邂逅者 2
文字数 3,349文字
2
ほぼ勢いのみでイワツを回し蹴りで大地に帰したマイラだが、今にも城へ特攻をかけそうな年上の後輩に対してどう言えばいいものか判らなくて、困惑する。
そうでなくても、彼女は同年代の同性の扱いには全く慣れていなかった。ハンターになる前も、そしてなった後も、周りにいたのは常に自分よりも遥かに歳が上の者たちばかり。しかもその殆どが気を抜けば出し抜かれる、そんな緊張感抜きには向き合えない相手だった。
結果的に年上の、含むところのある相手を煙に巻くのは得意になったが、今目の前にいるような真っ直ぐな気性を持つ同年代の存在を、真剣に自分を見据えてくる相手を、どうやって言い含めればいいのかという知識は一切ない。しかもミオナは名声や財宝を欲しがっているわけでもなく、ただ真剣に一人で向かわせるわけには行かないのだと全身で訴えてきているのだ。
でも、彼女の兄がミオナを預けてきた理由も理解している。
だからこそ、ここで素直にミオナの申し出に頷くことができない。
「私、どう言われようとついて行きますから」
真剣に言う姿からは、意志を曲げないという決意が伝わってくる。
そう言って貰えるのは嬉しいけれど、此処で何か起こってミーシアの家に顔向けできないような事になるのも困る。敵を作るのは怖くないのだ……ただ、あのミオナを何より慈しんでいる家族を悲しませたくないだけで。
それすらも、自分の勝手な意思なのだとマイラは内心嗤う。誰も傷ついて欲しくない、泣いて欲しくないなどと偉そうなことを言ったところでそれは、結局自分がソレを見たくないだけなのだ。それを見て、己が無力感に苛まれたくないだけ。身勝手で、我が侭な望みだ。
こんな風に、他意も無く真っ直ぐに思うままに振る舞うなど、もう出来ない。
出会って一週間程しかない中でも、ミオナのそんな部分に惹かれているマイラは、この申し出を無下に出来そうもなかった。
思わず漏れたため息を、どう考えたのかミオナは悲しそうな顔をしてじいっとマイラの言葉を待っている。蹴倒されたままのイワツも、クネクネしながら何も言わずに二人を見守っていた。
「……危険、なのだぞ?」
「わかっております」
「何かあったとき、そなたの兄にどう言えば良いのだ?」
「……兄だって、ハンターをしているのです。きっと判ってくれます」
どうしても、この意思を曲げるつもりは無いと強い目でマイラを見るミオナ。その青の瞳には一点の曇りも無く、逃げることも許さないと言っているかのようだった。
色々な者と対峙してきて、どんな相手にもそうそう遅れを取らないという自信があるマイラであったが、その目には勝てないと思った。どこかで、彼女は自分とよく似ていると思ったからこそ、その気持ちを蔑ろにしたくないとも思ったのだ。
だから、諦めたように肩を竦めてミオナを見た。
「そなたは、強情だな」
「兄にもよく言われましたわ」
楽しそうににっこりと笑うミオナの顔に、益々毒気を抜かれてマイラはため息をもう一度零した。彼女には一生勝てそうに無いと、心のどこかで諦めに近い確信が生まれる。
柔らかな陽の光を静かに跳ね返す湖面と白亜の城を背負い凛と立つミーシアの少女は、まるでこの世の美しいもの全てを集めたかのような鮮やかさだった。穢れを知らないというのはきっとこういうことなのだろうと、その姿を見て眩しいとマイラは思った。
だが、そんなマイラをイワツが眩しそうに見ている。
彼からしてみれば二人とも眩しい存在なのだということを、本人たちだけが知らない。眩しいほどに、光っている本人たちは己の価値を知らないことが多い。
「仕方ない。だが、何かあればそなたを思うものが悲しむのだということは忘れるな……無理は、許さぬ」
「承知しました」
「イワツも、だ」
マイラがまだ血の海の上に倒れたままの、知己の間柄にある吸血鬼に目を向けると彼はうねうねと奇怪な、しかしいつも通りの動きをしている。
見上げてくる赤の瞳は、怪しい笑い顔の奥に真剣なものを隠していた。
「わかったか?」
