邂逅者 10

文字数 3,170文字

 目が覚めると、見知らぬ男が至近距離にいた。
 普段で考えれば即座に相手の脳天に銃口を押し付けるくらいには異常事態であったが、この時のマイラにはそれより何より意識を引かれたものがあった。

 そこにいる、男。

 目の前に居た男は見たことの無いくらいに秀麗な面立ちをしていて(ついさっきまでマイラの中の美形ランキングは先ほど遭遇した吸血貴族だったのだが、目の前の男を視界に入れた瞬間にその新着順位が入れ替わってしまったくらいの綺麗さなのだ)、その上同じ色など思い浮かばないくらいに澄んで輝く彼の青い髪と、同色の青い瞳は心臓が一瞬止まるかと思うくらいに特別な美しさだった。正直な所、一瞬では性別の判断すら二の次になるくらいの造作美を持つ相手である。従ってこの時のマイラが言葉を失ったのも仕方ない事だろう。
 だが、生まれてこの方己の容姿は見飽きるくらいに慣れ親しんで、ついでに美醜に関しては殆ど興味の無い(綺麗な見た目の存在なら生まれてからずっと周囲に溢れかえっていたので審美眼そのものは常人に比べ厳しい事を本人だけがわかっていない。ただ審査しようという気がないだけ、なのだ)彼からしてみれば、このとき彼女が自分を凝視してくる理由は全く分からなかった。
 ただ、誰何されたので一応名乗ったはいいものの、続く言葉は思い浮かばずに困惑するだけ。元より雄弁とは真逆の、言葉には不自由な方である。訊かれる前にあれこれ自ら喋る性質は持っていない。
 名前以外何も言おうとしない彼と、反射的に誰何したはいいものの相手の容姿に動揺していたマイラとの間にしばらく静寂が降りる。しかもその間、マイラはアッシュに抱きかかえられたまま、で。どちらかといえば座っている彼の上にマイラが乗っている形なので、彼女が移動するか彼が払い除けない限りずっとそのままでいることになる。しかし双方共にその行動に移る気配は無かった。

「此処は何処だ?」

 とりあえず、マイラが真っ白な頭からようやく引っ張り出してきた次の言葉はそんな陳腐なものだったけれど。

「俺の書斎だ」

 それに対して要点しか伝えられないアッシュのほうも困惑具合ではマイラといい勝負なので、とりあえず問題は無かった……いや、話が進まないという点では大きな問題が立ち塞がっていたが。しかし、いくら動転していても彼女を叩き落す事はしていない所に彼の現状に対する感情の全てが集約されているといっても過言ではないだろう。此処にタカトがいれば、「今日の夕飯は赤飯だな」などと魔王にとっては意味不明な事をのたまわったかもしれない。
 残念ながらそんな事実すら、本人並びにこれが彼に出会う最初である彼女に分かるわけが無く、ただこの異常と呼べる状況に対する認識が追いつくまで二人一緒に呆然としてしまったわけだ。
 声をかけたのと同じく、最初にどうにか正常な判断能力が追いついたのもマイラの方だった。とりあえず見知らぬ男の膝の上に乗ったままというのは非常に拙いのではないかと、齢相応の乙女心というより長く自分より年上の者達相手に渡り合ってきた常識として判断する。
 ……この時の彼女は目の前の存在が魔王などとは微塵も考えていなかった。彼女の中で吸血鬼というのは赤い瞳であるというのが当然の定義として成り立っていて、青い髪はともかくとして青い目のソレが(ダンピールであっても)存在しているなどとは完全に予想の範囲外だったからだ。これは彼女の思い込みというより、ハンターとしての経験の長さゆえの無意識の判断だった。

