邂逅者 11

文字数 4,051文字

 明るい日の光の中で、その存在はとても綺麗だった。
 陰りなど何処にもみられず、そして職業柄魔の者には敏感な彼女を持ってすら、不穏な気配は全く感じられない存在。
 彼女からしてみれば、目の前にいるのは性別も忘れそうな程に整った、黙っていれば人形と見紛いそうな程にきれいな顔をした相手だった。だから実は相手が男か女かなど、二の次になってしまっていたことは確かだった。
 そして、鮮やかな青の髪に青の目。
 色は、どちらも以前イワツから貰ったコーンフラワーブルーと呼ばれているらしい青い石によく似ていた。青が好きな彼女の為にイワツが何処かから持って来たそれは、柔らかでいて揺るぎのない透き通った青で、一目で気に入った彼女はそれを櫛に付けてもらい、今でも使っている。
 ……世情も含め、少女らしい華やかな宝石知識には全く疎いアディ=マイラという若きヴァンパイアハンターは、その綺麗な石が実はとんでもなく高価な代物であることなど知る由はない。そして目の前にいる男がコーンフラワーブルー以上に希少な、史上初のダンピール魔王であることも。
 だから大真面目に尋ねた問いかけに、まさかさっきまで真っ直ぐに自分を見ていたその目が逸らされて疲れきったかのように溜め息をつかれるなどとは思ってもみないことだったのだ。

「違うのか? ベータ=マキーナは、青の髪に青の目をしていると聞いていたのだが」
「しかし、女だろう」
「確かに、そうだな。すまぬ」

 それはすまかなったと、素直に自分の落ち度を認め謝罪をすれば、彼は空いた方の手で少し髪をかきあげて苦笑した。もう片方の手が、本を捨て自分の背中を支えていることに彼女はまだ気づかないまま。「別に、分かれば良い」と言うのを聞きながら、ようやく動き始めたマイラの頭脳は、本来真っ先に導かなければならなかった質問をようやくはじき出す。

「我はマイラ=アディ。そなたは、誰だ」

 名乗った字名に、目の前に男の形の良い眉の片方が、少しだけ上がった。

「アディ……か。では、ハンターを名乗るものというわけだな」
「あぁ。そうだ……で、そなたの名は」

 アディの名は、魔物の中では不快な名として通っていることを彼女は職業柄、よく分かっていた。死の姉妹である彼女の従姉妹達、そして血縁なき兄弟である従兄弟達は、誰しもがその名を冠するに相応しいだけの力量を持つハンターである。いや、力量を持たねばアディを名乗れない。
 血で連なる訳ではないその名は、古くより人ならざる存在から世界を守る為にあった。
 人を、ではないのが重要な部分であるだろう。
 アディは、只のハンターではない。世界の調和を守る為に魔族を狩り、そして調和を乱さぬのであれば不用意に仕掛けることも無い。個人の利益のみで戦う訳ではない。彼らの誇りは、世界の守護者であることなのだから。
 だから、魔族に忌み嫌われようが、人に後ろ指差されようが、アディ=マイラの矜持は揺るがない。
 それは輝くヘイゼルの瞳にはっきりと現れていた。
 自分の名を問うてくる少女の目にしばらく見入った男は、ふっと笑う。

「アッシュ……アッシュ=ハーツ、だ」
「アッシュか」

 紡がれた名前を、他意も無くただ繰り返した彼女に、青の魔王は更に微笑を深くした。
 もしも此処に彼の後見人たる公爵がいれば堪えきれず「せ、赤飯をたかねば」と叫んだかもしれないし、彼の(かなり一方的な)忠実な部下たる伯爵がいれば神々しさに「マイロードっ」と恍惚の表情で卒倒したかもしれない。それだけ希少な表情であったが、微笑まれた方は何故笑うのかと不思議に思っただけであった。
 おかしなことはしていないはずだが、何か変なことでも言ったかと首を傾げるマイラに、さっき前髪をかきあげていた彼の長い指がすいっと近づく。柔らかな頬にそっと触れて、一体何なのだと少しだけ目を見開いた彼女は、年よりも幼く見えた。

「で、マイラ」
「何だ」
「マイラはこの城に何をしに来た」

 その言葉に、この場所が何処であるのかを思い出す。
 青の城。今代の魔王の居城。
 此処に来たのは、この城の周囲で行方不明になったベータ=マキーナという少女を探すため。此処には、イワツと、そしてミーシアの家から預かったミオナを伴って来ている。きっと手がかりを持っている筈の、この城に住む者達から情報を得る為に。
 ベータ=マキーナには帰る家がある。そして彼女を待つ家族達がいる。帰るべき場所に帰すこと。報酬などなくとも、それが何より大事なのだ。
 その為なら目の前に魔王が立ち塞がろうとも、彼女は引く気はなかった。

「人を、探しておる」
「それがベータ=マキーナ、か」
「そうだ。彼女の両親に依頼された。突然消えてしまった娘を捜してきて欲しいと。最後に彼女が目撃されているのが、この森の入り口だったのでな。そなたらならば何か知っておるかと思い我らはやって来たのだ」

