第30話

文字数 3,388文字

      その三十

 住まいに帰りまず風呂に入ったぼくは、菊池さんの手料理で晩酌をやりながら明日からしばらくK市にもどってマコンドーレ関連の仕事を片付けてくるうんぬんと妻に説明したのだけれど、今回の帰省で菊池さんを帯同させないのはエロもの関連の整理や船倉荘の自室の大掃除を極秘におこなうためで、ぼくが住んでいる一階の部屋はいちおう3DKで二人で暮らすにはなんとかなるだろうが、三部屋あるうちの一室はVHS御殿サイドより褒美(?)としてもらったビデオテープがダンボールにして百箱だかそれくらいお預け入れされていることになっているので(デジタル化されたバックアップデータも寝室のほうでけっこう場所を取っている)、こちらのほうをどうにか処分し、それから残りの二部屋にあるいらないものも、この機会におもいきり断捨離して、菊池さんを招き入れる体勢を整えておこうと思っているのである。
 范礼一さんに言伝を頼んでもよかったが、それでもいちおう宮廷まで出向いて皇帝に先の帰省を告げに行った翌日のぼくは、まだ朝定食がぎりぎりやっている時間くらいに〈うなぎ食堂〉に入って店のおしながきにはない〝うな重〟を頼んだのちに、
「あっ、やってないんですか? じゃあ――たぬきそば一つ」
 と注文して、
「おいしかった。ごちそうさまぁ」
 と店を出たのだけれど、ぐるりをショッピングモール等の大きな建物で囲まれていたその横道をするする抜けて自宅方面に向かうバス停で時刻表を見ていると、ふとある考えがあたまにうかんできて、だからぼくは内府に、
「相談したいことがありまして――」
 うんぬんというメールを送ったのちに内府の家の近くの喫茶店で昼食を一緒に取ることにした。
 内府に相談しようと思っていることは料亭〈高まつ〉の女将の和貴子さんのことで、和貴子さんとは結婚の約束だとかそういうことはいっさいしたことはないが、それでもいろいろナニをナニしていただいたこともあるので、これを機になんというか、ケジメをつけておこうとぼくはかんがえたのだけれど、
「しばらくですなG=M、ここのスパゲティーはなかなかいけますよ」
 とボロネーゼをおすすめしてきた内府はご自身もそれを食べながら、
「うーん、まあそこまで律儀にする必要もないが……」
 と熟考しつつ一般的には百万も渡せば最大限の誠意は尽くしたことになる、と説明してくれて、
「用意できますか?」
「できます」
 とぼくがこたえると、料亭〈高まつ〉はもうずいぶんまえに和貴子さんが店をつぶしてマコンドーレが肩代わりしていることだとか、雇われ女将はこれまで結婚を二度失敗していて年齢もすみれクンのお母さまより一つ上だとかということを、ぽつぽつおしえてくれた。
「まあでも〈高まつ〉はこれからも使うだろうし、G=Mもそこまでする気になっているのであれば、渡しておいても良いかもしれませんな」
「さっそく、これから渡してきますよ。きょう〈高まつ〉休みだし」
「ははははは、船倉さんはせっかちなところもあるからなぁ――ところで」
「はい」
「じつはわたしもG=Mに相談があるんです」
「ぼくにですか?」
「うん――ドンのことなのだが、最近どうも具合がよくない」
「なんかカツカレー残しちゃったんですって?」
「そうなんだ。あんなことははじめてだ。それで長男の嫁が怪しい動きをしている」
「太郎さんはドンの跡を継ぐ気はないですよ」
「いや、嫁に尻を叩かれて、立つ気になっているよ。太郎殿がマコンドーレのトップになったら、われわれは空中分解ですぞ」
「そうかもしれないですね」
「わたしの読みなのだが、一年以内にマコンドーレは二つに割れますな」
「内府派と太郎さんを担ぐ子飼いの家臣たちと――ということですか?」
「まあ、そういうことですな。美智枝さんはわたしのお味方集になってくれるだろうが」
「美智枝さんと長男の嫁とは仲悪いですもんね」
「正直にいいます。わたしは船倉さんが鍵を握っていると思っておる」
「あはははは、ぼくですか?」
「ふむ。船倉さんがどちらに付くかによって勝敗が決まる」
「そうなんですか。じゃあぼくは内府に付きますよ」
「本当?」