「フフフフフ……私はふゥじみィなのでェェェェす!!」
いつも懐に隠しているマクラを大仰な仕草で取り出して嗅ぐイワツを、マイラとミオナは呆れたように見下ろした。わざとなのかいつも通りなのか、こんな場所に来てまでもイワツは心配する方が馬鹿馬鹿しくなるような言動だ。
マイラですら真面目に答えろ、とつい言いたくなる。
今更この吸血鬼の妙な行動に対して本気で何か言おうという気は全くないが、かといって彼の発言を鵜呑みにするわけでもない。
「そなたが普通でないのはよく判っておる。だが、それとこれとは話が別だろう。そなたも危険を感じたら直ぐにここから離れるがいい……我が父との盟約も、己の命を捨ててまで護るべきものではなかろう」
だから、マイラは今度は踏みつけることもなく真っ直ぐに彼を見て言い含めるように続けた。
彼女にとっては彼も失いたくない大事な存在なのだと、言葉は無くても目で語るマイラに、厚化粧の白粉の下で嬉しそうにイワツがうっすらと微笑んだ。
この少女は知らない。イワツもこの先、教える気はない。
盟約のことを除いても、この命を捨てても後悔はないだろうという程に彼が目の前の少女に傾倒しているのだということを。遥か昔に、向こうに見える城の主が同じように見返りも無く人間を護り…最終的にはその命まで終わりに付き従ったという出来事があったが、今現在その吸血鬼の気持ちを最も理解できるのは自分だろうとイワツは思っている。己が命まで従うかは別としても、そうしても構わないと思えるほどの心がある。
愛でも恋でもない。言い表す言葉など無用で無粋に思えるほどの強い執着。
…………当の吸血鬼が聞いたら「冗談ではないわ、この奇怪生物がぁっ!!」と怒って使い魔の竜をけしかけてきそうだが。
「仰せのままに、我が姫君」
大嘘つきな道化師は、主を見上げてにたりと笑って返事を返す。
彼は、彼女を悲しませないためならどんな嘘でも突き通す稀代の従者でもあったから。
同時に彼は嘘を現実にする演出家でもある。
見たくない未来を回避するために注ぎ込める力を持っている。確定した未来をもねじ曲げるようなそれを。
「ところでマイラさん、あの城までどのようにして行くおつもりですか?」
話が終わったところで、ミオナは遠くに聳える青の城を振り返って、今更のような疑問を問いかける。
かの城の持ち主は人外である。従って、その出入りも人の法則など当てはまらないのだろう。周囲には、城に行くための船や橋など見当たらなかったし、城の外観にも入れるような場所は見当たらない。
マイラも彼女と同じように城の方を見て、腕を組む。
「そうだな……それが問題であろう。やはり彼らは魔法で移動しておるのだろうか?」
「フフフ、ここはイワーッツマジィックにお任せをぉぉぉぉっ!!」
復活、とばかりにぐにゃりと体を曲げる独特の起き上がり方でイワツが血の海から立ち上がる。もちろん、彼の真っ白な服には血の一滴もついていない。
そこで、ミオナはようやくごくごく初歩的な疑問に思い至った。今まではイワツの奇怪さですっかり誤魔化されていたが…
「イワツさんは、ホンモノの吸血鬼なんですよね?」
「ノンノン、イワッツは吸マクラ鬼ィィィっ!!」
「どうして、こんな昼間に出歩けるんですか? お辛くはないのですか?」
本来の吸血鬼は、陽の光の下に晒されると尋常でない苦痛に苛まれるらしい。ゆえに彼らは昼間は地中奥深くに棺桶を埋め、そこで休んでいる。吸血貴族などはそれでもどうにか動けないこともないらしいし、結界を張れば昼間も問題なく動けるらしいが。その結界も、魔力が高く、知識の深い者でないと使えない超高等魔術というのが定説だ。
よってミオナの疑問はごく当然のものであったが。
「ぐはぁぁぁっ!!」
盛大に吐血して、また倒れてしまうイワツ。
困ったように自分を見てくるミオナに、マイラは諦めたように頭を振った。
「それは私も昔から気になっているが……こやつ曰く、『世界の謎』だそうだ」
「……はぁ」
改めて、こんな存在を信じていいのかという根本的疑問が頭を掠めた少女二人だった。
