邂逅者 5

文字数 3,717文字

 ケーディ全力のツッコミに、ようやく彼の存在を思い出したとでもいうように、ゆるりと彼の方を振り返るイワツ。貼り付けられたかのような笑みと対照的に、真紅の目は全く笑っていない。
 己に対し警戒すらしない、この世で二人いる公爵のうちの片方に彼は今更戦慄する。

 タカトとイワツ。

 長い間変わる事無く続いている二人の公爵。倒される事も死ぬ事も無く、彼らは王に次ぐ最高の地位を認められ続けている。吸血鬼でありながらその弱点が失われて久しい異色の存在であるタカトはその性格の為か公の場に登場することも多く、知らぬものはいない有名人だ。そしてイワツも同じく有名であったが、その理由はタカトとはまったく違っていた。

 ユーグディ=イワツ公爵。タカトが生まれた頃には既に貴族であったと言われる彼は、吸血鬼たちの中ですら同じ種でありながらも謎の多い存在として恐れられていた。貴族の中でも、魔王の次に恐るべき存在として考えられている程の存在。
 タカトと違って、イワツの行動意図は分かり辛い。考えている事となると、尚更だ。しかも、敵対するものに対しては容赦なく力を振るう。一応表向きは何事も温和に解決を図ろうとするタカトと比べれば、イワツは話が通じないタイプであり非常に厄介で危険な相手だと認知されているのだ。それはもはや触らぬイワツに祟りなし、というレベルである。
 そして魔法に関する能力はタカトを凌ぐかもしれない…となると、ケーディが相手をするには荷の重い相手。

 一見へろへろしてくねくねして妄言を並べているだけの怪しい、吸血鬼とも思いたくないような存在であったとしても、やはり彼は公爵。青の城の結界の中に容易く入り込めるだけの、力の持ち主。

「……イワツ、公爵」

 分からないのは、何故それだけの存在が人間などに呼び捨てにされているのかという事。
 人間を連れて、この城の中にやってきたのかという事。

「フフフフフ。どうしましたケーディマクラ伯爵ゥゥゥゥ?」
「だから誰がマクラ伯爵だぁぁぁぁっ!!」

 へろっと長い舌を出しながら掛けられた言葉に、反射的に返してしまうケーディ。タカトとの日頃の掛け合いは彼の未知の才能を開花させてしまっていたらしい。今では、突っ込む余地のある言葉に対しては無意識に言葉が先に出てしまう悲しい性になってしまったようだ。
 元から才能はあったのだろうが、よもやこんな所で自覚する羽目になろうとは……と叫んだ直後から冷や汗が止まらない歳若い吸血貴族。
 だが、相手も一筋縄ではいかない吸血公爵。
 ケーディの言葉に気を悪くすることもなかったらしい。白い服をバサバサと翻しながらくねくね動いて、ケーディを見ながらニヤリと笑う。

「今更何を恥ずかしがるのです。さぁ貴方も一緒に素晴らしきマクラロードを歩むのですよタイガァァァァ!!」
「誰が歩くかそんなロードをっ!! っていうかそのタイガーとは何だタイガーとはっ」
「それはもちろん貴方のコードネームですよ。カモンタイガー、ピロー協会へ! その才能を眠らすのはあまりに惜しいでしょう! オウ、イィィィィィィィイイイィィッ!! エクセレントォォ」
「その名で呼ぶなぁぁぁぁっ!!」




 そう叫ぶ頃には、ケーディの頭の中から目の前の相手が、同属にすら恐れられる謎の多い吸血貴族であることなど、すっかり消し飛んでいただろう。彼のいいところは、良くも悪くも一直線で余所見の出来ない所なのだ。
 部屋の中の掛け合いは外にまで届いていた。
 すっかり相手のペース(というにはあまりにも意味のない掛け合いのように思えたが)に嵌ってしまっている城の同居人の様子に、部屋の中を隠れて窺っているもう一人の公爵が苦笑いしながら頭を抱えたことなどケーディが知る由も無い。それが狙いなのかどうかは分からなかったが、若き伯爵は目の前の相手にすっかり血が上ってしまい、冷静な判断が下せなくなってしまったらしいなと呆れながら、タカトはまだ様子を見守る。
 この遊びのような言い合いが長々成立するという事は、イワツの方には積極的な攻撃の意思は無いのだろうとタカトは判断したのだ。

 それよりも彼が気になって仕方なかったのは、長い黒髪に赤いリボンの少女。

 二人の吸血貴族の喧嘩(のようなもの)を、呆れたように見守っている人間の女。良く見れば、大きな目の中にある瞳は澄んだ青空の色。アッシュともベータとも違うその色は、タカトの心を妙にざわつかせる。その目が、自分に向けられていない事が何故か腹立たしい。
 隠れているのだから、それが理不尽な希望であると分かっている。それでも、どうしても。

