邂逅者 1
文字数 3,740文字
やわらかな昼の光を跳ね返すのは、湖上に浮かぶ壮麗な城。
それが魔族の、しかも彼らを統べる実質世界最強の存在が住まうという場所だと一見しては判らない程に、それは美しく優しい静寂に満ちた中にあった。湖岸からそれを眺めるのは、二人の少女と一人の魔族。
片方は無表情に、片方は驚き魅入られたように彼女たちは城を見つめている。どちらも黒髪で、琥珀の目を持つ少女は髪を一つに縛り、青い瞳を持つ少女の方は腰までの長い黒髪の一部を赤いリボンでまとめている。二人の傍につき従うように控えるのは、白く裾の長い服を着たくねくね動く怪しい存在。
生き物の気配が殆ど無い、迷いの森とも呼ばれる魔の森を少女たちはこの魔族の案内により難なく抜けて、今此処にいる。人だけでは安全に動き回ることが難しいこの森の中も、魔族イワツがいるお陰で何の問題も無く湖岸まで辿り着いた。
本来なら魔族であるのだから魔族側につきそうなものだが、この自称「吸マクラ鬼なのです……イィィィィイイイッ!!」な正体不明の吸血鬼にとってハンターに加担することは特に問題無いらしい。
アディ=マイラの父と何らかの約束を交わして、現在マイラに付き従っているこの吸血鬼イワツに関して、昔から行動を共にしているマイラはもとより、一週間ほどしか付き合いの無いミーシア=ミオナも、今更どうとも思わなくなった。
理解出来なさすぎるその言動に慣れた、というか慣らされた、というのが正しいだろう。「要は、実害が無ければ問題ないのだ」というマイラの言葉にミオナも感化されたのかもしれない。
実際、イワツは妙な言動こそ絶えずとも敵意害意殺意の類は一瞬たりとも寄越さないし……そんなことより常時ブレることなく枕に夢中過ぎるので、ミオナの警戒心も続かなかった。
湖岸について間もなく、二人は干からびた数人の死骸と千切れた女物らしい衣類を発見した。
「マイラさん、これ…」
その死骸の無残な状態に思わず目を背けるミオナとは対照的に、マイラは冷静に骸の傍に膝をつくと調べ始める。少し死骸を検分した後、落ちていた女物らしい衣類の一部を手に取った。明らかに引きちぎられたらしいその欠片に、ふっと眉を顰める。
そこから導き出される自分の予想を語る前に、マイラは傍でクネクネと良く判らない動きをし続けている魔族のほうを振り返る。彼女が信頼を向ける数少ない存在に問いかけるために。
「イワツ、どう思う?」
「フフフフフ……これを殺したのは青の城にいる誰かでしょうねぇ。少しですが、魔法の残滓が感じられます。それ以前に、こんな殺し方は人間には無理でしょう」
「やはり、か。では、この服の持ち主はどうだ?」
マイラが差し出した服の欠片に、イワツは赤の目をすいっと眇めてぐにゃり、と体を捻る。
「見た限り死んだ形跡はナイですねぇぇぇ」
「では、やはり」
彼の言葉に応えたのは、ミオナ。腰に下げたデーモンキラーに手をやって、離れた場所に見えている青の城と呼ばれている古城を見遣った。
その中に魔王が住まうとはにわかに信じられない。
いっそ清浄で聖なる雰囲気すら感じさせるほどに美しいその城に、行くことがなければいいと来る途中でマイラは少しだけ呟いていたが、その思いも破られてしまったらしい。
彼らの仕業とは限らないが、手がかりが全くないのであれば、この辺を統括しているかの城の主に直接訊きにいくのが一番早いというのが此処に来るまでにマイラ達が最終決定した結論である。イワツから、魔力の高い吸血鬼なら、自分の暮らす場所の周囲で何かあれば否応無く気づくし、仮に気づいてなくても結界の傍の事なら魔法で時間を遡り調べることは容易いのだと教わったからでもある。
ハンターとして本来の仕事をしにいくわけではない。ただ、調査の一環として話を伺いに行くだけだ。
それでも、ハンター……しかもヴァンパイアハンターをしているマイラが相手から穏やかに迎え入れられるとは考えづらい。しかも、あちらは人を襲わぬとはいえ人から関わられるのをそれほど好まない性格らしい。穏やかに事を運ぶのはまず無理だろう、というのも二人の予測である。
「イワツ、そなたは此処で帰るがいい」
「ノォォォ! 何故ですか」
立ち上がったマイラの発言に、吐血して倒れるイワツ。
イワツはよく血を吐く。吸ってる様なんか見たことないが、吐いてる様なら毎日数回は見るほどに吐いている。
吸血鬼なのは間違いないらしいのに、そんなに血を無駄遣いして大丈夫なのかとミオナは最近こっそり思っている……怖くて問いかけられないが。