「すまぬ。何故私はそなたの上におるのだろうか?」

 一応、すぐ降りようと思ったが、それよりもこの状況に関する確認の方を先にしておいた方が良いかもしれないと思った彼女は青い髪の青年の上に乗ったまま、真正面そして存外至近距離からじっと彼の青い目を見て問いかけた。そんな彼女の仕草が相手にどんな感情を齎しているのかなど、ハンター業に関わる事以外では無知にも等しい上に元来鈍い彼女に判るはずもない。
 そしてアッシュの方といえば、ようやく目覚めて動き出した目の前の見知らぬ少女の問い掛けに、むしろそれは自分が知りたいことだと反射的に思う。
 普段から無口で、考えた事の半分も音にしない彼は今回もそれを言葉に乗せることは無かったが。それに、不思議と彼女が愚かにもそんな事を問いかけてくることは不快ではなかったし、むしろ無邪気に問う顔を見ていると少し困らせてみたいとすら考えてしまった。きょとんとしているこの顔が、困ればどのように変化するのかを知りたい。
 だから彼はすぐさま行動に移した。
 ひょいっと伸ばした彼の整った長い指がマイラの前髪に軽く触れて、艶やかなその毛をさらりと撫でた。伝わってきた感触に我知らず微笑むアッシュと、いきなりの事に吃驚して目を丸くして彼を凝視するマイラ。

 そう、困る前に少女は驚いていた。
 まるでノンノのような反応だ、と彼は思った。

 例えばこれがベータであれば間違いなく困り果てるのだろう。最近この城の住人の一人になった、先祖の影響を受けて青い髪になった彼女に対してこんな事をしたことは一度も無かったが、その想像が間違っているとは思わなかった。
 つまり、目の前に居る女はベータよりもノンノの方にずっと近い、という事なのだろう……外見はともかく、その本質は未だに大人になりきらない存在。
 よく言えば無垢、悪く言えば無知。

「イワツの魔法だ。覚えは無いか?」

 何となく笑ってしまうのは、それはそれで良いかと思ってしまったからかもしれない。
 自分の分かっている事実をただ伝えた。何によって彼女が此処に現れたのか、アッシュにとってそれを知ることは容易い。いや、知ろうとするまでもなく現れた瞬間から魔力の判別が可能である。それが一度でも会った事のある相手ならば当然、気づかぬ道理もない。しかしそれが分かった所で、彼女が「どうして」此処に現れたのかの説明にはならないし、そもそもイワツとの関係性そのものに最大の疑問が残る。
 あの一筋縄ではいかない奇怪な公爵が関わっているにしては、目の前の少女は歪み無く真っ直ぐな性根をしているように思えたから、余計に違和感があった。
 だが彼女にとっては何の不思議も無いらしい。彼がその名を出すと、思い当たる所があったのか直ぐに表情を引き締めた。

「そうか。それならばこちら側に非があるということだな。そなたを驚かせてしまった事、謝罪しよう」
「……別に問題は無い。それよりも何故、この城にやってきたのか聞かせて貰おう」

 重ね重ね言うが、マイラを膝の上に乗せたまま下ろそうとも、降りる事を促そうともしないでアッシュは問いかける。
 少し斜に構えているのは、同じくらいの位置にある彼女の顔が見やすくなるようにであるという事を本人、全く気づかないままであるが。普段は周りの騒がしい面々がどんなに面白おかしく(本人達にその気が無かろうとも)じゃれ合っていようと感情を見せることの殆ど無い青い瞳が、今は少し熱を含んだ様子で間近にある少女を映している。まだ最奥で燻るように、表面化することのないその熱はいつもの青に輝きを与えるかのようで。


 魔王の言葉にはっとして自分の使命を思い出すマイラ。
 此処には青の髪の少女を捜しに来た、のだ。


 ……青?


 そこまで考えて、マイラは目の前の男をまじまじと見る。綺麗な青の髪と、青の目。良く出来過ぎた造作のような、その姿。間近で見ても尚、美しさを損なわない姿。
 性別すら、見失いそうな。

「そなた、ベータ=マキーナか?」
「……何故そうなる」

 いきなり想像を絶するような質問を投げかけられた彼は、まじまじと自分を見てくる綺麗なヘイゼルの目の中に映る、呆れた顔をした自分の顔から目を逸らし、深い溜め息をついた。
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