歌の練習

文字数 2,395文字

 部屋を用意されてそこに入ったマレルとサーテルコールは、荷物を置いて一息ついた。
 部屋には水差しが用意してあり、サーテルコールはそれを見つけ、マレルに聞く。

「師匠。水飲みますか」
「ああ、もらう」

 一つしかないベッドにごろんと寝転がったマレルは、しばし休憩するために目をつむる。
 サーテルコールは備え付けてあった器にマレルの分と自分の分の水を入れた。片方をマレルの元へと持っていく。

「師匠? ねちゃいましたか?」
「起きてる」

 そう言うと目を開けて上半身を起こし、サーテルコールの手から器をもらう。
 そしてごくごくと水を飲みだした。
 
「ああ、うまい」
「そうですね。私も喉が渇いていたところでした」

 サーテルコールも水を飲みながらそう言った。

「少し休んだら歌の基本を教えてやる」
「え……はい!」

 サーテルコールは嬉しくなった。とうとう、記念すべき第一歩を踏み出せて心が弾む。
 この部屋にはベッドが一つしかなかったのでサーテルコールはソファに座ってマレルが起きるのを待っていた。

 10分ほどたったころ、マレルはおもむろに起きだしてサーテルコールの前にたつ。 
 サーテルコールも少し緊張して顔を引き締めた。そしてマレルの前にたつ。

「まず、うたを歌うには体力がいる。体を鍛えろ。それと腹筋と背筋を鍛えろ。じゃないと長時間歌っていられない。それと歌っている時に余計な力が入らないように柔軟体操も必要だ」
「ふっきん? はいきん? って何ですか?」

 そう不思議そうに言ったサーテルコールにマレルは自分の下腹を押さえて、

「ここの部分の筋肉と、背中の筋肉だ」

 と言った。

「声を出すには、この腹の下から出すようにする。胸を広げて、声帯を楽器にしろ」

「声帯?」

「声を出す体の器官のことだ。声帯は普通にしゃべっている時でも使われている。喉にある。小さい声だと声帯はあまり開いていない。大きい声を出すと声帯は(せば)まる。まず、体操」

 そういうと、マレルは首をふったり肩を回したりした。

「同じようにやってみろ」

 サーテルコールもマレルと同じように体操をする。

「よし」

 マレルは胸に手をあてた。

「口は大きく開いて、声を出す」

 あーあーあー

 マレルは手本として声を出してみた。マレルの声は綺麗だ。そして迫力があった。

「同じようにやってみろ、サーテ」

 あーあーあー

 マレルと同じようにすると、手に声の振動が伝わってきた。
 こえの響きが胸に響いている。

「もっと腹の底から、体を使って声を出すんだ。上半身の力を抜いて、足を肩幅にひらいて。喉をひらくんだ」

 あーあーあー

 サーテルコールはしばらく声を出す練習をした。
 それを真剣に聞いていたマレルはすっと目を細めた。

「お前、少し煙草を吸ってたな」
「はい、でもそんなには吸ってなかったですよ」

 マレルは苦虫を噛んだように顔をしかめた。

「歌うたいにとって煙草は敵だ。これからは絶対に煙草は吸うな。声帯が黒くなって堅くなる。致命的だ。それと酒もダメだ。俺たちはほとんど毎日歌う。酒も声帯に悪い。これを護れなかったら破門にする」

「破門!」

 破門……その言葉を聞いてサーテルコールは震えが走った。
 せっかく見つけた光の中の生活。
 それが壊れる。
 少し泣きそうになりながら、サーテルコールはマレルに約束した。

「はい、絶対にもう煙草は吸わないし、お酒も飲みません。誓います」

 マレルはそれを聞いてくすりと笑った。

「誓う? 何に?」

(うた)に神がいるのなら、その神に」
「その言葉を忘れるなよ。誓いは命をかけてするものだ。生半可な気持ちでするもんじゃないからな」
「生半可じゃありません! 私の人生がかかっている誓いです!」

 今度は優しくマレルはサーテルコールに言った。

「その気持ちを忘れるなよ」

 さっきの少し意地の悪い笑みとは違う、優しい笑みにサーテルコールの胸が高鳴った。
 いつも無表情なマレルがサーテルコールに見せた初めての優しい笑みだった。

 その時、ドアをノックする音が聞こえた。
 サーテルコールが出ると、侍女がびっくりした様子で立っている。

「あら、貴女の部屋はマレルさんの隣ですよ。部屋は一人ずつおとりしたのですから」
「え……?」

 サーテルコールはマレルと顔を見合わせた。
 そう言えば当たり前のように一緒の部屋に入ってしまったが、別々の部屋なのが当然なのだ。だが、宿を探した時に一部屋でいいと言ったマレルの事が頭にあって、あまり考えなかった。
 だからベッドも一つだったのだ。

「すみません~」

 サーテルコールは顔を赤くして、荷物をまとめた。

「サーテ」
「はい、師匠」
「これからたぶん、リストレーゼ様の所で歌う事になるだろう。お前は俺の(うた)を良く聞いて、その場の雰囲気や歌の歌詞を覚えろ。はじめから全部覚えなくてもいい。でもなるべく頭に入れておけ」
「はい! では、私はこれで!」

 焦って自分の部屋に向かうサーテルコールの後姿を見て、マレルはまた少し苦笑した。

 扉にいた侍女が言う。

「少し休めましたか? リストレーゼ様がお呼びになっています。(うた)を歌っていただきたいとおっしゃっていました」
「はい、承知しました。また少し待っていただけますか。不肖の弟子の準備が終わるまで」
 
 部屋で無造作に荷物を置いたサーテルコールは長い髪を後ろで縛りなおして整えた。
 そして部屋を出てマレルの元へと行く。マレルは小さな銀色の竪琴を持って、すでにもう用意をして侍女と待っていた。

「お待たせしました!」
「よし。じゃあ、行こう」

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