ほぼ勢いのみでイワツを回し蹴りで大地に帰したマイラだが、今にも城へ特攻をかけそうな年上の後輩に対してどう言えばいいものか判らなくて、困惑する。
そうでなくても、彼女は同年代の同性の扱いには全く慣れていなかった。ハンターになる前も、そしてなった後も、周りにいたのは常に自分よりも遥かに歳が上の者たちばかり。しかもその殆どが気を抜けば出し抜かれる、そんな緊張感抜きには向き合えない相手だった。
結果的に年上の、含むところのある相手を煙に巻くのは得意になったが、今目の前にいるような真っ直ぐな気性を持つ同年代の存在を、真剣に自分を見据えてくる相手を、どうやって言い含めればいいのかという知識は一切ない。しかもミオナは名声や財宝を欲しがっているわけでもなく、ただ真剣に一人で向かわせるわけには行かないのだと全身で訴えてきているのだ。
でも、彼女の兄がミオナを預けてきた理由も理解している。
だからこそ、ここで素直にミオナの申し出に頷くことができない。
「私、どう言われようとついて行きますから」
真剣に言う姿からは、意志を曲げないという決意が伝わってくる。
そう言って貰えるのは嬉しいけれど、此処で何か起こってミーシアの家に顔向けできないような事になるのも困る。敵を作るのは怖くないのだ……ただ、あのミオナを何より慈しんでいる家族を悲しませたくないだけで。
それすらも、自分の勝手な意思なのだとマイラは内心嗤う。誰も傷ついて欲しくない、泣いて欲しくないなどと偉そうなことを言ったところでそれは、結局自分がソレを見たくないだけなのだ。それを見て、己が無力感に苛まれたくないだけ。身勝手で、我が侭な望みだ。
こんな風に、他意も無く真っ直ぐに思うままに振る舞うなど、もう出来ない。
出会って一週間程しかない中でも、ミオナのそんな部分に惹かれているマイラは、この申し出を無下に出来そうもなかった。
思わず漏れたため息を、どう考えたのかミオナは悲しそうな顔をしてじいっとマイラの言葉を待っている。蹴倒されたままのイワツも、クネクネしながら何も言わずに二人を見守っていた。
「……危険、なのだぞ?」
「わかっております」
「何かあったとき、そなたの兄にどう言えば良いのだ?」
「……兄だって、ハンターをしているのです。きっと判ってくれます」
どうしても、この意思を曲げるつもりは無いと強い目でマイラを見るミオナ。その青の瞳には一点の曇りも無く、逃げることも許さないと言っているかのようだった。
色々な者と対峙してきて、どんな相手にもそうそう遅れを取らないという自信があるマイラであったが、その目には勝てないと思った。どこかで、彼女は自分とよく似ていると思ったからこそ、その気持ちを蔑ろにしたくないとも思ったのだ。
だから、諦めたように肩を竦めてミオナを見た。
「そなたは、強情だな」
「兄にもよく言われましたわ」
楽しそうににっこりと笑うミオナの顔に、益々毒気を抜かれてマイラはため息をもう一度零した。彼女には一生勝てそうに無いと、心のどこかで諦めに近い確信が生まれる。
柔らかな陽の光を静かに跳ね返す湖面と白亜の城を背負い凛と立つミーシアの少女は、まるでこの世の美しいもの全てを集めたかのような鮮やかさだった。穢れを知らないというのはきっとこういうことなのだろうと、その姿を見て眩しいとマイラは思った。
だが、そんなマイラをイワツが眩しそうに見ている。
彼からしてみれば二人とも眩しい存在なのだということを、本人たちだけが知らない。眩しいほどに、光っている本人たちは己の価値を知らないことが多い。
「仕方ない。だが、何かあればそなたを思うものが悲しむのだということは忘れるな……無理は、許さぬ」
「承知しました」
「イワツも、だ」
マイラがまだ血の海の上に倒れたままの、知己の間柄にある吸血鬼に目を向けると彼はうねうねと奇怪な、しかしいつも通りの動きをしている。
見上げてくる赤の瞳は、怪しい笑い顔の奥に真剣なものを隠していた。
「わかったか?」
