邂逅者 13【本編 了】

文字数 5,776文字

 ある晴れた日。
 アディ=マイラと、ミーシア=ミオナ、そしてイワツ公爵が青の城に訪問(実際にそのような穏やかな単語で終了する邂逅をしたのは当のアディ=マイラとアッシュ=ハーツだけであったが)してから三日後に、マイラはハンターとしての依頼終了報告をする為にある場所に訪れていた。
 彼女の後ろには、長い青の髪を綺麗なおさげにした眼鏡の少女が付いて歩いている。
 もう少しでベータの生まれ故郷でもある小さな集落へと繋がる小道を、二人はゆったりと歩いていた。周囲には収穫を終えたらしい広い畑が何処までも広がり、はるか向こうで地平線を作っている。見渡す限りで言えば、二人の他に人影は見えなかった。
 アディ=マイラは、今回の仕事の主目的であった所のベータ=マキーナを、彼女の帰りを待つ家族の元へと送り届けている最中だ。ただし、これはベータ=マキーナ本人の体調および意思を汲み取り、完全な帰郷ではなく一次的な帰宅という形である。一次的な外出であれど、既に生まれ持った魔力によって相当体に負担が積もっている彼女を何の対策もなく外に出すのはあまり薦められたものではなかったが、そこはマイラの忠実な僕であるイワツが二つ返事で(これまでイワツがマイラの願いを叶えない事は一度も無かったが)了承した。
 強大な魔力の元にあれば人の内にある魔力の負荷は相殺され、体に掛かる負担は殆ど無くなる。よって、イワツ程の魔族が力を貸せば一次的なら城の外で動く事も出来なくはないと。それがこの現象に詳しいタカトの説明だった。

 基本的に魔族が人の前に立てばどんな鈍い人間であっても脅威を感じ取る。それは人に備わった本能のようなものだ。
 更に普通の魔族は通常自身の魔力を隠すという術を必要とせず、その意味も感じない。ケーディなど、その最たる例だろう。けれど人間は魔力が巨大であればある程、はっきり自覚は無くともより敏感に感じ取る。その為、人間の中で魔族を連れ歩くなど本来恐慌を巻き起こす事間違いない所業なのだが、長年マイラの良き従者を務めているイワツには、魔の気配を完全に隠せるという高位魔族にあるまじき技まで習得済みである。
 その為、この役目はイワツ以上に適任はいなかった。
 見える範囲で姿がなくともそばにさえいれば体調の悪化は防ぐことができる。要は普段通りにイワツが何処かに潜んでいれば済むだけだ。
 その他の候補とすれば、同様のことが可能なタカト=グッチーセ公爵(たまにノンノと遊びに行く事、また本来の彼自身の特殊性故に、魔の気配の隠蔽は習得済み)がいたが、これはミーシア=ミオナの「お二人のような可憐な方が狼と御一緒など駄目ですっ!!」という強硬な反対にあい断念せざるをえなかった。

 これに対し当のタカトは「イワツ以下の信頼度……」と涙していたのだが、事の次第を聞いてしまった後では、まぁ自業自得であるとアディ=マイラなどは思っていた。

「タカトさん、大丈夫でしょうか……」

 今頃、そのミーシア=ミオナに必死で言い寄っているだろう公爵の姿を思い浮かべながらベータ=マキーナがぽつりと呟く。彼女の両手には布を被った大きなバケットが抱えられていた。その中には魔王謹製のお菓子セットが詰まっている。
 魔王に関しては、気配の隠蔽を行えない事は無かったが、ダンピールという特性の弊害かイワツやタカトのような完全なそれを行使する事は出来ないらしく、今回の同行に関しては対象外だった。ある条件下では可能なようだが(その条件を魔王は言わず、タカトなども苦笑いで誤摩化した)丁度その時は、その条件に必要な存在が外出中で無理だったらしい。
 その「条件」が、長毛の大きな猫(一応神様)だと知っていれば、アディ=マイラは恐らく多少の無理を言っても魔王に同行を頼んだ事だろう。
 尚、お菓子セットは、久しぶりに家に帰るベータ=マキーナが家族に心配をかけた事を非常に悔いて悩んでいた所を、見かねたアディ=マイラが何か土産でも持たせるべきかと悩んでいた所、何故かアッシュ=ハーツが黙って用意してくれた。味に関しては疑いようもないが、よもや魔王が作ったものと知れればどんなにベータの家族は驚くだろう。

 ……イワツも何故かマクラ(ベータ家の人数分)を用意してくれたが、これはその場でマイラにより却下されている。
 さすがにマイラも、イワツの経緯までベータへ伝えるつもりは無かった。
 人の良いベータでは折角だからと枕を受け取ってしまいかねない。