「あの中にいるのは、少なくとも貴族クラスの吸血鬼なのだろう。確かにこれまでそなたは私をよく助けてくれたが、今回は相手が相手だ。いくらそなたでも魔王に刃向かったなどと思われては無事で済まないだろう?」
魔族の頂点に立つ吸血鬼にも階級があるのはハンター達の中でも有名な事実だ。
それは家柄というよりも、純粋に力によって決定される格付けだと言われている。ただ、強い力は遺伝されやすいので強い一族というものも実際にいくつか存在し、現魔王の一族である青の一族もその一つだと言われている。
そして魔王の座に関しては純粋にその時代最強の吸血鬼が継ぐものである。
魔王が『ロード』と呼ばれるように、貴族と呼ばれる吸血鬼にも明確な位が存在している。
ハンターの中では知られた話だが男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵の順に位が上がり王に次ぐ地位とされる公爵位を持つ吸血鬼は今現在2人しか存在していない。長い歴史のなかで、その2人という数はずっと変っていないとも言われるが、それが事実なのか人であるマイラやミオナに判る訳もない。
ただ、基本知識として吸血貴族は普通の吸血鬼とは比べ物にならない力を持っていること、彼らを狩ることに成功したハンターは歴史上数少ないのは知っている。
どんなに被害が出ても、その相手が吸血貴族である場合にはハンターたちにすら対処が出来ないため、依頼が受けられることすら少ない。彼らは強大にして敵わない相手とハンターの中でも認識されているのだ。
魔王となれば如何程のものか。
それは明らかに、イワツを心配しての言葉。
「マイラさん……」
彼女にとってイワツとはそこまでの存在なのか……と、この世にも胡散臭い吸血鬼を前にミオナは感嘆したように呟いた。あるいは、これは純粋にマイラが優しいだけの事なのかも知れないが。
マイラのほうは真面目な顔をして続ける。
「我らだけなら、まだどうにでもなろう。いや、この際ミオナと一緒に私の帰りを待っていてもらっても良いだろう」
「マイラさんっ!?」
微笑ましく(相手が怪しさ爆発の奇怪生物だということはこの際目をつぶることにして)その様子を見守っていたミオナだが、話の雲行きがどうやら自分の望まない方向に行こうとし始めたのに気づくと慌てて声を上げた。
彼女は、もちろんついて行く気満々だったのだ。それをこんな白いクネクネと置いてゆかれてはミーシア家の恥。後輩への気遣いだろうと認めるわけにはいかない。
「待って下さい! 私は、貴方について行きますからねっ!?」
「しかし。私はそなたの兄からそなたを任されている身ゆえ、危険と判っている場所に連れて行くわけにはいかぬ……」
「なにを仰っているんです!! 私もミーシアに名を連ねるもの、この先ハンターとして生きてゆこうというのに、危険というそれだけで退いていて何が成せるというのです。私、絶対について行きますからね!」
怒りか、憤りか、情けなさか。
大きな青の瞳を心に渦巻く激しい感情で爛々と輝かせて、ミオナは驚いたように自分を凝視しているマイラに言い募る。
「でも」
「でももなにもありません。私、絶対に折れませんから!」
強情なまでに言い募るミオナにマイラは内心でひどく驚いていた。
いくらハンターといえど、真っ先に考えるのは自らの保身。明らかに危険な場所に赴こうという時に、相手を巻き込まないようにするのは何時ものこと。そして、相手がそれに応じてくれるのも何時ものことだったのだ。どんな人間でも、本音では危険なことに足を踏み入れたくないもの。だから、それに対してマイラが何か含みを持ったことは無かった。
だからまさかこの申し出を断られるとは思っていなかったのだ。それも、まだハンターになりたての少女に。
そして、そこに乱入してくる白い影。
「フフフフフ。私もミーシアの姫君と同じです」
「い、イワツ、そなたまで何を……」
マイラとしてはミオナのみならずイワツにまで反対されるとは思っていなかった。
この件についてはイワツこそ危険が大きいし、なにより彼は基本的にどんなことでもマイラの希望を優先してくれる魔族だったから。
「私もハンターの端くれとして此処で引くわけにはいかないのですよ。イワッツハンター!! エェ〜クセレンツっ」
「いや、そなたは吸血鬼であろうに」
「ノンノンノォン! 私は由緒正しきピローハンターなのです」
こんな真面目な話し合いにおいてすら何故か誇らしげに胸を張り、そう宣言したイワツに。