 この森は、そなたらの森であろう?
 真っ直ぐに相手を見ながらマイラが言えば、「別に誰が入って来ようが俺は気にしていないが」とあっさりアッシュは返すものだから、そういうものなのかと彼女は首を傾げる。
 目の前の男が吸血鬼とはまだ知らないまでも、この城の持ち主は吸血鬼だ。持ち主の意向は住人にも反映されるもの。そして今までマイラが退治してきた吸血鬼は、己の縄張りを非常に気にする者が多かったからこの城の住人もと思ったのだが、一枚岩でもないらしい。
 そうなると、ベータ=マキーナの消息も分からないのかもしれないと思いかけたアディ=マイラだったが、しかし城に入る前のイワツの言葉を思い出す。
 死んだ形跡のないベータ=マキーナ。
 人間の死体。
 魔力の残滓。
 目の前の男が直接関わっていなくても、この城のなかに居る魔族の誰かが関わっている可能性が高いのだ。それならばやはり住人らしきこの男は何か知っている筈だと、迷ったアディ=マイラの目が再び力を取り戻す。

「そなた、ベータ=マキーナを知っておるだろう」

 断定的に言い切れば、あっさりとアッシュは頷いた。
 アッシュからしてみれば、タカトが招き入れただけの人間を隠す道理も後ろぐらさも無い。逆にそのあっさりした態度に、マイラの方が拍子抜けしてしまう。

「知っておるのか……」
「あぁ。知っている。タカトが連れてきた」

 何でも無い事のように言うアッシュの態度に、最初こそマイラは呆然としていたが、徐々に怒りが込み上げてきた。彼女に依頼をしたベータ=マキーナの家族は、泣いていたのだから。大切な長女が連絡も無く姿を消して、奉公元に迷惑を掛けたとか仕送りが無くなったとか、そんな事より何より消息が気になると。
 何か辛い目に遭っていないか、泣いていないか……死んでいないか、とにかく、気になって仕方ないのだと、彼女の父母は目の下に隈をつくったやつれた顔で、訴えたのだ。
 だから、マイラは依頼を引き受けた。
 そのベータ=マキーナが、この城にいるという。

「では……では何故、あの者を帰さぬのだ!! まさか、そなたら、眷属にっ」

 もしそうであれば、命に代えても撃つ覚悟で、怒りに大きな目を爛々と輝かせながらマイラが叫ぶように言えば、彼女の頬をまだ触っていた青の魔王はそれこそ不意をつかれたかのようにきょとんとした。
 彼からしてみれば、どうしてそういう話になるのか、一瞬本気で理解しかねたからだ。
 だが、マイラからしてみればそんな態度も勘に触る。魔族が人間とは異なる感性を持っていると、イワツの例でよく分かっている彼女であったが、目の前に居る男をまだ魔族と認識しきれていなかったから、余計腹立たしくなった。

「何故かって……」
「あぁ、何故だ! 留めておく理由が眷属にする以外何処にあると言うのだ!」

 マイラが言う事も最もであった。
 人間を同等とは基本的に見なさないヴァンパイアが人間を帰さない理由など、眷属にするか、既に帰す命が無いかのいずれかである事が殆どだった。

「それは、ベータ=マキーナが魔力を持ちすぎるがために死にかけているからだ」

 マイラの剣幕に、何故あの女が城に住む事になったのだろうと改めて思い返したアッシュは、記憶の片隅でようやくその理由を見つけて口に出した。そう、彼の先祖と彼女の先祖が関わりを持ち、その残滓により遺伝的に高い魔力を保有もしていたあの女は、それ故に体を蝕まれ、表向きは健康そうに見えても既に瀕死に近かったのだ。
 それに気づいたタカトが残留を勧め、ベータが望み、アッシュが許可した。
 あれから……もう一ヶ月近く経っていると、彼はようやく思い出した。

「なぬ?」

 今度はマイラがきょとんとする番で、怒りをまだ収めきれないまま、それでもアッシュ=ハーツの言葉を反芻する。

「魔力を持ち過ぎた? 死にかけてて……だから、ベータを留めていると? では、ではベータ=マキーナは無事なのだな!? 元気なのだな?」
「あぁ。元気だ。ただ、完全な回復にはまだ時間が掛かるだろうが」

 なにせ、魔力に体を蝕まれる期間が長過ぎた、と彼は言う。
 そして回復をしてもこの城から去るのであれば、その先遠からず彼女に衰弱と死が近付くであろうとは予想に容易い事実だったが、それはあえてアッシュは言わなかった。それは彼には関係無い事だ。

「そうか。ならば、良いが……そんな事情では、ベータ=マキーナはまだ家には帰れぬと言う事か」
「一人では、無理だな」

 高い魔力を持つ魔族を伴うのであれば、まだしも。
 その言葉に、マイラは腕を組んで何かを考え始めてしまった。
 アッシュは、何も言わないマイラをただ静かに眺める。少し手を動かし髪を撫でても全く気づかない彼女を。


「マイラさんっ!」
「マイロード!!」


 そして、部屋に飛び込んできたミーシア=ミオナとケーディ=トリニトスは、ロッキンチェアーの上でマイラを膝の上に捕まえている不審な男(ミーシア視線)と、魔王を押し倒している不審な女(ケーディ視線)を見つけ、ほぼ同時に卒倒しかけた……。
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