 そんな気分は初めてだった。
 あの目を自分に向けさせたいと、その為には今のあの状況がどうにかなってくれないと介入することも出来やしない……と。

 この状況がいつまで続くかと見守るタカトは、その少女(もう一人の少女は彼の頭の中からすっかり除外されてしまっている)のことばかり頭にまわり、何故彼らがこの城の中に居るのかという疑問をすっかり忘れているのだった。




 何処までも続くかのような不毛な掛け合いを止めたのは、タカトの脳内からすっかり姿を消していたそのもう一人の人間の女だった。
 腕組みをして彼らを見守っていたマイラだったが、いつまで経っても終わりそうに無い二人の話に痺れを切らして無愛想な表情で声を掛ける。

「イワツ。同属との触れ合いも良いし、楽しそうなのも良いが、そなた我らが何の為に此処に訪問したのか忘れておらぬか?」
「オウ、そうでしたイワ〜ツ失敗ィィィ」
「……いつもより機嫌がいいな。やはり同属と話せるのは楽しいものか?」

 冗談はよしてくれ、と他の吸血鬼たちが声を揃えて言い返しそうな事を問いかけるマイラを、イワツは楽しそうに、ケーディは新種の生物でも見つけたかのような顔で見る。

「ノンノンノォォォ! これは我ら麗しきピロー協会に新たなる若人が増えたからこその喜びなのですよ、我が姫君」

 その言葉に驚いた魔族が、二人。

「いつの間に私がその忌まわしき集団の仲間にされているのだぁぁぁっ!?」

(……姫君、だと? あのイワツが、人間を!? どうなってんだ、あいつらの関係は)

 驚くポイントは悲しいくらいに違っていたが、驚きのレベルでいえば二人は同じくらいだった。
 目を見開いてそれぞれが見守る中、その混乱の当事者(と言うよりむしろ元凶と言うべきだろう)である白く長い上着を着た異色の吸血鬼は大袈裟なお辞儀をマイラに向かってしてみせた。

「それでは、当初の目的の為にこのイワツ、尽力いたしましょう」
「あぁ、頼む」

 イワツに対して、その小柄でありながら横柄な態度を一切崩さない少女が緩やかな仕草で頷く。
 ありえない光景が続く……それに驚愕する間もなく、全身に駆け巡った恐怖にも似た戦慄にタカトは体中に鳥肌が立ったような気がした。
 さっきまで完全に気配を殺し、その赤い眼さえなければ人間に思われても仕方ないような状態であったイワツが全身から彼本来の魔力を余すことなく放出したのだ。世界に二人しかない公爵の、その何の躊躇いも無い本来の力の放出はそれだけで城の結界を揺るがすほどの威力を持っている。
 これでタカトや、魔王であるアッシュと本気でぶつかるような事があればさすがにこの城の結界も吹き飛ぶだろうと簡単に予測できて、タカトの背中にも冷や汗が流れる。

 そんな未来は防がなければならない。
 今、この城にいるベータや……ノンノの為にも。

 咄嗟に介入しようとしたタカトは、イワツの赤い眼が自分に向けられている事に気づいて動きが止まる。

 気づかれていた。
 きっと、最初から。

「フフフフフ……此処はやはり適材適所といきましょう」

 タカトを見ながらにやりと笑うイワツ。
 嫌な予感に、動きを奪われたまま彼は息を呑む。
 そして身構える時間もなくイワツの声が聞こえた。

「偉大なるマクラ魔法!! カモン、ブリザァァァァドオブマクラ!!」

 無い!
 そんな魔法は聞いた事ないぞ、おい!!

 そう叫ぼうとしたタカトだったが……イワツが叫んだ直後に忽然と周囲に現れた大量のマクラ(しかも何故か表現に尽し難い凄い匂いである)に、言葉を失う。それこそ、部屋中を飲み込まんばかりの大量のマクラは、どんな用途があるのかは知らないがイワツが召喚したものだろう。
 これがマクラが無駄に溢れかえるだけなら実害は無いに等しい(匂いは除いて)。
 だが、タカトにはこのマクラの一つ一つが、さらに大掛かりな魔法の媒体として使われている事に気づいた。この短時間に、此処まで緻密で繊細な魔法を行使する事が出来るのかと、さすがのタカトでも辟易するほどの出来の魔法だ。しかも具体的にどんな効果を望んで用いられたのかも分からないときた。

「く……っ!!」

 舌打ちをして、せめてもと防御魔法を使おうとした彼の耳に、微かにイワツの声が聞こえてきた……

「適材適所ォォォォォォ♪」

 何を考えてるんだ、あいつはぁぁぁぁっ!!

 その言葉に気をとられ、気づいたときには手遅れになっていた。彼も、そして部屋の中にいた全ての者達もその魔法に巻き込まれる。
 否応無く。
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