マレルの師匠 後編

文字数 1,522文字

 デルカが咳こんでいた夜があけて、朝がきた。
 マレルはもう起きだしていて、顔も洗い、街にでる用意をすませている。
 しかし、デルカはなかなか起きだす気配がない。
 マレルはベッドの中のデルカに声をかけた。

「デルカさん」
「あ、ああ」
「どうしました? 昨日の疲れが出たんですか?」
「ああ……そうみたいだ……なんだか体が異様にだるくてな……」

 いつものような陽気さは影をひそめ、デルカはつらそうに眉をひそめた。

「医者を呼びましょうか」
「ああ、そうしてくれ」

 お金は今時点で結構な余裕があった。タンダル織の反物を売ったばかりだったからだ。
 医者を呼んだマレルはデルカを診てもらうと、廊下に呼ばれた。

「君は……あの人の弟かい?」
「弟子です」
「ほう、まあ、いい。あのデルカさんというのは、今、国で猛威をふるっている流行病(はやりやまい)にかかっている。この病気の薬はまだ出来ていなくてね。気休めだが栄養剤の注射を打っておいた。正直、今晩が峠だ」
「……は……?」

 峠。そんなはずはない。昨日まで街の広場で歌っていたのに。

「君にも栄養剤の注射を打ってやる。打たないよりはマシだろう」
「いえ、俺は……」
 とっさにお金の心配をした。
「デルカさんに言われている。もう金も貰った。腕を出しなさい」
「はい……」

 マレルが医者の見送りの為にまた廊下に出ると、医者はマレルに言う。

「今夜を越せば、希望もある。とにかく今夜だ。熱が高く出るだろう。脱水症状に気を付けてよく看病してあげたまえ」



 それからのデルカの容体は悪くなる一方だった。マレルは額を冷やすべく タオルを水につけて、それをしぼり、デルカの額に当てる。
 脱水症状にならないように、水も飲ませた。

 しかし、熱は一向に下がらない。
 次第にデルカが衰弱していくのが分かった。
 荒かった呼吸が細くなって行く。
 熱で赤かった顔も、何か青白くなってきた。
 生気が失われていく。

 気がどうにかなりそうになる、マレルはそう思った。
 たった一日で、どうしてこんな!
 デルカの横で看病をしていたマレルの眼に少し涙がにじんだ。

「マレル……」
「はい! デルカさん!」

 ふいにデルカがマレルを呼んだ。

「歌は自分も楽しんでうたい、人も楽しませるものだ。この前の笑顔を忘れるなよ……」

 そう一言言うと、また昏睡に落ちた。
 そしてデルカは翌日の朝まで、もたなかった。



 宿屋にこの街の教会の神父が、デルカの遺体を引き取りに来た。
 マレルが手配したのだ。
 宿を出る時、そこの主人が声を張り上げた。

「早く出てってくれ! 人死にが出たなんて縁起が悪くてしょうがねえ!」

 マレルはこぶしをぎゅっと握りしめ、歯を食いしばった。
 
 デルカの埋葬を終え、それからマレルは街で酒を一瓶かった。
 教会に葬られたデルカの墓石に、マレルはその酒をかける。
 いつも酒を飲んでみたいと言っていたデルカに、飲ませてやったのだ。

「デルカさん……、貴方は俺の恩人でした……」

 酒をデルカの墓石にかけながら、マレルは静かに泣いた。
 自分は教えてもらうばかりで、デルカに何も『お返し』が出来ていなかった。
 その事がとても悔やまれる。
 
「今の俺で、独り立ちできるでしょうか」

『出来るさ。俺の弟子なんだから』

 そんな声が聞こえたような気がして、はっとしてマレルは辺りを見回した。
 しかし夕方の墓地には誰もいなかった。

『公演では笑顔を忘れるなよ』

 師匠であるデルカの声が、夕方の風に乗って聞こえたような気がした。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み