青の城 4
文字数 2,811文字
そこはまるで御伽話の中の世界のようだった。
いや、小さな弟や妹に何度も読み聞かせた使い古された絵本の中の世界よりもずっときらびやかで豪華なその場所は、質素な生活をしてきたベータにとっては天国ではないかと思う程に現実離れしていた。ノンノに手を引かれて歩きながら、彼女は見た事も無い世界をきょときょとおどおどと見回していた。
此処はまだ廊下だというのに、足下に敷かれている絨毯の毛足は長くて足音は完全に吸収されてしまうし、廊下そのものが広い上に天井が高かった。其所彼処に飾られている芸術品達は見るからに高そうだし、壁に均等に置かれている明かりはどうやら魔法によって作り出されたもののようだった。
あまりの豪華さに、何処にも窓が無いことなど気にならないくらいにベータは圧倒されていた。いったい何処の別世界に連れてこられたのだろうと今更怖くなる。
「あの、ノンノさん?」
手を引くノンノに、控えめに声をかける。
そういえば幼い少女が身につけている物も明らかに仕立ての良い服だ。頭に揺れるリボン一個とっても、ベータが一月暮らせそうな値段のような気がする。彼女自身が高価な物に興味がある訳でも特別に詳しい訳でもないが、服や布に関して彼女は少しだけ知識があった。裁縫が趣味だというのもあるし、彼女が奉公しているのがそういうものを扱っている大店というのもある。
改めて、安物の服を着ているベータは、自分がとても不釣り合いだと恐縮してしまう。
「まきちゃん、どうしたの?」
「あ、あの、此処は何処でしょう。私、こんな所にいて良いのでしょうか?」
眼鏡の奥の青の瞳が不安げに揺れる。
「ここはあっちゃんのおうちなの。ノンノとたかちゃんはいそうろうなのよ」
「い、いそうろう、ですか」
「そうなのよ。たかちゃんはあっちゃんのこうけんにんで、ノンノはたかちゃんにほごしゃされてるのよ。で、あっちゃんはおうさまで、えらいのよ」
子供特有の言い回しに慣れているはずのベータでも解読不可能なノンノ語に、彼女は困った顔をする。そもそも、こんな小さな子供に説明をさせる事が無茶な事だったかもしれない。
諦めて、もうしばらく彼女は事態に流される事にした。
不幸な目に遭う事も理不尽な目に遭う事も慣れた。今更そんな事で嘆いたりしないし泣いたりしない。諦めなければ、いつかは笑える時が来るのだと知っているから。
奉公先には帰りが遅れると怒られるけれど、それだっていつものことだ。
明日までに帰る事が出来れば、それでいい。
「ここがごはんをたべるところなの」
小さな少女にとっては重いだろう重厚な造りの大きな扉を軽々と押し開いて(もちろん音はまったくたたなかった)誘われたのは、廊下からの予想に違わず豪奢な造りの大広間で、これまた絵本くらいでしか見られないような長すぎるクラシックなテーブルが中央に堂々と置かれていた。その周りには数えるのも嫌になりそうな程の椅子が整然と並んでいる。
奉公先も金持ちであったが、これはもうレベルが違う。
何処の王侯貴族の屋敷にいるのかと思わせるような。
「あ、あの、そういえばさっき、おうさまとか」
「あっちゃんはおうさまなの~」
にこにこ笑いながら、ノンノは持ってきた荷物を部屋の端に置かれている戸棚の中に置いて、戸棚から何枚かのナプキンを取り出してくる。真っ白なナプキンも、よく見れば同じ色の糸で精緻な刺繍が施してあった。
それをベータに渡して少女はにっこりと笑う。
「あのね、おさらがあるせきにおいてくださいなの」
「は、はい!」
よく見れば、確かに皿がある席がある。全部で4つあるその席は、一つだけ上座と言うべき離れた場所にあって、他三つはそれと反対側の近い場所に置かれていた。
それぞれにナプキンを並べていく。
「私、あの」
「まきちゃんはここなのよ。ノンノはここで、たかちゃんがここなの」
にこにこ笑いながらテーブルの上の花瓶に花を飾っているノンノが、近い場所に並んでいる三つの皿をそれぞれ指して説明してくれる。
「それから、あっちゃんがあそこなの」
一つだけ離れた席を指して、言う。
不思議なのは突然来た来訪者であるはずの自分の皿まで既に並んでいると言うことのはずであるが、この時のベータの頭の中にはそれより何より気になる、否、気にすべき事があった。
「私、突然来たのにご飯なんてそんな」
「だいじょうぶなのよ。あっちゃんもなにもいってなかったの」
あの青い髪の青年は、確かに何も言っていなかったが。
「で、でも私、お作法も何も知りませんから、その、ご不快になられるかも」
