青の城 2

文字数 2,835文字

「さて。可愛いお嬢さん方も見送った事だし」

 二人の少女が光に包まれて姿を消すのを男は驚く事も無く見送った。
 それも、小さな少女が使った魔法は彼が教えたものであり、根底は彼の魔力に依存して行使されているものなので当然だ。本来の魔法はあんな適当な言では発現しない。あれは、彼の英知と魔力の無駄遣いにより実現した高度な委託魔法だ。
 応用性には欠けるので、少女がああ言ったからには二人は間違いなく目標の目の前にたどり着いているだろう。目標が何をしていても。
 あの男はノンノが嫌がるようなことはしないし、何より周りに対する興味は薄い。見知らぬ少女が一緒にいても気にしない事だろう。態々始末する事も、させる事も無いだろう。可能性があるとすればあの髪の色に興味を持つくらいだが、それでも不快に思うとは考え辛い。確かに異質な魔力は感じたが、脅威になるほどではないし、脅威に感じても気にしないだろう。あれは、そういう男だ。
 とにかく、あの石頭の側近にさえ真っ先に見つからなければ問題ないんだよなぁ、と男は苦笑した。それでも石頭からは後で怒られるだろうけど、見捨てて後でノンノに泣かれるよりマシだ、と考えて。

「な、なんだ今のは!?」
「まさか、ヴァンパイアの眷属か?」
「いや、でも目は赤くなかったぞ」

 目の前で起こった怪現象についていけずに動揺し始める男たち。
 本来のヴァンパイアは赤い瞳が特徴だ。まるで血を連想させるその赤は、彼らが血を啜るからだとも言われている。ヴァンパイアに眷属にされたものも、種族を問わず瞳が赤く染まるのが通例だった。
 いなくなった少女達の瞳は青と緑。目の前にいる男は紫。
 彼らが混乱するのも無理は無い。
 人間でも魔法を使えるものは少ないが存在する。しかし、彼らの魔力と魔族の魔力では比較にならないほどの差異がある。少なくとも生身の人間では、あのような移動魔法を使用する事は不可能だ。

「これだから馬鹿な人間は嫌いなんだよなー」

 ため息をついて、態々相手に聞こえるように青年はぼやいた。

「これがまだお嬢さんなら可愛げもあるってもんだけど、こんな可愛さのかけらも無い野郎が頭まで悪いんじゃ、救いようが無いだろ。なぁ?」
「てめぇ、何言ってやがる」
「っのやろう」

 ひょいっと肩を竦めて言う男に、バカと公言された男達が殺気立つ。
 三対一。
 不利な状況であるにも拘らず、男から余裕の二文字は消えない。整った顔には皮肉っぽい微笑みが浮かんで、紫の瞳は詰め寄ってくる男達を冷酷に映していた。

「俺さ、今、機嫌が悪いんだよな。とりあえず逃げるんなら今のうち、っていうかお前さん達ってば馬鹿だからそんな事言っても通用しないんだろうけど、後で俺のお姫様に言い訳できるように一応忠告しておいてやるよ」

 明らかに挑発目的で吐かれる忠告に、血気だけは盛んな男達が耳を傾けるはずも無い。
 それぞれにナイフを持って、明らかな殺意を片手に青年に襲いかかる。

「やっぱなぁー」

 くす、と青年は笑った。

「もし相手が俺じゃなけりゃ、眷属の下っ端くらいには入れてもらえたかもしれんがね」

 血が、飛び散る。
 あっという間に肉塊と化し、生命としての器を失ってしまった男達を見下ろして青年は笑う。自らに掛かった返り血を片手で拭って、眺める。ふっと、紫の目が赤の斑を映した瞬間に眇められた。

「あ~、でも、お前さん達みたいな可愛くないのは誰もいらないかな?」

 ぺろり、と流れる液体をなめて、眉間に皺が寄る。

「不味い」





 青い光に包まれた次の瞬間に、二人の少女がいたのは湖岸の地面ではなく石の床だった。少し湿った冷たい石の床の感触にベータはぞくっと体を震わせて、そして自分の周囲を見回した。
 場所が変わっている。違和感は全くなかったからこそ、それはとても驚愕する出来事だった。驚きで声も出ないベータとは違い、小さな少女の方は慣れているらしくきょときょとと周囲を見て、現在地を確認する。
 いい匂いがしている。
 少し離れた所に見慣れた姿を見つけて、幼い少女は顔を輝かせた。

「あっちゃん、ただいまです!」

 丁寧な挨拶に対する返事は無いが、彼女が気にする事は無い。彼女、ノンノが此処で暮らし始めて以降、彼がそういう返事を返した事は一度も無かった。それを彼女の現在の保護者は「気にする必要は無いぞ。あいつ、気に入らない相手なら問答無用で追い出すだろうから。むしろノンノは気に入られた方だろうな」と言い切った。
 ノンノ自身も、彼からは敵意も何も感じないし、時折相手をしてくれたりするので悪い印象は無く、返事が無くても平気だった。返事こそ無いが、彼が意識を向けてくれている事は分かったから。

「どう思う?」

 今日は、返事の代わりに小皿を差し出された。
 その中には、湯気を立てたスープ。それを迷う事無く受け取ったノンノはこくりと飲み込んだ。

「おいしいのよ、あっちゃん!」
「そうか。しかし俺としては少し物足りない。タカトは?」
「あとからくるの。あ、これあっちゃんにって」
「あぁ。置いておけ」

 子供相手に真面目に語っていた青年が、ふと座り込んだままのベータの方を見た。その視線に射抜かれて青年の姿を改めて認識した。その瞬間にどきり、と彼女の心臓が大きく波打つ。
 彼が美しかったから、というわけではない。いや、その男は息を飲むほどに整った姿をしていたけれど、そんな事すら気づかないくらいの衝撃を、その時のベータは感じた。
 まるで真冬の蒼天のような深い青の髪。
 深海を思わせる青の瞳。
 同じなようで違う、だけど同じ青の髪と瞳をした男。
 そんな他人を初めて見たから。

「あ、あの、私」

 何を考えているか読み取れない、冷たい瞳に射抜かれてベータは何も言えなくなる。
 ふっと男は彼女から視線を外した。
 感じていた威圧感から解放されて、無意識にベータはほっと息をつく。
 すたすたと離れたその男は、しかし直ぐに戻ってきた。ノンノに渡した小皿に再びスープを満たして。

「どう思う?」
「え? えぇっ!?」
「あっちゃんはあじみをしてほしいのよ」

 ノンノの通訳によって、どうにか男の意図を解したベータは恐る恐る小皿を受け取って口を付ける。程よく冷まされたスープは火傷の心配も無く、するりと喉の奥に滑り込んでいく。

「美味しいです。あ、あの、でも、ほんの少しクリームを入れても美味しいと思います」
「ふむ。それもいいな」

 こちらに対しても大真面目に返事をして、男はまた離れていく。今度は戻ってこない。
 どうやら彼は料理をしている最中のようだった。

「あっちゃんはおりょうりすきなのー」

 にっこり笑ってノンノは言ったけれど、ベータは呆気にとられてそれどころではなかった。
 離れた所で、男は真剣な顔をしてクリームの入っているらしいボトルをほんの少し鍋に向かって傾けては、味見をするという作業を繰り返している。真剣なその横顔は、見知らぬ訪問者の事など気にしてない事を証明しているようだった。
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