籠の中

文字数 2,252文字

 サーテルコールがマレルに文字を教わっている時、また扉をノックする音が聞こえた。
 彼女が出ようとするが、マレルはそれを制する。

「サーテは書き取りをしていろ、俺が出る」
「はい」

 マレルが扉を開けると、侍女が立っている。

(うた)を御所望ですか?」

 そうマレルが言うと、侍女は頷く。

「昼食が終わったあたりに、またリストレーゼ様が詩を御所望です。昼食はここに運ばせますから、昼食を摂って一休みしたあたりにまた迎えにまいります」
「承知しました。お待ちしています」

 マレルは礼儀正しくそう言って扉を閉めた。

「今日は午後に歌うんですね」
「そのようだな」

 昨日のリストレーゼを思い出したマレルは、ふと息を吐いた。
 今度はどんな(うた)をリストレーゼは所望するのか。
 マレルは少し気が重くなった。

 

 午前中いっぱい文字の書き取りをしていたサーテルコールは自分にあてがわれた部屋に来て昼食を食べた後、公演の用意をしてマレルの部屋で待機していた。
 待っている間、その少しの時間でも、マレルはサーテルコールに芸を教えた。
 黄色いこぶし大のボールを手の中でくるくる回す芸だ。
 そしてこのボールは弾みもつくので手の中で回すだけでなく、弾ませてボールを自由に操るという芸だった。
 
 マレルは手本としてそれをサーテルコールに見せる。

「歌で一人前になるには長い時間がかかるからな。それまでお前を遊ばせておく訳にはいかない。自分の食いぶちは自分で稼げるようにならないとな」

 という事で芸を教えてもらっている。

 マレルにコツを教えてもらって、それをひたすら練習する。
 サーテルコールの手先は器用だった。
 ボールの扱いも人よりも並はずれて筋がいい。

「良い感じだな。そのまま練習を続ければすぐに客に見せられるようになる」
「これでお金がもらえますか?」
「俺と一緒に見せればいい」
「歌は難しいですか……」
「下手に歌うと石が飛んでくるぞ」
「それは嫌ですね……」

 サーテルコールがボールのジャグリング練習をしていると、扉がノックされた。
 侍女がやってきたのだ。


 
 リストレーゼの侍女はまた昨日の東屋にマレル達を案内した。
 そこにはすでにリストレーゼが座っている。
 マレルは一礼して昨日と同じ場所に座った。
 サーテルコールも同じように簡易椅子に座る。

「では、今日はどのような……」

 曲がいいでしょうか、と言いかけたとき、リストレーゼの顔が堅くなった。
 マレルの後ろからリストレーゼの夫、サミュエルがやってきたからだ。

「涼もうと思っていたら先客がいたか」

 それはマレルたちが初めてこの屋敷にきた時に会った、あの失礼な男だった。
 しかしマレルは礼をつくして自己紹介する。

「歌うたいのマレルと申します」
「そっちの女は何という名なのだ」

 サーテルコールはとっさに身の危険を感じた。
 男の眼がサーテルコールの全身をなめるように見ていたからだ。
 それに気がついたマレルがかばうようにサーテルコールの前にたった。

「彼女は私の不肖の弟子です」
「ふん。いくらだ?」
「は……?」
「流れて仕事をしているのだからそういう事もしているのだろう」

 その場の全員が息をつめた。

「あなた、失礼にもほどがあるわ!」

 リストレーゼが叫ぶ。

 マレルを脇へどかし、サミュエルはサーテルコールの手を取ろうとする。 しかし、その手をマレルはひねりあげた。

 その痛みで彼は苦痛に顔をゆがめ、憎しみをこめてマレルをにらむ。
「離せ!」
「あいにく、そういう仕事はしていません。他をあたってください」

 怒らず、冷静に言葉を紡ぐマレル。サーテルコールはそんな師匠の姿が心配で、しらず胸の前で手を組んだ。

 マレルが手を離すとサミュエルがマレルに手を挙げる。
 サミュエルの拳が丹精なマレルの頬にめり込んだ。
 その衝撃でマレルの身体が後へ倒れた。

「師匠ー!」
「あなた、やめて!」

 サーテルコールとリストレーゼの悲鳴が響く。
 気の短いサミュエルはマレルに手を挙げると、悪態をついてそのままどこかへ行ってしまった。

「師匠、口から血が出ています」

 サーテルコールの眼に涙がにじんだ。
 両親が死んでから今まで、こんな風に身を挺(てい)して自分を護ってくれた人がいただろうか? 
 サーテルコールは震える手でハンカチをマレルの口元へとあてた。
 そのハンカチで口元を押さえたマレルはしばらく痛みに耐えていた。

 リストレーゼも泣きながらマレルに許しを請う。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
「気にしないでください。こんな事はしょっちゅうある事です」

 マレルは無表情で立ちあがって、手で服のほこりをはたいた。

 リストレーゼは大きく息を吸ってマレルに言う。

「もう……これ以上、貴方達に迷惑はかけられないわね。来てもらったばかりだけれど……もういいわ」
「リストレーゼ様……」

 マレルもサーテルコールもそれ以上、言葉が出なかった。

「でも最後のわがままだと思って、一つだけお願いを聞いてほしいの。もう一曲だけ、それだけでいいから、歌ってくれないかしら。そうしたら貴方たちを元の世界へ返すから」

 涙をこぼしながらそう言うリストレーゼに、マレルは頷いて銀色の竪琴を構えなおした。

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