ノンノの言う「王様」を信じるかどうかは別にしても、あの青年の細かい仕草や立ち姿からしても育ちの良さそうなことは伝わってくる。そんな人と同席するのは、何だか恐れ多くて仕方ない。
知らないのは、育ちを考えても当然の結果だと思うしかないけれど。軽蔑はされたくないと思う。
身の程知らずな望みなのかもしれないけれど。
「ノンノもね、ここにくるまでなにもしらなかったの。いまね、たかちゃんにいろいろおしえてもらってるんだよ!」
「そうなのですか?」
「うん。でも、ノンノ、まだまだうまくできないの。でもたかちゃんはがんばれ、っていうからノンノもがんばるの。しっぱいはいっぱいするけど、あきらめちゃだめなの。まきちゃんも、ノンノといっしょにがんばるの~」
「私でも、大丈夫でしょうか」
「ノンノ、おしえてあげるの。あっちゃんもね、おこったりしないよ? ごめんなさい、っていえば『もんだいない』っていってくれるの。あっちゃんはむくちだけどうそはいわないよ、ってたかちゃんはいうの。ノンノもそうおもうの」
きらきらとエメラルドグリーンの瞳を輝かせて言う少女を見ていると、抱いている杞憂も吹き飛ぶような気がした。まるで本物の弟や妹たちに励まされているような気がして、少し沈んでいた彼女の表情にも柔らかさが戻ってくる。
そんな部屋の中に、扉を開いて青い髪の男が入ってくる。
何も持っていない彼は、すたすたと歩いて上座の方に行ってしまう。
「え? あの、お食事をするのですよね?」
そんな男の行動を見たベータが驚いてノンノを見ると、にっこり笑って少女は席を指差す。
「ごはんはもうきてるのよ~」
「え? えぇ?」
確かに。
さっきまで何も載っていない皿しか無かったその場所に、いつの間にか湯気のたつ美味しそうな食事が並んでいた。色も鮮やかで見るからに出来のいい食事達は、漂ってくる香ばしい匂いもあって強く食欲を刺激してくる。
上座の席に着いた男は、動かない。
「あっちゃんのまほうなの。まきちゃん、すわってたべよう?」
「は、はい!」
促されるままに席に着くと、ノンノが可愛らしく宣言する。
「いただきます、なの」
「いただきます」
それにベータが答え、そして二人が食べ始めるのを確認して男も黙って食事をし始めるのだった。
いや、小さな弟や妹に何度も読み聞かせた使い古された絵本の中の世界よりもずっときらびやかで豪華なその場所は、質素な生活をしてきたベータにとっては天国ではないかと思う程に現実離れしていた。ノンノに手を引かれて歩きながら、彼女は見た事も無い世界をきょときょとおどおどと見回していた。
此処はまだ廊下だというのに、足下に敷かれている絨毯の毛足は長くて足音は完全に吸収されてしまうし、廊下そのものが広い上に天井が高かった。其所彼処に飾られている芸術品達は見るからに高そうだし、壁に均等に置かれている明かりはどうやら魔法によって作り出されたもののようだった。
あまりの豪華さに、何処にも窓が無いことなど気にならないくらいにベータは圧倒されていた。いったい何処の別世界に連れてこられたのだろうと今更怖くなる。
「あの、ノンノさん?」
手を引くノンノに、控えめに声をかける。
そういえば幼い少女が身につけている物も明らかに仕立ての良い服だ。頭に揺れるリボン一個とっても、ベータが一月暮らせそうな値段のような気がする。彼女自身が高価な物に興味がある訳でも特別に詳しい訳でもないが、服や布に関して彼女は少しだけ知識があった。裁縫が趣味だというのもあるし、彼女が奉公しているのがそういうものを扱っている大店というのもある。
改めて、安物の服を着ているベータは、自分がとても不釣り合いだと恐縮してしまう。
「まきちゃん、どうしたの?」
「あ、あの、此処は何処でしょう。私、こんな所にいて良いのでしょうか?」
眼鏡の奥の青の瞳が不安げに揺れる。
「ここはあっちゃんのおうちなの。ノンノとたかちゃんはいそうろうなのよ」
「い、いそうろう、ですか」
「そうなのよ。たかちゃんはあっちゃんのこうけんにんで、ノンノはたかちゃんにほごしゃされてるのよ。で、あっちゃんはおうさまで、えらいのよ」
子供特有の言い回しに慣れているはずのベータでも解読不可能なノンノ語に、彼女は困った顔をする。そもそも、こんな小さな子供に説明をさせる事が無茶な事だったかもしれない。
諦めて、もうしばらく彼女は事態に流される事にした。
