第41話 映画を見る「ポセイドンアドベンチャー」

文字数 891文字


戦後最大の大量殺傷事件の公判が始まった

弁護側は心神喪失での減刑を求めている。
判決が下されるまではそのストレスの大きさはとてつもないであろう。
犯人には一片の同情も無いが、周囲を巻き込んで憂さを晴らそうとする人間は、別の新たな軽蔑をする。
担当弁護士、加害者家族へ良心の呵責も無く嫌がらせをする人間、罵倒する人間をすでに多く見ている。
罪状を認めている以上加害者当人への怒りは当然である。
だが、怒りはコントロール出来なければ加害者と同じである。

わたしは怒るよりも陰鬱な気分になる。
もう何をやっても被害者は帰ってこない。
残りの人生を失われた一人一人の人生と向き合い、怒りを行動に移したことを最後に刻んでくれと願う以上のことは無い。
渾身のアイデアを盗まれたというのは、創作者は誰にでも思い当たるであろう。
ここまで生きてきた経験と人間性が、次に怒りを覚えたときに、抑えられるだろうかという自問自答が続く。

映画を見る「ポセイドンアドベンチャー」

往年の名画を再見した。
主人公(ジーン・ハックマン)が破門された牧師という設定で、文字通り迷える子羊を導く役を担っている。
脱出を妨げる危機を「神の御技」と解釈して物語進行するがクライマックスで「……」というのがこの映画の核になる部分なので、未見の方は是非見て欲しい。

なにがしかのピンチに遭遇したときにどういった行動を取るかを、映画は繰り返し描かれている。
映画はフィクションなので道徳性を発揮して英雄となることが多いが、実社会となると生存優先で浅ましくなる時すらもある。

生命生存に固執するのが人間であるならば、非生存性 反対の力を持つのが職務である。
犯罪が発生すれば駆けつける警官、火事になれば危機の間近に迫る消防士、自分の神経をすり減らしてでも介護を続ける人たち。 
社会性の発揮というのは、おおよそ職務に由来することが多い。

では退職したら職務から解き放たれて、社会性はどうでも良いのだろうか。
職務に代替するのが道徳心であるのだが、道徳心を維持するのも大変なことだと感じている。

人はかくあるべきかを理想論であれ 描く映画は好ましい。

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