第21話

文字数 2,692文字

      その二十一

 酒が入ると気が大きくなるたちのぼくは、伝票を見て計算しようとしていたあさ美お姉さんに、
「いやいや、おごりますよ。ぼくが誘ったんだから」
 といって支払いを済ませ、さらにお姉さんにタクシー代も無理やり手に握らせる感じで渡していたのだけれど、翌日かなり遅めに起きて、ぬるめの風呂に入ったりスポーツドリンクをごくごく飲んだりしていると、あさ美お姉さんもさっきまで寝ていたのだろうか、
「おはよう」
 と記されただけのメールを送ってきて、それでぼくがメールをどう返信しようかしばしかんがえていると、今度は長文のメールをお姉さんは送信してきた。
 あさ美お姉さんは「ゆうべは本当にごちそうさまでした」うんぬんとお礼を送ってきてくれて、だからぼくは暗号めいたメロコトン博士の手順書を訳してくれたことにたいして感謝のメールを返したのだが、それに再度「(笑)」だけのメールを返信してきたお姉さんは、そのあともうなにも送ってこなかったので、ぼくもこれでとりあえず礼儀みたいなものは済んだとかんがえて一汗かきにKの森総合公園に徒歩で向かって、で、けっきょく二日酔い気味でふらふらだったので三キロくらいしか走れなくて、また徒歩でアパートにもどって今度は熱い湯に入ったのだけれど、三原さんが大量に残していった割るならハイサワーの分量を多めにして焼酎をチビチビやっていると、またあさ美お姉さんからメールが送られてきて、昨夜ぼくはあさ美お姉さんの翻訳作業が一段落したあとくらいにお姉さんに「ものすごい、うまいやつ、絶品の、食べたら、とろけそうなやつ」等々のハマグリのほんとうの目的をついしゃべってしまっていたのだが、帰り際にタクシー代を渡したことを深読みしたのか、あさ美お姉さんは、たまきくんが好きそうな女の子を一人用意できるから明日会ってみてうんぬんともう面接(隠語)をセッティングしてしまっていて、まあ相手方にはぼくの携帯等はおしえていないみたいで、待ち合わせ場所でグレーのキャスケットをかぶって(お姉さんはぼくがこの帽子をかぶっていたのを一度見ている)、ピーチオーレを飲んでいればいいようなので、それほど勝手になにもかも決めてしまったわけでもないのだろうけれど、しかし明日の昼間はすみれクンのお母さまへの講習が予定されているので、ぼくはその旨をお姉さんに送り返したのである。
 すると、あさ美お姉さんはしばらくしてから、
「その子、夕方の六時でも大丈夫みたいだから、その時間で約束取り付けたけど、たまきくんいいよね」
 というようなことを電話で伝えてきて、だからぼくも、
「〈がぶりえるバーガー〉って、あのB館の二階にあるやつですよね」
 と大型ショッピングモールにはいくつかおなじようなファストフード店が入っているので、きちんと確認を取って、けっきょく〝面接〟におもむくことにしたのだけれど、あさ美お姉さんがいうには、その女の子はぼくより少し下くらいの年齢らしいからそれなりに知っているだろうが、お姉さんが、
「その人、マンモスやさピーよ」
 とぼくのことを――まだ酒が残っていたのか――のりピー語で伝えると、その子も、
「マンモスラッチー」
 と流暢なのりピー語できちんと返してきたのだそうで――だとすれば、のりピー語よりなので翻訳できなかった転売場所に直通で行けるステーション(?)の部分を、その女の子に解読してもらってもいいかもしれない。というか、話のネタになると思ったので、ぼくは例のコピー用紙の空いているところに転売場所に直通で行けるうんぬんの原文を赤のボールペンで書いておくことにした。
 新聞のテレビ覧をざっとチェックしてみると、今夜は民法のBSで「赤いシリーズ」が再放送されることになっていたので、レトルトのリゾットで晩御飯を軽く済ませたぼくは、それをてきとうに観ながら眠くなるのを待ったのだけれど、石立鉄男がなにか長いセリフを延々ぶっていると、
「ん」
 すみれクンからメールが送信されてきて、どうやらすみれクンはきょうも一日中メロコトン屋敷で葡萄の書きミスを探していたようなのだが、われわれがひと月以上代わり番こに探しても一つもみつけられなかった葡萄という漢字のミス表記をすみれクンは今夜一気に十か所ちかくも発見したらしくて、すみれクンはメールの最後に電話かけてもいいですかというようなことも記していたので、ぼくのほうからすぐ電話をかけて、その詳細をともかくきいてみることにした。
「すごいじゃん、すみれクン」
「わたしも、最初みつけたときは逆に信じられなくて、夢かもしれないって思ったんです。けっこう何度も幻覚みたいなの、みてるから」
「そんなに限界までいつもがんばってやってるのかぁ。まあでも、めっけたんだからすごいよな」
「わたしが第一発見者なんですね。やったー」
「どこにあった? 論文かい? それとも日記?」
「手紙の下書きです」
 すみれクンは蜘蛛が大の苦手で、子どものころはちっちゃいやつが一匹でもいるとその部屋から裸足でオモテに飛び出してしまうくらいだったそうなのだが、あの屋敷でそのちっちゃい蜘蛛に遭遇したすみれクンは最初はかなり取り乱したようだけれどもこんにちでは四つん這い等を経て成長したのか、まず深呼吸したのちに落ち着いて殺虫剤を探すことにして、それでも殺虫剤はなかなかみつけられなくて、
「うーん、探してないのは、ここの戸棚だけだな」
 とすみれクンは鍵のかかっていた棚をバールみたいなものでこじ開けてなかを物色したみたいなのだが、その棚のなかにはアタッシュケースが一つあって、
「ここかなぁ」
 とさらにダイヤル錠をジージーやってそのアタッシュケースをカチャリと開けてみると、若かりし頃のメロコトン博士が恋人らしき人に送ったと思われる手紙の下書きとその恋人らしき人から届いたと思われる手紙がたくさん入っていたのだという。
「よくダイヤル錠開けられたね」
「はい。付箋に書いたダイヤルの番号がケースに貼られてあったんです」
 相手方からの手紙にもこちらの下書きにもカタカナの〝ブドウ〟という表記はたくさん見受けられて、すみれクンが読み込んだところ、どうやらそのカタカナのブドウは一種の隠語として、つまり、
「このあいだのきみのブドウはすばらしかった。あれほどの恍惚感に浸ったのははじめてだ」
 というような感じで使われているとのことだったが、それでも下書きのほうには漢字表記の「葡萄」がいくつかあったみたいで、すみれクンは指示通り、書きミスのある「葡萄」を朱色の筆ペンでもうきっちり訂正したらしい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み