第14話

文字数 2,879文字

      その十四

 大きめのボストンバッグに衣類などを詰め込んだぼくは、お昼前に船倉荘から母屋まで歩いて行って義姉のつぐみさんに明日○○村の〈たうえ温泉旅館〉というところに出向すると報告したのだけれど、昨夜天ぷらを揚げすぎたらしいつぐみさんはその残りの天ぷらで天丼をつくろうかそれとも冷凍しようかと迷っていたみたいで、ぼくが、
「うどんがいいなぁ。天ぷらうどん」
 とリクエストすると義姉は、
「わかった。天ぷらいっぱい食べてね、たまきくん」
 といって、うどんを茹でるお湯を沸かしはじめてくれた。
 それで天ぷらうどんをつるつる食べだすと、
「その温泉旅館までどうやって行くの? 電車?」
 とつぐみさんもいっしょに食べながらきいてきたので、ぼくはマコンドーレの商用車を貸してもらえることになったからちょっと遠いけれど、それで行っちゃうんだ。ナビも付いてるっていうしね、とこたえたのだけれど、するとつぐみさんは、
「だったら梅干し持っていったほうがいいわよ」
 とその梅干しをあとでタッパーに詰めてあげるといってきて、だからぼくは自分で運転するわけだから乗り物酔いにはならないだろうとは思ったけれど、しかしこんなときの義姉は泣いても笑ってもタッパーに梅干しをどんどん詰めてしまうことになっているので、
「ありがとう。すいません」
 とだけ義弟はいっておいたのである。
「また〈やがみ農園〉さん送ってきてくれたのよ、この梅干し」
「そうなんですか」
「よっぽどあのキャプチャ作業に感謝してるのね、純子さん」
「いや、最近CD貸したから、それで送ってきたんじゃないかな」
「何のCD?」
「『森中潤一郎独演会全集24枚セット』ですよ」
「公費で作ろうとしたやつ?」
「そうそう」
「なんであんなの……」
「ほら〈やがみ農園〉って、奥のほうに山みたいなのあるでしょ」
「うんうん」
「あそこでCD流すっていってたから、猿だかイノシシだかが出るのかもね。スピーカーもけっこう各所に設置してたし」
「だから梅干し、送ってきてくれたんだぁ」
「まあキャプチャのほうもまだまだ感謝してほしいけどね。それくらいあれはたいへんでしたよ」
 ぼくは以前トレッドミルとサウナとキャプチャ作業にかんしてはすごいスタミナがあるんだぜ俺様はうんぬんと豪語したかもしれないが、このときのキャプチャ作業ではさすがに疲労困憊して、しまいには変な幻覚などもたくさん見ちゃって一種のノイローゼみたいな感じになってしまったのだった(山城さんは最後文字通りぶっ倒れた)。
 当時ぼくと山城さんはその邸宅を「VHS御殿」と呼び、屋敷のあるじを「ビデオ大将軍」とある意味あがめていたのだが、16ミリフィルムのころから映像を撮ることを趣味にしていた大将軍は大昔のテレビドラマや特集番組などもまだビデオデッキやテープ自体がとてつもなく高価だったころから大量に録画していて、16ミリで撮ったオリジナルの映像もわれわれが介入したときにはとうにVHSテープに移していた。
 しかしそのビデオテープをパソコンなどに取り込むいわゆる〝キャプチャ作業〟はかなり高齢だったこともあって、ちょっとむずかしかったらしく、ちなみに山城さんの曾祖母もかなりハイカラな人だったのだけれど電話が交換手経由から直接相手につながるようになると電話自体まったくかけられなくなってしまったらしいが、大将軍に所有するすべてのビデオテープのデジタル化を命じられた末娘の純子さんはそのときすでに〈やがみ農園〉に嫁いでいたから、とうぜん作業はぜんぜんはかどらなくて、それで例によって困っている人に手をさしのべるのをライフワークとしている美智枝さんが農園の先代(純子さんの舅)と面識があった関係で助け舟を出すことになって、で、まあわれわれがその任務をおっつけられることとなったのである。
 VHS御殿にあるビデオテープをすべてデジタル化するまでには二年弱ほどの歳月を要し、
「なんとお礼をいったらいいか……」
 と大将軍や純子さんに感謝されたわれわれはそのビデオテープを、
「貴重な原本なんで大事にしてください」
「え……」
「こちらはデジタル化されたハードディスクの予備です。こちらも大切に保管してください。そして定期的に新しい外部ストレージに移してください」
「え……」
 と報酬として全部いただいたのだが、山城さんの実家は山城さんのおじいちゃんが生前庭のはなれで書道教室をやっていたらしく、そのはなれががら空きになっていて、だから、
「きちんとした保管場所をみつけるまでの間に合わせですから。すみませんね」
 などと山城さんのご家族の方々に弁明しつつ、われわれはダンボールに梱包された大量のテープをはなれが破裂しそうなほど、こちらの旧書道教室に運び込んだのだった。
 はなれの空き部屋にすべてのVHSテープを突っ込むことはできなかったので、残りのダンボールはぼくとか幕臣とかそういうマコンドーレ関係者の各家に小分けにしてなかば強引にお預け入れしたのだがまあそれはともかくとして、梅干しを用意してくれたつぐみさんは冷蔵庫から瓶に詰められた野菜の浅漬けも出してきて、
「わたしつくったんだけど、食べる?」
 とたぶん元は蜂蜜かなんかのその瓶を瓶ごと梅干しのタッパーといっしょにレジ袋に入れていたのだけれど、
「あっ、そうだ」
 とつぶやくと、先日娘の智美からきいたという話をぼくにおしえてくれて、小学二年の智美は夏ごろもそんなようなことをちょこっといっていたのだが、またぞろ友だちの雅子ちゃんちが家族で〈うなぎ食堂〉に行って、
「なんか瓶とかを狙ってくるお化けだか妖怪だかに脅されちゃったんだって」
 うんぬんと風呂に入りながら母親に告げてきたらしい。
「きのう大将に直接きいたんだけど、やっぱりまた噂になってるらしいよ、お化け騒動。お化けだか宇宙人だか、知らないけどさ。風評被害っていうのもたいへんだね。とくにああいう客商売は」
「雅子ちゃんちのお父さんなんかホントに怖がっちゃって、家でも味ぽんとか使わないんだって。あれビンでしょ」
「あはははは、瓶を狙ってるから? お化けが?」
「そう」
「昨夜おれ〈うなぎ食堂〉で大ビンのスーパードライ二本飲んだけど、なんにも出なかったよ」
 智美が通っている小学校の校長先生も〈うなぎ食堂〉でワインを飲んでいたら、雅子ちゃんのお父さんとおなじように瓶を妖怪に狙われたらしく(雅子ちゃんのお父さんは〝お化け〟校長は〝妖怪〟とその不可思議なものを呼んでいる)、校長はその話を朝礼のたびに披露して生徒たちを笑わせているらしいが、あの食堂で守衛をやっている沼口隊長は口だけは威勢のいいことをいっているけれども、こんな騒動を鎮めることもできないし、田上雪子さんも現地に何度もおもむいているのに同姓の人物一人すらみつけてこなくて、ハム友さんのおかげで田上雪子さんの居所がいよいよわかったいま、きっとどこかで油を売っている隊長を今度こそ更迭しようと、わたくしG=Mはつぐみさんにあいづちをうちつつも心に決めたのだった。
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