とりあえずマイラは話を元に戻すため、綺麗な弧を描きながらの回し蹴りを放っていた。
それが魔族の、しかも彼らを統べる実質世界最強の存在が住まうという場所だと一見しては判らない程に、それは美しく優しい静寂に満ちた中にあった。湖岸からそれを眺めるのは、二人の少女と一人の魔族。
片方は無表情に、片方は驚き魅入られたように彼女たちは城を見つめている。どちらも黒髪で、琥珀の目を持つ少女は髪を一つに縛り、青い瞳を持つ少女の方は腰までの長い黒髪の一部を赤いリボンでまとめている。二人の傍につき従うように控えるのは、白く裾の長い服を着たくねくね動く怪しい存在。
生き物の気配が殆ど無い、迷いの森とも呼ばれる魔の森を少女たちはこの魔族の案内により難なく抜けて、今此処にいる。人だけでは安全に動き回ることが難しいこの森の中も、魔族イワツがいるお陰で何の問題も無く湖岸まで辿り着いた。
本来なら魔族であるのだから魔族側につきそうなものだが、この自称「吸マクラ鬼なのです……イィィィィイイイッ!!」な正体不明の吸血鬼にとってハンターに加担することは特に問題無いらしい。
アディ=マイラの父と何らかの約束を交わして、現在マイラに付き従っているこの吸血鬼イワツに関して、昔から行動を共にしているマイラはもとより、一週間ほどしか付き合いの無いミーシア=ミオナも、今更どうとも思わなくなった。
理解出来なさすぎるその言動に慣れた、というか慣らされた、というのが正しいだろう。「要は、実害が無ければ問題ないのだ」というマイラの言葉にミオナも感化されたのかもしれない。
実際、イワツは妙な言動こそ絶えずとも敵意害意殺意の類は一瞬たりとも寄越さないし……そんなことより常時ブレることなく枕に夢中過ぎるので、ミオナの警戒心も続かなかった。
湖岸について間もなく、二人は干からびた数人の死骸と千切れた女物らしい衣類を発見した。
「マイラさん、これ…」
その死骸の無残な状態に思わず目を背けるミオナとは対照的に、マイラは冷静に骸の傍に膝をつくと調べ始める。少し死骸を検分した後、落ちていた女物らしい衣類の一部を手に取った。明らかに引きちぎられたらしいその欠片に、ふっと眉を顰める。
そこから導き出される自分の予想を語る前に、マイラは傍でクネクネと良く判らない動きをし続けている魔族のほうを振り返る。彼女が信頼を向ける数少ない存在に問いかけるために。
「イワツ、どう思う?」
「フフフフフ……これを殺したのは青の城にいる誰かでしょうねぇ。少しですが、魔法の残滓が感じられます。それ以前に、こんな殺し方は人間には無理でしょう」
「やはり、か。では、この服の持ち主はどうだ?」
マイラが差し出した服の欠片に、イワツは赤の目をすいっと眇めてぐにゃり、と体を捻る。
「見た限り死んだ形跡はナイですねぇぇぇ」
「では、やはり」
彼の言葉に応えたのは、ミオナ。腰に下げたデーモンキラーに手をやって、離れた場所に見えている青の城と呼ばれている古城を見遣った。
その中に魔王が住まうとはにわかに信じられない。
いっそ清浄で聖なる雰囲気すら感じさせるほどに美しいその城に、行くことがなければいいと来る途中でマイラは少しだけ呟いていたが、その思いも破られてしまったらしい。
彼らの仕業とは限らないが、手がかりが全くないのであれば、この辺を統括しているかの城の主に直接訊きにいくのが一番早いというのが此処に来るまでにマイラ達が最終決定した結論である。イワツから、魔力の高い吸血鬼なら、自分の暮らす場所の周囲で何かあれば否応無く気づくし、仮に気づいてなくても結界の傍の事なら魔法で時間を遡り調べることは容易いのだと教わったからでもある。
ハンターとして本来の仕事をしにいくわけではない。ただ、調査の一環として話を伺いに行くだけだ。
それでも、ハンター……しかもヴァンパイアハンターをしているマイラが相手から穏やかに迎え入れられるとは考えづらい。しかも、あちらは人を襲わぬとはいえ人から関わられるのをそれほど好まない性格らしい。穏やかに事を運ぶのはまず無理だろう、というのも二人の予測である。
「イワツ、そなたは此処で帰るがいい」
「ノォォォ! 何故ですか」
立ち上がったマイラの発言に、吐血して倒れるイワツ。
イワツはよく血を吐く。吸ってる様なんか見たことないが、吐いてる様なら毎日数回は見るほどに吐いている。
吸血鬼なのは間違いないらしいのに、そんなに血を無駄遣いして大丈夫なのかとミオナは最近こっそり思っている……怖くて問いかけられないが。