不幸な目に遭う事も理不尽な目に遭う事も慣れた。今更そんな事で嘆いたりしないし泣いたりしない。諦めなければ、いつかは笑える時が来るのだと知っているから。
奉公先には帰りが遅れると怒られるけれど、それだっていつものことだ。
明日までに帰る事が出来れば、それでいい。
「ここがごはんをたべるところなの」
小さな少女にとっては重いだろう重厚な造りの大きな扉を軽々と押し開いて(もちろん音はまったくたたなかった)誘われたのは、廊下からの予想に違わず豪奢な造りの大広間で、これまた絵本くらいでしか見られないような長すぎるクラシックなテーブルが中央に堂々と置かれていた。その周りには数えるのも嫌になりそうな程の椅子が整然と並んでいる。
奉公先も金持ちであったが、これはもうレベルが違う。
何処の王侯貴族の屋敷にいるのかと思わせるような。
「あ、あの、そういえばさっき、おうさまとか」
「あっちゃんはおうさまなの~」
にこにこ笑いながら、ノンノは持ってきた荷物を部屋の端に置かれている戸棚の中に置いて、戸棚から何枚かのナプキンを取り出してくる。真っ白なナプキンも、よく見れば同じ色の糸で精緻な刺繍が施してあった。
それをベータに渡して少女はにっこりと笑う。
「あのね、おさらがあるせきにおいてくださいなの」
「は、はい!」
よく見れば、確かに皿がある席がある。全部で4つあるその席は、一つだけ上座と言うべき離れた場所にあって、他三つはそれと反対側の近い場所に置かれていた。
それぞれにナプキンを並べていく。
「私、あの」
「まきちゃんはここなのよ。ノンノはここで、たかちゃんがここなの」
にこにこ笑いながらテーブルの上の花瓶に花を飾っているノンノが、近い場所に並んでいる三つの皿をそれぞれ指して説明してくれる。
「それから、あっちゃんがあそこなの」
一つだけ離れた席を指して、言う。
不思議なのは突然来た来訪者であるはずの自分の皿まで既に並んでいると言うことのはずであるが、この時のベータの頭の中にはそれより何より気になる、否、気にすべき事があった。
「私、突然来たのにご飯なんてそんな」
「だいじょうぶなのよ。あっちゃんもなにもいってなかったの」
あの青い髪の青年は、確かに何も言っていなかったが。
「で、でも私、お作法も何も知りませんから、その、ご不快になられるかも」
ノンノの言う「王様」を信じるかどうかは別にしても、あの青年の細かい仕草や立ち姿からしても育ちの良さそうなことは伝わってくる。そんな人と同席するのは、何だか恐れ多くて仕方ない。
知らないのは、育ちを考えても当然の結果だと思うしかないけれど。軽蔑はされたくないと思う。
身の程知らずな望みなのかもしれないけれど。
「ノンノもね、ここにくるまでなにもしらなかったの。いまね、たかちゃんにいろいろおしえてもらってるんだよ!」
「そうなのですか?」
「うん。でも、ノンノ、まだまだうまくできないの。でもたかちゃんはがんばれ、っていうからノンノもがんばるの。しっぱいはいっぱいするけど、あきらめちゃだめなの。まきちゃんも、ノンノといっしょにがんばるの~」
「私でも、大丈夫でしょうか」
「ノンノ、おしえてあげるの。あっちゃんもね、おこったりしないよ? ごめんなさい、っていえば『もんだいない』っていってくれるの。あっちゃんはむくちだけどうそはいわないよ、ってたかちゃんはいうの。ノンノもそうおもうの」
きらきらとエメラルドグリーンの瞳を輝かせて言う少女を見ていると、抱いている杞憂も吹き飛ぶような気がした。まるで本物の弟や妹たちに励まされているような気がして、少し沈んでいた彼女の表情にも柔らかさが戻ってくる。
そんな部屋の中に、扉を開いて青い髪の男が入ってくる。
何も持っていない彼は、すたすたと歩いて上座の方に行ってしまう。
「え? あの、お食事をするのですよね?」
そんな男の行動を見たベータが驚いてノンノを見ると、にっこり笑って少女は席を指差す。
「ごはんはもうきてるのよ~」
「え? えぇ?」
確かに。
さっきまで何も載っていない皿しか無かったその場所に、いつの間にか湯気のたつ美味しそうな食事が並んでいた。色も鮮やかで見るからに出来のいい食事達は、漂ってくる香ばしい匂いもあって強く食欲を刺激してくる。
上座の席に着いた男は、動かない。
「あっちゃんのまほうなの。まきちゃん、すわってたべよう?」
「は、はい!」
促されるままに席に着くと、ノンノが可愛らしく宣言する。
「いただきます、なの」
「いただきます」
それにベータが答え、そして二人が食べ始めるのを確認して男も黙って食事をし始めるのだった。