「大丈夫であろう。ノンノがついておる」

 どんな事があっても、あの子であれば止めてくれるだろうとアディ=マイラは思う。
 本当はミーシア=ミオナも今日一緒に付いてくると言っていたのだが、ノンノの「みんないないのは、すこしさびしいの」の言葉に絆され城に残る事にしたようだ。それに「あのようなケダモノをノンノさんと一緒にしておくのは心配です」とも彼女は言っていた。一応タカト=グッチーセはノンノの保護者であるのだが……今の彼女には、自分のされた不埒な行いのショックがまだ抜け切っていない。極論も仕方ないと誰もが納得していた。
 むしろ、そこで内に籠らない所にマイラはミオナの強さを見た気がしたくらいだ。
 タカト=グッチーセがしてしまった事は、既に誰もが知っている。
 それは女性としては決して許せる行為ではなかった為にノンノを筆頭にマイラやベータにまでこんこんと責められ、アッシュにまで「愚か者」と言われ、タカトはすっかり参っている。

「そうですね」
「だが、出来るだけ早めに帰る方が良いかもしれぬな」
「はい」

 思案顔でそう言ったマイラに、マキーナはふわりと微笑んで頷いた。
 そう、帰る場所なのだと、マイラは思う。
 あの青の城の中、今現在、怒り冷めやらぬ戦乙女と、平謝りの吸血公爵と、その養女と、無関心な魔王と、その忠実な僕がそれぞれ過ごしているのだろう。これからしばらくはマイラも、マキーナも、同じくその城の住人となる。期間は不明だ。
 少なくともマイラは、ベータが無事に体調を戻し人間の中で過ごせるようになるまでは、ハンターとしての仕事はこなしつつも城の主人から許される限り同居しようと思っている。もし追い出されたらイワツにどうにかさせるしかないが、今の所そんな気配は全くない。

 ベータ=マキーナは、今後表向きは、ある貴族の屋敷で奉公に上がるという事にする予定だった。
 魔の森で暴漢に襲われていた所を助けてもらった縁、という事実に基づく形だ。直ぐに家族に報告が出来なかったのは、最近までベータが襲われたショックで寝込んでいたという形にしようと、既に打ち合わせも済んでいる。
 前に奉公に上がっていた屋敷での彼女の扱いは既にマイラや家族の詳しく知る所であるし、次の「奉公先」に関してはマイラが保証するという形で押し切ろうという算段だ。ただ、明らかに元気で朗らかなマキーナの様子を見れば、あの家族なら強い反対はしないだろうとマイナは踏んでいる。
 誤魔化すからには体裁は整えないとならない。一番の問題は奉公先でもらう給金。マキーナの家族の生活が苦しい事はマイラも分かっていたから、仕送りが無くなるのは宜しくない。だからその為の金銭は己がハンター仕事で得る報酬を当てようとしたのだが、それはベータ=マキーナ本人に反対されてしまった。そこまで迷惑をかける訳にはいかないと、彼女は強固に首を縦に振らない。
 しかし、何も送らぬままで家族は大丈夫なのかと言えば、そうでもない。
 さてどうするかと思案していた時、その話を聞きつけたタカト=グッチーセが一枚噛もうと申し出てきた。出された提案は「ノンノの世話係」と「家事」という2つの役目。青の城においては長くタカトのみでこなしていたものらしい。大家族の長女としては最も慣れている仕事内容にマキーナは迷わず頷いていた。
 そして今は、一般的な形式に則った契約書も交わし、立派にタカト公爵に雇われている。

「すまぬな。そなただけでも数日泊まって行っても良いのだぞ? イワツの方には私が言っておく故、気にする事など無い」

 久々の家族との対面に、募る話もある筈だとマイラは思う。
 彼女自身は家族という存在に縁が薄かったが、以前に会ったベータの家族の様子から考えれば、ベータ=マキーナという少女がどれだけ大事にされてきたかという事は容易に分かるし、それと同じくらいマキーナも家族を大事にしているだろう事が、こうやって向かう道すがらの様子でまざまざと分かるのだ。
 イワツは、マイラが命じれば逆らわない。
 それは従属というよりも、マイラ自身の中で絶対の事項だった。だからマキーナにそう言えば、青の髪をふるふると揺らして頭を横に振る。

「いいえ。大丈夫です。私と、皆は、離れていても家族ですから」

 だから、今が不幸でないという事を伝えれば、きっと安心してまた送り出してくれます。また何時でも会えますから。

 そう言って笑う彼女と、家族の絆をマイラは少しだけ羨ましいと思った。
 彼女にとって家族とは、遥か昔に居なくなった父親と、それに入れ替わるように付き従うようになったイワツくらいしか浮かばない。ただし、どちらもベータの家族のような繋がりは持たない。
 普通の家族、というものに少し憧れが無い訳でもないのだ。
 だが表情には出さなかった。無い物ねだりは意味が無いとマイラは思う。

「マイラさんは、しばらく青の城にお住まいになるのですよね?」
「あぁ。そなたを放ってもおけぬし、ミーシアを連れて仕事をする上で落ち着ける場所は欲しかったしな。アッシュには了承を得ている」

