戦乙女 1

文字数 2,815文字

 かの一族は邪を払う為に存在する。
 古き神々との盟約により、類稀なる聖なる力と戦う為の力を与えられしもの。連綿と続いたその系譜の中で、彼らは常に人の側に立ちその力を振るってきた。
 一族の名を、ミーシア。
 血こそ長き時の中で薄れたものの、彼らの力は未だ無くならない。神々より与えられたその武器もまた、彼らの手により今も振るわれ人の世を守り続けている。古き神々を知る者たちにとっては有名な、しかし世俗の人にとっては知る事の無いその一族から、また新しい力が生まれようとしていた。



 本来ならば、15になると同時に行われるはずの事だった。
 それが17まで伸ばされたのは、自らの鍛練不足のせいだとミーシア=ミオナは信じて疑っていなかった。実際は彼女の過保護な兄による画策であるとも知らず。
 ミーシアの家に生まれた子どもは男女を問わず15になれば成人とされ世に送り出される定めにある。それは遥か昔から繰り返されてきた事であり、魔族に対する人側の守護者としての役割を彼らは担っていた。それはミオナも解っていたし、むしろ自ら進んで己が力を人の為に振るいたいと強く願ってさえいたのだ。しかし、彼女は15になっても世に出ることを許されず、17の今日に至るまで家での鍛練を課せられてしまった。
 明日はようやく世に出ることを許される日。
 身支度を整えて、ミオナは唯一の武器になるであろう刀、『デーモンキラー』を傍らに持ってきた。ミーシアの家に代々伝わるその刀は、魔族に……特に魔族で最も強い吸血鬼に対して有効な武器だ。神々の力が込められているその刀は、あまりに力が強すぎてミーシアの中でも選ばれた者にしか使えない。今現在、それを使えるのはミオナだけだった。
 穏やかな顔で刀を見つめる彼女は、誰に訊いても美しいと呼ばれるだけの容姿を持っている。長い黒髪は腰まであるにもかかわらず毛先まで艶やかに光って、肌は滑らかにして陶磁のような美しい白さを持ち、大きな瞳は湖面のような青。ミーシアでさえなければ、刀を振るって戦うなどまず無かったであろう美しい少女だが、『デーモンキラー』を見つめるその目に一点の陰りも見当たらない。
 ミオナは、ずっとこの日を待っていたのだ。
 ミーシアの家に生まれたからには戦う事こそ己の定めと思いこそすれ、戦わないで済む生活に満足など覚えたことは一度も無かったから。
 いつもいつも、兄や父を見送り、そして出迎えるばかり。己の無力に苛まれ、いつかは必ず、とひたすら鍛練を続けてきた。その努力が明日、結ばれるのだ。そう思うと心が浮き立つ。
 戦う事しか出来ない自分を必要とされたい。
 その欲求は、日増しに募るばかりだったから。

「ミオナ」
「……お兄様」

 すい、と彼女の部屋の扉が開いて、ミオナの兄が顔を出す。
 彼女に似た顔立ちは、それでも男性的特長を併せ持つが故に秀麗にして繊細な造作を作り上げていた。さらりとした黒髪も美しい、まさに美丈夫といって差し支えない彼とミオナが街を歩けば、これ以上無いほどに注目を集める。
 そういう視線には鈍感なミオナは気づかないが、彼女の兄はミオナに向けられる視線にだけは敏感に反応して牽制するという完全な兄馬鹿であった。ただし、己に向けられる視線には一切気づいてないあたりはそっくりな兄妹なのかもしれない。彼にとってミオナは何より大切な妹なのである。歳が離れているのもあってか幼い頃からベタ可愛がり、今でも目の中に入れても痛くないほどの愛しみ様。ミオナもお陰ですっかり無自覚なブラコンになっている。
 兄の姿に顔を綻ばせたミオナの表情の変化に、兄の方も嬉しそうに微笑む。
 一族の決まりとはいえ、こんな可愛らしい妹を一人で外に送り出し、あまつさえ魔族に対峙させるなどやっぱり出来ないと彼は思う。
 先に、多くの魔族と対峙してきた彼は知っている。
 魔族は、高位になればなるほどに美しいものに執着を示し易い。吸血鬼にいたっては、殆どのものが美しい容姿を持っているからなのか、美しいものに対してその触手を伸ばす輩は少なくないのだ。ミオナの得手が『デーモンキラー』であり、彼女の性格から考えれば吸血鬼との対峙は避けられないだろう。そんな妹を世に出すのは不安で、2年も先延ばしにさせてしまった。
 しかし、もう無理だ。一族の定めも、ミオナの意思もある。明日には彼女を一人立ちさせなければならない。

「話があるんだ」
「はい」

 だから、その為に自分が出来ること。
 彼は真面目な顔をしてミオナの前に腰を下ろし、そんな兄の態度にミオナも表情を引き締めて座りなおす。

「明日、ミオナは一人立ちしなければならない」
「はい。わかっています」
「その事なのだが、僕の知り合いのハンターの一人に、ミオナを頼む事にした。しばらくはその人の元について、経験を積んで欲しい」
「そんな…っ!? 私、一人でも出来ます!!」

 既に決めてきた事を告げると、途端に表情を険しくするミオナ。
 その反応は予想済みだった。ミオナにとっては2年先送りされた事だけでも不満だっただろうに、その上一人立ちと言いながら他の者についていけと言われれば自分の力を蔑ろにされたと思っても仕方ない。本来、ミーシアの一人立ちは独りで行われるもの。彼女の性格なら、2年も延ばされた自分なら尚更そうあるべきだと思うだろう。
 だが、彼はとにかく彼女を一人で世に出す事が不安なのだ。
 力を疑うわけではない。ミオナの力は、一族の中でもかなり上位に位置するだろう。それでも、魔族は常に狡猾にして強かだ。真っ直ぐな気性の彼女が何処まで太刀打ちできるのか、は不安が残る。
 しかも、世に出る限り不安は魔族だけではない。同じ人間も、敵になりうるのだ。世間知らずな妹が何処の馬鹿に騙されてしまうかもしれないと思うと、彼は気が気でなかった。
 ……そんな世間知らずに育ってしまった責任の一端は自分にある、という事は棚上げして。

「解ってくれ、ミオナ。ミオナはミーシアの宝だ。何かあってからでは遅い」
「でも…」
「しばらくの間だけだ。そうして経験を積んでから、思うままに動いても遅くは無い」
「お兄様」
「それに、ミオナを頼んだハンターは若年ではあるが名の通ったヴァンパイアハンターだ。経験を積む為に適切な人選をした自信があるよ。『デーモンキラー』は特に吸血鬼に対して有効な武器だ。だけど、奴等は何も知らず対峙するには危険すぎる存在でもある。経験を積んでおいた方がいい」

 真剣に語る兄の姿に、ミオナはそれ以上何も言えなくなる。
 いつも、彼はミオナのためを思ってくれているのを彼女も解っているからこそ、多少理不尽を感じる事があっても最後は何も言えなくなってしまうのだった。
 結局今回も兄に押し切られてしまうのだろうと解ってしまい、ミオナは小さな溜息をついた。
 こうして彼女の一人立ちは、事実上一人でのそれでは無くなってしまったのだった。
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