馬乳酒

文字数 2,311文字

「さて。夕飯を食べるか」
 マレルはにっこり笑ってサーテルコールを見た。
 滅多に見ることのない師匠の満面の笑みに、師匠はこの前言った通りの美味しいレストランに入る気なのだと思った。

「何がいいか? サーテ」
「そうですね。私は久しぶりに肉が食べたいです」
「そうだな、俺もそうだ」

 そう言って商店街地区から少し北の飲食店街を歩いていた。すると肉を山盛りに盛った絵が描いてある看板が出ていた。
「おお、ここはどんな料理の店なんだ?」
 喜色満面にマレルとサーテルコールは店の看板を見た。

「『草原の民の食卓』って店ですね。あのレイ二スさんが言っていた草原の民ですか?」
「そうだな。これも何かの縁かもな。ここに入ってみるか」

 そう言って二人は『草原の民の食卓』という店に入った。

 中はテントのように布を張り巡らしてあった。天井にも布が張ってある。おそらく、作りは普通の木造建築なのだろうが、草原の民のテントのような雰囲気を出しているのだろう。

 テーブルが十個ほどあり、客もばらばらと入っていた。
 マレルとサーテルコールは店員に案内されて席につくと、席に備え付けてあったメニューを開く。

「羊肉の香草蒸し焼き、鹿肉の煮物、干し牛肉……ハム、ソーセージ、小麦のパン」
 マレルはメニューを読み上げて、何があるのかを確かめる。
「見事に肉ばかりだな」
「でも一応、野菜と一緒に煮込んであるものもありますよ」
「まあいいか、おーい」

 マレルは給仕に今言ったものを頼んだ。

 給仕はすぐに来て注文を取ると、期間限定だという馬乳酒を勧めてきた。
 しかし、酒はいいと断り、マレルたちは食事を待った。

「ここの料理が美味しかったら、草原の民のところへ行って羊毛の絨毯を買いつけるのもいいかもな。土産も何か持って行って、そして歌を歌って話をして」
「やっぱり行くことにするんですか」
「まだわからん」

 料理が運ばれてきた。テーブルいっぱいに並べられたそれを二人は大口をあけて食べる。

「ん? サーテ、これ、うまいぞ」
「じゃあ、ちょっと下さい」
「ほら、やる。こっちのソーセージはどうだ?」
「さっき食べましたけど、ちょっと変わった味で美味しかったです」

 みな変わった味で、でも肉がたっぷり食べられた事に満足したマレルとサーテルコールだった。

「羊肉の香草蒸し焼きがうまかったな」
「そうですね! さいっこうでした!」
 サーテルコールも浮かれている。

「よし、やっぱり行こう!」
「へ?」
「草原の民たちのところへ行くんだ」
「う、受け入れてもらえるでしょうか?」
「大丈夫だろ。そもそも俺たちはどこへ行ってもそこそこやっていけなければいかん。これも勉強だ」
「はい!」
「そこでだな。さしあたって、一つ問題がある」
「なんですか?」
「酒だ。さっき給仕が『期間限定』の酒があると言ってただろう? もし、草原の民たちが俺たちを受け入れてくれたら、きっとタンダル村のように食事を用意してくれるだろう。そしてそれはすべて手をつけなければ失礼にあたる。で、酒だ。はじめて行く所では酒も飲まない訳にはいかなくなる」
 
 サーテルコールは言い淀んだ。

「でも師匠……私は、お酒は飲まないって、歌の神に誓ってしまいました……」
「ああ。だから俺が飲もうと思う」
「師匠が?! だって飲んだことあるんですか?」
「ないな」
「……お酒を飲んだら歌えなくなるんですよね? 師匠が歌えなくてどうするんですか」
「竪琴を披露すればいい。それに飲んだ翌日一日歌わなければなんとかなる」
「は、はあ、もう行く気まんまんなんですね」
「じゃ、試しに飲んでみる事にする。注文するぞ」

 そうして出てきた酒は、乳白色にすこし黄みがかった、酸っぱい匂いのする酒だった。

 マレルはその盃に入った酒をためすすがめつ、見てみた。
 サーテルコールがメニューを開いて、この馬乳酒(ばにゅうしゅ)の説明を見る。
 
「あ、このお酒はアルコールが少ないみたいですよ。女性でもほろ酔い程度で済みますって書いてあります」
 
 マレルはあからさまにほっとした表情になった。

「なんだ、それなら大したことないな」

 そして一口飲んでみる。
 サーテルコールも初めて酒を飲むマレルを心配して息をつめた。

「……すっぱい……」
「そうですか。気分は?」
「別に何ともない。なかなかうまいな」

 そしてぐっと盃をあおった。

 マレルは生まれて初めて飲んだ酒に不思議な気分になった。

「飲めないものじゃないな。よし、草原の民たちのところへ行こう」

 マレルは給仕を呼び、会計を席で済ませた。そして椅子から立った。
 サーテルコールも立ち上がると、バタン、と何かが倒れる音がした。

 何かと振り向いたサーテルコールは悲鳴をあげそうになった。

「し、ししょー!」

 マレルが真っ赤な顔をして腰をぬかしていた。



 それから店の人に水をもらってマレルに飲ませ、サーテルコールは近くの宿屋までマレルに肩を貸して歩いた。
 マレルは実際、でかい。自分の足で歩いてくれないとサーテルコールはつぶれる。

 酔っぱらった師匠の杖のようになり、部屋までたどり着いたサーテルコールはマレルをベッドへ寝かし、長靴(ちょうか)をぬがし、掛け布をかけてやった。
 マレルはベッドへ横になるなり寝ていた。

「師匠ー。寝ちゃいました?」

 マレルの規則正しい寝息が聞こえる。

 自分のベッドへ腰かけ、ふうと一息つくサーテルコールだった。
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