 青の城の住人を疑っている訳ではない。
 アッシュ=ハーツは間違いなくベータには手を出さないだろうし(過去の人とはいえ、吸血鬼は同族の息のかかった相手に手を出すなど意識的に有り得ないらしい。これはイワツにも確認した)、タカト=グッチーセはミーシア=ミオナに対してはともかく、ベータに対しては害は無いだろう。ノンノはいわずもがな、ケーディはアッシュ=ハーツを敬愛する限り、縁を持つベータには手出し出来ない。ミーシアに関しては、ノンノが常に一緒にいると言うので、まぁ問題ないだろう。

 初対面から数日後。状況が落ち着き先のことを考えた際、青の城でベータは恐らく安全だろうと分かってはいるが、年頃の少女を城の中に一人残すのも不便が多かろうと意見を述べたマイラに、同席していたミーシア=ミオナは一も二もなく同意した。曰く「あんなケダモノの居る場所にあの方を残しておけません!」らしい。
 かといって弱ったベータにとって青の城以上に最適な場所も無いのは分かっている。
 青の城を去りイワツに助けてもらうにしても、その場合はイワツの協力しか当てにはならない。この城ならば条件次第で少なくとも他に二名の高位魔族の協力が期待出来るのだ。ベータの為に選択肢は多い方がいい。
 ならば、自分達が城に住まえば良いとマイラが言えば、ミーシアは不承不承だが頷いた。

 そこまで考えているアディ=マイラは、自分自身に関しては全く考慮外である事に気づいていない。アディ家の末っ子は、長年イワツにかしずかれてきた弊害及び性格で、自分の事に関して非常に疎く育っている。

 滞在について相談した際、アッシュ=ハーツは反対しなかったし、タカトとノンノは喜んだ。ケーディはアッシュが賛成した時点で意見が決まっている。忠実なしもべが、魔王に反論などある筈もない。
 よってマイラ達の青の城逗留も決定した。
 それを知った時の、ベータの嬉しそうな顔をマイラは忘れない。そして今も目の前で同じような顔をしている。
 マイラが、ベータやミーシアに勝てないと思うのはこんな時だった。

「嬉しいです。タカトさん達にも親切にしてもらってますが、それでも、マイラさんたちがいらっしゃる方が、もっと嬉しいです。ありがとうございます」
「礼を言われるような事はしておらぬ」

 ふいっと顔を背けて言うのは、只の照れ隠しだった。
 マイラ自身、頬が赤くなっているのを感じる。

「それよりもそなたは、自分の体の方を気遣うが良い。今は大丈夫か?」
「はい。マイラさんとイワツさんのお陰で、体が軽いです」
「ならば、良い」

 呟いて、マイラは前方を見る。
 ようやく小さな集落の姿が道の先に見え始めていた。









 その頃、青の城では。

「う~~~」
「鬱陶しい。唸るなら他所にいけ」

 愛しの少女にすっかり警戒されて近寄る事も許されず、心の癒しの養女まで奪われて、意気消沈著しい公爵が、魔王が読書する書斎にやってきて部屋の隅で唸っていた。しばらくは放置していたアッシュ=ハーツだったが、そのカビでも生えそうな陰気さに耐えかねて声をかける。
 部屋の隅、青のクッションを抱えて唸っていたタカトは、魔王の言葉にようやく顔を上げたが。

「いっそ、記憶を奪ってしまえば…」
「術でイワツに勝てる自信があるならな。それにそういう問題ではなかろう」
「わぁってるよ!!」

 思わず呟いた戯事に真顔で魔王に返され、更に撃沈した。
 一応貴族としては同格であるタカトとイワツであるが、年齢の差と得体の知れなさを含め、タカトもイワツに勝てる自信は全く持てなかった。最悪玉砕覚悟でも出し抜けるかは怪しい。それほどに差がある。
 何しろ相手はタカトが吸血鬼として顕れた頃、もう既に魔王に次ぐ貴族だった。何もなければ何処までも存在し続ける魔族にとって、長い年月を経て存在し続けているのは圧倒的な力の証以外のなにものでもない。同列の爵位であっても、知識や経験、単純な魔力量すら、拮抗などしないほど差がある。
 それに、そんな事をしても意味が無い事を、よく分かっているのだ。欲しいのはそのままの彼女なのだから。
 こんなに後悔したのは生まれて初めてだ、とタカトは泣きそうな気分のままでクッションをぺし、と叩いた。
 それに対し、アッシュ=ハーツは少しだけ声を和らげて言う。

「まぁ、時間はあるのだから、精々頑張るんだな」
「……あっちゃん冷たい~」
「お前だけじゃないからな」
「へ? 何か言ったか?」

 微かな魔王の呟きは、自分の事でいっぱいいっぱいの公爵の耳までは届かなかった。

「何でも無い。この不逞の輩が」
「……」
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