戦乙女 2

文字数 2,933文字

 旅立ちの朝はいつも通りに流れた時間の果てに訪れた。
 何も変わらない。ただ、その季節を示すかのように鮮やかに透明な青に染まった綺麗な空が、輝く白を所々に纏って何処までも広がっている。それは、そんな朝だった。いつか見たような、それでいて一度も見た記憶がないようなそんな空を見上げてミーシア=ミオナはふわりと微笑んだ。
 今日、彼女は生まれ育ったこの家を出て広い世界に歩き出す。

 ただし、一人ではない旅立ちになってしまったけれど。

 ほんの少しだけミオナはそう考えて、そして整った美しい顔を曇らせる。空と同じ色をした青の瞳が、眩しい雲を見上げてすいっと眇められた。
 仕方ない……彼女が兄の自分に対する思いやりを無碍に出来るくらいならこんな歳までこの家に留まっていないだろう。いつもいつも、彼女の事を一番に考えてくれている優しい兄の意向に、その兄以上に優しいミオナが逆らえるはずも無く。
 今日、この家に兄が頼んだというハンターがやってくる。
 せめてイイヒトであればいい。
 そんなことを思いながら、ミオナは大きく伸びをした。

「ミオナ。先方がいらっしゃったよ」
「はい、お兄様」

 音も無く後ろに来ていた兄が突然掛けた声にも驚くことなく、素直に返事をして少女は長い髪を揺らして踵を返した。



 それは優しい朝。
 いつもと変わらず時間が流れる、穏やかな朝。
 だが、この後彼女は自分の運命を変える最初の出会いを果たす事になる。




 ミオナの兄が頼んだというハンターは、屋敷に上がれという兄の勧めも断って玄関先で彼女が出てくるのを待っているという事だった。依頼を既に引き受けた後なので、先を急いでいるという事らしい。仕事を優先するその姿勢は好ましいものだったので、ミオナは期待を膨らませながらいそいそと玄関先へ向かう。
 ずっと前からいつでも旅立てるように身支度は整えてきたから、今更迷う事もなければ相手を待たせるほど手間取る事も無い。
 足早に玄関に現れたミオナだったが、そこに居た者を視界に入れたその時に表情を凍らせその場に立ち竦んだ。
 黒髪を一つに縛っている、印象的な大きな琥珀の瞳を強く輝かせている……明らかに自分よりも年下の、背の低い華奢な少女。板間の玄関先に腰を下ろして、現れたミオナを何の感情も篭らない目で静かに見上げた。その強い視線にまるで射抜かれたかのような錯覚を感じて、意図的にミオナは己も視線を投げ返す。此処で負けたくは無かった。
 しばらく見つめあう、二人の少女。
 その沈黙を破ったのは、ミオナから少し遅れてやってきた彼女の兄。

「お待たせして申し訳ない」
「……いや、気にする事は無い」

 丁寧な、しかし砕けた態度で応対するミオナの兄に対して、その少女は感情を見せない堅い表情でそれだけを伝える。ミオナも言葉遣いがおかしいとよく言われるほうなのだけれど(それは年齢にしては丁寧すぎる話し方を指摘しているだけで、悪い意味での発言ではない)、その少女の話し方はそのミオナをもってしても珍しいと思わせるものだった。
 硬直したままのミオナにも気づかないのか、それとも気にしないのか二人は彼女を挟んだままの位置で話し続ける。

「この子が、先日お話した僕の妹のミオナです」
「そうか。そなたが自慢するだけある美しい娘だな。確かにそれではそなたも一人立ちについては不安が多々あろう」
「お恥ずかしい限りです。僕にとってはたった一人の大切な妹ですから。ご迷惑をおかけしますが、どうかしばらくミオナを宜しくお願いします」
「あぁ。我が名にかけて引き受けよう」

 頷く姿は横柄にも見えた。
 ミオナと比べてすら年下に見える少女が、ミオナと歳の離れた兄に対してそういう態度をするのは見た目だけで言えば非常に失礼にあたる行為の様にも見える。しかし、普段礼儀作法に煩い兄は少女の態度には慣れているのか、不快そうな風でもなくにこやかに話をしていた。
 話についていけないのは、ミオナただ一人。

「あ、あの、お兄様……?」

 頭に真っ先に浮かんだのは、まさか、という単語。
 ここにいるはずなのは、兄が呼んだミオナよりも先輩のハンターに当たる者のはずで。
 そこにいるのは、明らかにミオナより歳下で華奢な少女で。
 真っ青な顔になった妹に対して、彼女と似た顔立ちの青年は爽やかな笑顔と共に、その肩にぽんと手を置いて空いた方の手で目の前に居る年下の少女を示す。

「紹介しよう。彼女は、僕が何度か一緒に仕事をした事もある有能なヴァンパイアハンターの、アディ=マイラさんだ。ミオナはこれからしばらく彼女と……」
「そんな!! だって、明らかにこの方、私よりも年下で」

 悲鳴のようなミオナの言葉に、兄も……そして少女の方も、苦笑に似た表情をする。
 常に弱者の位置に置かれている人間であるが、魔族に対するハンターは数多い。だがその中でも魔族の中でも最高位にある吸血鬼をハント出来る者は他のハンターとは一線を画す位置に置かれる。よって有名な者になれば、ただのハンターではなくヴァンパイアハンターと呼ばれる。
 兄の言葉を疑うわけではない。しかし、彼女がその数少ないヴァンパイアハンターであるとは俄かに信じ難くもある。

「そなたは確か17であったか? 確かに、私より2つほど年上だな」
「15!?」

 ミオナの言葉に気分を害した風でもなく、肩を竦めて何気なく呟いた少女の言葉にさらに驚くミオナ。
 15といえば確かにミーシアの家でも通常一人立ちが出来る歳として世に出される年齢であるが、その歳でヴァンパイアハンターと呼称されるまでに名が売れるなど、一体どうなっているのか想像もつかない。
 余程の大物をハントしたか、あるいは相当な数をハントしてきたのか。
 そのどちらにしても、15の少女が成すには信じられない偉業だ。

「ミオナ。アディさんは13の時からハンターとして暮らしている方だ。私も、吸血鬼絡みの依頼が入ったときは彼女に応援を頼む事が多いんだよ」
「誰とでも組むわけではないが……そなたの弓の腕は信頼に値する」
「お褒めに頂き、光栄ですよ」
「そのそなたが自慢する妹なら、充分信頼に値するだろう。得手は、確か刀であったか……?」
「えぇ。我が家の宝刀『デーモンキラー』です」
「そうか。まさにミーシアの宝玉なのだな、そなたの妹は」

 これといった武装をしているわけでもないように見えるその、年下の娘が数少ないヴァンパイアハンター。
 眩暈すらしてきそうになるその事実に、ミオナは頭を抱える。

 そんな彼女を少女…アディ=マイラは穏やかな、しかし何処か自嘲を含んだ目で見ている。
 マイラにとってはミオナのような態度は珍しいものでもなんでもなく(むしろそういう態度の者の方が大多数で)もう慣れてしまっていた。放っておけば妹自慢が始ってしまう兄の方も、もう慣れてしまった。
 ただ、親しい兄弟も親族も既にこの世に無い彼女にとって、兄妹の睦まじさが少しだけ羨ましかった…ただそれだけで。



 そうして、二人の少女は出会った。
 戦う為に生まれた青の瞳の少女と、自ら戦う事を選んだ琥珀の瞳の少女。
 その始まりこそ違えど、その進む道は戦わずに済まない険しい道であることに変わらない……ように、見えた。
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