎さない。
 だが、マイラの匂いは、ほぼ完全に『隠されて』いた。それが誰にでも簡単に出来るようなら、人間達はもっと効率よく死の姉妹を使って吸血鬼を狩っているだろう。
 タカトの疑問に、マイラは首を横に振る。

「これは、人の力で為しているのではない。イワツが……」


「そう!!  華麗なるピロー魔法に不可能はないのですよ」


 マイラがその名を呼んだ瞬間、部屋の中に浪々と響き渡る低い声。
 それを聞いた瞬間の各自の反応はそれぞれ異なったものだった。
 ノンノやベータはきょとんとして周囲を見回し。
 ケーディはびくりと体を震わせ。

「いいいイワツ!!??」

 タカトは思わず叫んだ。ほんの少し前に一度、ちらりと姿を見たのは分かっていたが、記憶の彼方に追い出していた。
 それに合わせるように、マイラとミーシア、そしてその他の者達の間を遮るように空間がぐにゃりと歪み、現れるのは……

「呼ばれて飛び出てイワ〜〜ツゥゥゥ」
「そう、イワツの力だ」
「いえーす、マイハイネス!」

 くるくる回りながら叫ぶイワツを前にして、既に見慣れてしまっているマイラは平然と言う。
 ミーシアも此処にくる前、直にマイラ本人から聞いた事があった。マイラの死の姉妹としての力を普段封印しているのは、その傍らに片時も離れず付き従っている吸血鬼・イワツ本人である事。それは、封印していなければイワツがマイラを襲うとかそういう問題ではなくて、単にマイラ本人が仕事をし易くする為だと言う事。
 ……イワツ自身は「自称・吸マクラ鬼」なので血に対して反応は非常に鈍いらしく、マイラの記憶の限りでは身の危険は一度も無かったようだ。
 マイラ曰く「こやつが私を含め誰か襲うような事があったら真っ先に滅ぼしてくれるわ」、イワツ曰く「イィ~~~~~」という事らしい。そして二人の言葉が事実である事をミーシア自身が短い付き合いながら確信するに至っている。
 実際はどうあれ、イワツは目の前で流血を見ようとも血を欲しがらない。それが死の姉妹のものであっても。

 そんな事情など知らないタカトには、目の前の光景は地獄の一丁目にしか見えない。

「何で、何でイワツが人間に協力してんだ? 明日は世界が滅ぶ日か?」
「ノンノン。明日は素敵なマクラ日和です。イィ♪」

 あの、あの吸血貴族ですら恐れるイワツ公爵が、人間に傾倒。
 他の誰でもない、あのイワツ公爵が。
 自分の事は棚上げにして、問いかけながら思わず背筋に悪寒が走って身震いするタカトに、アッシュが更に重々しく言う。

「此処に入ったのもイワツの力だな」
「その通りだ。イワツがこの城に入れてくれた」
「そうです。我が姫君の仰せであれば青の城でもピローアイランドでも何処へでも~」

 我が姫君っ!?
 あのイワツが、腰を折って仰々しく頭を垂れて、我が姫君とか言ってるぞオイ!!

 タカトの全身に、ざわりと鳥肌が立つ。

「明日が世界の終わりか……?」
「珍しく意見が合ったな、タカト」

 頭を真っ白にしつつタカトが呟けば、小声でケーディが同意してくれたが……しかしそのせいでこれが現実であると思い知らされたタカト=グッチーセは、息を吐きつつ頭を乱暴に掻きむしるのだった。

 その隣では、ノンノが楽しそうに「お客様がいっぱいなのよ」と笑っていた。
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