第36話 月を見に行く

文字数 1,006文字

言論には一方向性勝利というものがある。
 
反論が無ければ勝利と見なすという考え方で、「相手を言い負かす」ことに熱心な人に多い。
ものを考えるというのはエネルギーが必要で、時間も根拠の収集も必要となる。
それを勝手に強要して、反論無いなら勝利であると宣言されても甚だ迷惑なのだが、彼らが配慮することは無い。

元となっているのはディベート術であろう。

異なる立場から論理的に第三者を納得させる技術論だが、別件を関連付ける「詭弁」を駆使することで論破した勝利したという人間もいて、本質から離れることが多々ある。
この反論術に巧みな人は、相手をうんざりさせて反論の気概を封じ勝利と宣言するが、「詭弁性を見いだされて打ち切られた」とは思わないようである。

常に持論正当性を主張できる根拠と証明に必要なものは用意しておくべきだが、
わざわざ使わせるために勝った負けたを言い出すのは、立派な恫喝の一種であろう。

「月を見に行く」

スーパームーン 月が地球に接近するので遠近法的に大きく見える満月を指す。

気温が高い日が続いているが、水蒸気量も増えたせいか先日は霞んだおぼろ月であった。
満月には満たないが十分に丸い。

月が明瞭に見えるのは中秋にゆずるとして、大きな月が山や街中から見える風景というのは空を見る楽しみであろう。 
月の出も満ち欠けも検索すれば分かるので晴天時には気にすると良いかもしれない。

子供の頃は望遠鏡に憧れ、大人になって初級クラスのものを買ってみたが都市部ではろくに観測出来なかったことを覚えている。
今ならそれなりの望遠鏡と、車に積み込んで街灯りの無い場所へ向かう移動能力もあるので、もっとマシな観測は出来ると思うが、道楽に使う費用も限られてきているので食の方に使いがちである。

去る盆時期であったか、老夫婦が幼子を連れ歩いていた。
おおよそ孫かひ孫であろう。
幼子は月を見つけて走り出すのでとどめるのに必死であった。
もしかしたら、はじめての天体観測かもしれない

月を追う微笑ましく見ていたら散歩の子犬をみつけたらしく「わんわん」とこちらに向かって直角ターンして迫ってきた。激突したり受け止めるわけにも行かず一寸前にひらりと交わすことになった。
目の前にいる大人すら気にしない集中力というか、興味の持ち方は子供ならではであろう。
老夫婦に謝られたが、わたしは子供にケガが無ければそれでいい。
叱るか否かまでは踏み込まない。

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