「フフフフフ……私はふゥじみィなのでェェェェす!!」
いつも懐に隠しているマクラを大仰な仕草で取り出して嗅ぐイワツを、マイラとミオナは呆れたように見下ろした。わざとなのかいつも通りなのか、こんな場所に来てまでもイワツは心配する方が馬鹿馬鹿しくなるような言動だ。
マイラですら真面目に答えろ、とつい言いたくなる。
今更この吸血鬼の妙な行動に対して本気で何か言おうという気は全くないが、かといって彼の発言を鵜呑みにするわけでもない。
「そなたが普通でないのはよく判っておる。だが、それとこれとは話が別だろう。そなたも危険を感じたら直ぐにここから離れるがいい……我が父との盟約も、己の命を捨ててまで護るべきものではなかろう」
だから、マイラは今度は踏みつけることもなく真っ直ぐに彼を見て言い含めるように続けた。
彼女にとっては彼も失いたくない大事な存在なのだと、言葉は無くても目で語るマイラに、厚化粧の白粉の下で嬉しそうにイワツがうっすらと微笑んだ。
この少女は知らない。イワツもこの先、教える気はない。
盟約のことを除いても、この命を捨てても後悔はないだろうという程に彼が目の前の少女に傾倒しているのだということを。遥か昔に、向こうに見える城の主が同じように見返りも無く人間を護り…最終的にはその命まで終わりに付き従ったという出来事があったが、今現在その吸血鬼の気持ちを最も理解できるのは自分だろうとイワツは思っている。己が命まで従うかは別としても、そうしても構わないと思えるほどの心がある。
愛でも恋でもない。言い表す言葉など無用で無粋に思えるほどの強い執着。
…………当の吸血鬼が聞いたら「冗談ではないわ、この奇怪生物がぁっ!!」と怒って使い魔の竜をけしかけてきそうだが。
「仰せのままに、我が姫君」
大嘘つきな道化師は、主を見上げてにたりと笑って返事を返す。
彼は、彼女を悲しませないためならどんな嘘でも突き通す稀代の従者でもあったから。
同時に彼は嘘を現実にする演出家でもある。
見たくない未来を回避するために注ぎ込める力を持っている。確定した未来をもねじ曲げるようなそれを。
「ところでマイラさん、あの城までどのようにして行くおつもりですか?」
話が終わったところで、ミオナは遠くに聳える青の城を振り返って、今更のような疑問を問いかける。
かの城の持ち主は人外である。従って、その出入りも人の法則など当てはまらないのだろう。周囲には、城に行くための船や橋など見当たらなかったし、城の外観にも入れるような場所は見当たらない。
マイラも彼女と同じように城の方を見て、腕を組む。
「そうだな……それが問題であろう。やはり彼らは魔法で移動しておるのだろうか?」
「フフフ、ここはイワーッツマジィックにお任せをぉぉぉぉっ!!」
復活、とばかりにぐにゃりと体を曲げる独特の起き上がり方でイワツが血の海から立ち上がる。もちろん、彼の真っ白な服には血の一滴もついていない。
そこで、ミオナはようやくごくごく初歩的な疑問に思い至った。今まではイワツの奇怪さですっかり誤魔化されていたが…
「イワツさんは、ホンモノの吸血鬼なんですよね?」
「ノンノン、イワッツは吸マクラ鬼ィィィっ!!」
「どうして、こんな昼間に出歩けるんですか? お辛くはないのですか?」
本来の吸血鬼は、陽の光の下に晒されると尋常でない苦痛に苛まれるらしい。ゆえに彼らは昼間は地中奥深くに棺桶を埋め、そこで休んでいる。吸血貴族などはそれでもどうにか動けないこともないらしいし、結界を張れば昼間も問題なく動けるらしいが。その結界も、魔力が高く、知識の深い者でないと使えない超高等魔術というのが定説だ。
よってミオナの疑問はごく当然のものであったが。
「ぐはぁぁぁっ!!」
盛大に吐血して、また倒れてしまうイワツ。
困ったように自分を見てくるミオナに、マイラは諦めたように頭を振った。
「それは私も昔から気になっているが……こやつ曰く、『世界の謎』だそうだ」
「……はぁ」
改めて、こんな存在を信じていいのかという根本的疑問が頭を掠めた少女二人だった。