真夜中の訪問者

文字数 2,267文字

 リストレーゼは昼間マレルが歌った新緑の庭の東屋(あずまや)に来ていた。
 初夏の夜の風は涼しくて、それが緑の間をぬけて良い香りが漂ってくる。
 しかしリストレーゼのこころは晴れなかった。

 マレルとあの弟子はどういう関係なのだろう?
 
 そんなどうでもいい事を考えて、やはり恋人同士なのか、と思う。
 そしてその想像は、リストレーゼのこころに嫉妬を呼びおこすのだった。
 仲が良さそうに見える二人に嫉妬する。

 リストレーゼの夫はサミュエル・ランバールという大商人だ。海辺に屋敷を持っているのは海からくる商品を取引する為だ。そして今回、サミュエルがリストレーゼを連れてきたのは、ここの領主に夫婦で挨拶する必要があったからだ。
 ただそれだけ。
 それだけの為に嫌がるリストレーゼに手を挙げて無理やり連れてきた。
 連れてきたはいいが、自分はここで出来た女と遊びまわっている。
 サミュエルは以前から女癖が悪く、リストレーゼは呆れていた。
 こころが晴れる訳がなかった。



 窓の外を見る。たくさんの星が瞬く夜だった。
 マレルはサーテルコールに寝る前に腹筋体操と柔軟体操と背筋体操の仕方を教え、必ず一日に十五分はその体操をするように言った。

 今頃彼女は腹筋、背筋体操や柔軟体操をしているころだろう。そして明日の朝にはきっと筋肉痛で痛がっていることだろう。
 それを思うと、少しおかしくなるマレルだった。

 ベッドに寝転んでくすっと笑いが出た。
 思えばサーテルコールがマレルと同行するようになってから、自分はよく笑うようになった、と思う。やはり一人旅よりも、旅は楽しくなっていた。

 部屋がノックされる。
 ベッドから起きて扉を開くとリストレーゼが立っていた。

「マレルさん。お酒でも付き合ってもらおうと思って来てしまったわ」
「リストレーゼ様……夜に男の部屋に来てもよろしいのですか」
「そうね……いい事にしておきましょう」

 リストレーゼはすでに酔っているようだった。胸に未開封のワインの瓶を抱いて部屋に入ってくる。
 マレルは困った。まさかこんな展開になるなんて、と思う。

 リストレーゼは向かい合って(しつら)えてあるソファの片方に座り、マレルを自分の向かいに促す。
 マレルは言われるままにそこに座った。

「リストレーゼ様、申し訳ないのですが私は歌うたいなので、酒はのめません」
「まあ。どうして歌うたいはお酒がダメなのかしら」
「喉に悪いからです。明日声が出なくなってしまいます」
「それは……残念ね。分かったわ。貴方は水でいいわ」

 二人はしばらく話をしてリストレーゼはお酒を、マレルは水を飲んでいた。

「本当に、貴方の(うた)はすばらしいわ。いっそ、私の専属にならない?」
「私は……一所にはいられない性分でして、申し訳ありません」
「じゃあ、今夜だけでも私だけの人になってくれない?」

 そう言ってリストレーゼは席をたち、ソファに座るマレルを抱きしめた。
 マレルは体を堅くして自制心を振るい起す。そしてリストレーゼの肩を掴んで自分から引き離した。

「貴女は恋や愛はくだらないとおっしゃていたではないですか」
 
 何故かマレルの方が悲しそうな顔をしてリストレーゼに言った。

「そうね……。くだらないわ」
「私は昼間あのように言いましたが、恋や愛は尊いものだと思っています」
「……」
「だから……貴女も自分を大事になさってください」

 真摯な瞳で自分を見つめるマレルにリストレーゼは火がついたように泣きだした。
 何も言わず、マレルの胸の中で泣き崩れる。
 マレルは泣きやむまでそっと彼女を抱きしめていた。
 泣きやんだ彼女は恥ずかしそうに顔をうつむけた。

「今夜の事は忘れてくださる?」
「はい。もちろんです」
「ごめんなさい」

 リストレーゼはそう言ってマレルの部屋から出て行った。



 次の日の朝、自室で朝食を食べた後にサーテルコールはマレルの部屋へやってきた。自分の体調不良を伝える為だ。

「師匠……」
「なんだ」
「なんだかお腹と背中が痛いんです……」
「ああ。どんな風に痛いんだ?」
「動くと激痛が走ります……」
「はははっ」

 マレルは思わず笑ってしまった。自分の予想どおりの展開だ。

「笑いごとじゃありません! すごく痛いんですから!」
「まあ、それは病気じゃないからな。サーテ、お前、筋肉痛ってなった事ないのか?」
「筋肉痛?」
「急激に筋肉を使うと起こる痛みだ」
「あ、昨日の腹筋と背筋体操!」
「そうだ。でも今は痛くてもそれを通り越せば筋肉が出来る。まあ、二、三日の辛抱だ。特別に今日は腹筋と背筋体操をしなくていいぞ。でも柔軟体操はやっておけ」
「筋肉が出来るんですか……。というか、この痛みで昨日やった腹筋や背筋体操はできないです……。師匠がそう言ってくれて良かったです」

 サ―テルコールは師匠から事の詳細を聞かされ、師匠はなんでも知っているんだなあ、と思うのだった。

「歌の練習も止めておこう。サーテ、文字の読み書きは出来るか?」
「いいえ」
「じゃあ、今日は空いている時間でそれをしよう。詩を覚える時に書きとめておけるようになれば覚えるのも早くなる」
「はい!」

 サーテルコールは満面の笑みでマレルに頷いた。
 歌の練習ができなくても、文字を教えてもらえるなんて。
 サーテルコールにとってマレルは本当に光だ。

 
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