「もちろんです。昔から良くしていただいているもの。だいたいマコンドーレが優良企業っぽくみえるようになったのは内府のおかげですよ。ドンもそれは認めているはずです」
「わたしは動く。船倉さん、今後ともよろしくお願いします」
 内府とわかれたあといったん船倉荘にもどったぼくは、和貴子さんに連絡して、
「じゃあ別邸でお待ちしててよ」
 と夕方の四時過ぎに会うことにしたのだけれど、ある女性と結婚したことを告げ、感謝の意を述べながら百万円を渡すと、和貴子さんは、
「よくてよ、気にしなくても」
 とお金を取ろうとはしなくて、それでもぼくが何度か気持ちですからお納めくださいというようなことを述べると、ようやく和貴子さんは、
「そうですか。すみません」
 といってそれを受け取ってくれたのだった。
 和貴子さんは、いずれぼくはすみれクンと結婚するだろうと思っていたらしく、
「じつをいうとわたし、すみれちゃんのお母さんより一つ年上なのよ」
 と先ほど内府がいっていた実年齢も公表していたが、和貴子さんはそもそも結婚などというのは懲り懲りで商売気もむかしはあったのだけれど二度も店をつぶしてすっかり嫌になっているから現在の雇われ女将の立場がいちばん気軽で楽しいらしくて、
「でも店の舵取りはやってるんでしょ?」
「わたしはお客の相手だけで、店のやりくりは番頭さんに任せっきりでしてよ。あの番頭さん、マコンドーレから派遣されてきた人なの」
「そうだったんですね」
 とここまではよかったのだけれど、最後に、
「ねえ、たまきさん、これからあれ、やりたくて?」
 ときかれて、ぼくは、
「え! ああ……うーん、ええと、ちょっと待ってください、どうしようかな……」
 とまたしばし考え込んでしまった。
「やりたいのはやまやまなんですけど、でも――やっぱりやめておきます」
「めずらしいわね。あれに弱いのに――」
 ぼくは長居していると、またいろいろあれしてしまうと思ったので、早々に引き上げることにしたのだが、ふたたび船倉荘にもどってエロ関連ものの処遇問題を検討したりしていると、おもてからトラックが停まる音がきこえてきて、カーテン越しにのぞいてみると、たまにこのあたりに立ち寄る〈出不精屋〉のキッチンカーだったので、ぼくはなにか弁当みたいなものを買ってそれで晩御飯を済まそうと思って、玄関のドアをガチャリと開けた。
「ああ大家さん、しばらくです」
 するとコンピューター関係のお仕事をされているらしい通称スーマリさんが二階からトントントンと降りてきて、スーマリさんもおそらく〈出不精屋〉でなにか食べるものを買うのだろうが、先ほどまであさ美お姉さんの生写真問題で悩んでいたぼくは、
「スーマリさん、スキャナーとか、もってませんか?」
 とカキフライ弁当を買ったのちにきいていて、菓子パンを何個かとあとポテトサラダみたいなやつと生卵を買っていたスーマリさんは、
「もってますよ」
 とスキャナーの使い道を確認したのちにこたえていた。
「貸してくれませんか?」
「いいですよ。いまもってきますよ」
「でも、これからお食事されるんでしょうから、あとででもいいですよ」
「これは明日の朝食用で、夜御飯は鍋なんです。すごいでしょ! ちょっと待っててくださいね」
 スーマリさんからスキャナーをお借りしたぼくはノートパソコンにあさ美お姉さんの生写真の画像を取り込もうとしたが、
「これはどうしても破けない……」
 とやっぱりやめて生写真自体を処分せずに「リメイン・イン・ライト」の歌詞カードに忍ばせておくことにしたのだが、けっきょく使わなかったスキャナーを返すために二階にトントントンとあがってスーマリさんの部屋のインターホンを押すと、スーマリさんは困り果てた顔をしながらドアを開けて、
「大家さん、すき焼きの作り方って、わかりますか?」
 と弱々しい声でたずねてきて、どうも話のようすだと、スーマリさんは顧客からいただいたギフト用のすき焼きセットを味わおうと試みたのだが、ぜんぶ真空パックみたいなものに入っていてすぐ食べることができなかったので、パニック気味になってしまっているようであった。
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