第1話 昔のサントラ

文字数 1,734文字

日記を書こうと思ったのには、いくつか理由があった。
そのうちの大きなものが「動物学的にヒトを考える」という考え方である。

人間はこの世におぎゃあと生まれた時には、大脳には何もインプットされていない原初的な生き物である。これが親ないし親代わりの忍耐強い我慢によって言葉でコミュニケーションを持てるようになり、やがて他人と接することで社会的な生き物になっていくのである。
原則として労働力を対価として賃金を得て衣食住を得る。
これには感情を表に出さないほうが都合良かったりする、腹が立ってもやんわりと応対した方が、その場でけんかにならず、ナイフないし鋭利な物で刺されたり鈍器のようなもので殴られたり、バールで滅多打ちにされるリスクは減るので感情は抑え気味にしたほうが生き残りやすい。
生存のための社会性を獲得しても、感情、人間の内心性は残っている。
わたしも個人事業主として働いているので、日中は言葉少なくあくまでビジネス的に受け答えをする。 そういった社会性のある自分を知る他人には、わたしの内心がどういった人間であるかは知らないし知るつもりも無いだろうが、言語化すればこれこのように普段からいろいろと考えているのが分かるであろう。

日記とは怒り悲しみ恋心を吐露するものもあれば備忘録記録的なものまで様々ある。
内心の言葉を書き付けることで、「社会性」と「内心性」は必ずしも一緒である必要が無いことを考えている。 社会性がこなせていれば内心に踏み込んだりする必要は無い。
「人間とは社会的な生存性と、感情的な内心性を有する」
これを証明するために、無口で話し下手なわたしが日記を描くことで内心を知らしめたい。いまこれを読んでいるあなたは、50代男の内心を共有する旅に出るのである。
それはすぐそばに居る人間かもしれないことお忘れ無く。


「昔のサントラ」
 アマゾンさんからお荷物ついた、今日のお荷物中身はなあに?
などと童謡風に歌いながら、玄関に置きっぱなしのアマゾンパッケージを回収し封を破る。
中身は買うか買うまいか悩んだサントラCDボックス。
4枚組で1万8千円となかなかにお高い CDの出始めの頃は3500円が相場で徐々に安くなっていったが、配信主流、CDのリアル店舗減少中の令和世の中においてはこの値段設定もさもありなんと諦める。
サントラと言えば渋谷のサントラ専門店SUMIYAを思い出す、
若くして亡くなった尾崎豊が過ごしたビルの一角が店舗前であったと随分後で知る、駅から5分ほどの大きな道路を渡ったビルにあるSUMIYAである。
そのSUMIYAに田舎から上京して遠路はるばる買いに行ったと思えば1万8千円などタダ同然と言えないことも無い。
BOXに入っているのは「タワーリングインフェルノ(2枚組)」「ポセイドンアドベンチャー」「大地震」のジョン・ウィリアムス作曲の3作品。
この「タワーリングインフェルノ」のオープニングタイトルにかかる曲のために購入したと言っても過言では無い。
空撮ヘリのバックで流される高揚感あふれる曲だが、本編とは関係ないのでTV放送では真っ先にカットされるためTV放送でしか見たことが無いと知らない曲になる。
ジョン・ウィリアムスと言えばジョーズ、スターウォーズ、スーパーマン、レイダースと名曲があまたありますが、このタワーリングインフェルノのタイトルバックも匹敵すると考えている。
しかし、映画音楽のCDではモーリー・マクガヴァンの「愛のテーマ」原題We May Never Love Like This Againとエンドタイトルばかりが取り上げられていて欲しいこの曲が聴けない。

かくなるうえはLPレコードのサントラ盤を聴くしか無いのか。
最近はすぐにデータ化できるレコードプレーヤーも安くなったし買うかやめるか。

そんな思いが結集したのかしないやら全世界5000セットという限定CDが発売されたので、待望のファンは大喜びと言いたいところですが、もう遅かったひとの顔も浮かびます。

ながいこと欲しかった物が手に入ると、執着無くなって成仏しそうなりますが、いつ死んでもいいやというのはよろしくないので、なんか一つ執着を増やすことにしときましょう

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