「あの中にいるのは、少なくとも貴族クラスの吸血鬼なのだろう。確かにこれまでそなたは私をよく助けてくれたが、今回は相手が相手だ。いくらそなたでも魔王に刃向かったなどと思われては無事で済まないだろう?」
魔族の頂点に立つ吸血鬼にも階級があるのはハンター達の中でも有名な事実だ。
それは家柄というよりも、純粋に力によって決定される格付けだと言われている。ただ、強い力は遺伝されやすいので強い一族というものも実際にいくつか存在し、現魔王の一族である青の一族もその一つだと言われている。
そして魔王の座に関しては純粋にその時代最強の吸血鬼が継ぐものである。
魔王が『ロード』と呼ばれるように、貴族と呼ばれる吸血鬼にも明確な位が存在している。
ハンターの中では知られた話だが男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵の順に位が上がり王に次ぐ地位とされる公爵位を持つ吸血鬼は今現在2人しか存在していない。長い歴史のなかで、その2人という数はずっと変っていないとも言われるが、それが事実なのか人であるマイラやミオナに判る訳もない。
ただ、基本知識として吸血貴族は普通の吸血鬼とは比べ物にならない力を持っていること、彼らを狩ることに成功したハンターは歴史上数少ないのは知っている。
どんなに被害が出ても、その相手が吸血貴族である場合にはハンターたちにすら対処が出来ないため、依頼が受けられることすら少ない。彼らは強大にして敵わない相手とハンターの中でも認識されているのだ。
魔王となれば如何程のものか。
それは明らかに、イワツを心配しての言葉。
「マイラさん……」
彼女にとってイワツとはそこまでの存在なのか……と、この世にも胡散臭い吸血鬼を前にミオナは感嘆したように呟いた。あるいは、これは純粋にマイラが優しいだけの事なのかも知れないが。
マイラのほうは真面目な顔をして続ける。
「我らだけなら、まだどうにでもなろう。いや、この際ミオナと一緒に私の帰りを待っていてもらっても良いだろう」
「マイラさんっ!?」
微笑ましく(相手が怪しさ爆発の奇怪生物だということはこの際目をつぶることにして)その様子を見守っていたミオナだが、話の雲行きがどうやら自分の望まない方向に行こうとし始めたのに気づくと慌てて声を上げた。
彼女は、もちろんついて行く気満々だったのだ。それをこんな白いクネクネと置いてゆかれてはミーシア家の恥。後輩への気遣いだろうと認めるわけにはいかない。
「待って下さい! 私は、貴方について行きますからねっ!?」
「しかし。私はそなたの兄からそなたを任されている身ゆえ、危険と判っている場所に連れて行くわけにはいかぬ……」
「なにを仰っているんです!! 私もミーシアに名を連ねるもの、この先ハンターとして生きてゆこうというのに、危険というそれだけで退いていて何が成せるというのです。私、絶対について行きますからね!」
怒りか、憤りか、情けなさか。
大きな青の瞳を心に渦巻く激しい感情で爛々と輝かせて、ミオナは驚いたように自分を凝視しているマイラに言い募る。
「でも」
「でももなにもありません。私、絶対に折れませんから!」
強情なまでに言い募るミオナにマイラは内心でひどく驚いていた。
いくらハンターといえど、真っ先に考えるのは自らの保身。明らかに危険な場所に赴こうという時に、相手を巻き込まないようにするのは何時ものこと。そして、相手がそれに応じてくれるのも何時ものことだったのだ。どんな人間でも、本音では危険なことに足を踏み入れたくないもの。だから、それに対してマイラが何か含みを持ったことは無かった。
だからまさかこの申し出を断られるとは思っていなかったのだ。それも、まだハンターになりたての少女に。
そして、そこに乱入してくる白い影。
「フフフフフ。私もミーシアの姫君と同じです」
「い、イワツ、そなたまで何を……」
マイラとしてはミオナのみならずイワツにまで反対されるとは思っていなかった。
この件についてはイワツこそ危険が大きいし、なにより彼は基本的にどんなことでもマイラの希望を優先してくれる魔族だったから。
「私もハンターの端くれとして此処で引くわけにはいかないのですよ。イワッツハンター!! エェ〜クセレンツっ」
「いや、そなたは吸血鬼であろうに」
「ノンノンノォン! 私は由緒正しきピローハンターなのです」
こんな真面目な話し合いにおいてすら何故か誇らしげに胸を張り、そう宣言したイワツに。
とりあえずマイラは話を元に戻すため、綺麗な弧を描きながらの回し蹴りを放っていた。